|
NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
“何、写真を撮りたいだと!
だからあいつらは嫌いなんだ、写真、写真とうるさく言いやがって。” 怒声が響いた。 大勢の客に囲まれて、この家の主人が仁王立ちで怒鳴っている。 そのあいつら(アメリカ人)の一人のお伴で窯開きに付き会った僕は唖然とした。 これが僕の魯山人との出会いである。 半世紀前のことだが僕は米軍病院でインターンをしていた。そこで知り合った精神科の軍医将校が、奥さんがハワイの日系人ということもあり、日本文化の吸収に夢中だった。 ある日銀座4丁目近くの陶芸品屋に立ち寄ると、店の女主人が次の日曜に魯山人先生の窯開きがあるが如何です、と勧められた。 北鎌倉の魯山人の窯元兼住まいは、広々とした田んぼの中の堂々たる藁葺き屋敷で、当時隣にはイサム野口夫妻が住んでおられた。 陶芸家にとって窯開きは一大イベントである。 大勢のファンや業者が参集し、窯が開いて次々と作品がとりだされるたびに歓声が上がる。 やがて昼めしが振舞われる。新橋の新富ずしが屋台を設けていた。 そして屋敷の中の見物となり、風呂場まで覗かされる。風呂は五右衛門風呂。周りの壁も竹のデザインの自作の陶器が嵌めこまれている。男の便器にはひばの小枝がぎっしりと埋め込まれ、すべて凝りに凝った造りに感嘆の声が上がる。 その邸内ツァーの終わりに、友人の軍医が魯山人の写真を撮りたいというので、僕はそれを通訳しただけであった。 写真機はそのころはまだぜいたく品で、彼のはアメリカ兵に人気のニコンの最新型だった。 失礼をしたのかと恐縮していると、また罵声が飛んだ。 “早く撮らんか、人を待たせおって!” 撮り終えるたところで、我々はほうほうの体で館を後にした。 これが僕の魯山人との最初にして最後の出会いである。 当時は知らなかったが、魯山人は傲岸無礼を売り物にした男のようだ。 最近のウィキペディアにはこう書かれている。 「魯山人は母の不貞によりできた子であり、それを忌んだ父は割腹自殺を遂げた。生後すぐ里子に出され6歳で福田家に落ち着くまで養家を転々とした。この出自にまつわる鬱屈は終生払われることはなく、また魯山人の人格形成に深甚な影響を及ぼした。」 なるほど、本当は写真を撮られたかったのか。
by n_shioya
| 2014-01-10 20:05
| コーヒーブレーク
|
Comments(0)
|
塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
以前の記事
検索
カテゴリ
全体 アンチエイジング スキンケア 医療崩壊 キズのケア QOL 老年病 介護 手術 全身療法 食生活 サプリメント エクササイズ エステティック ヘアケア 美について コーヒーブレーク 医療全般 原発事故 睡眠 美容外科 再生医療 再生医療 未分類 最新のコメント
フォロー中のブログ
ICELANDia アイ... 九十代万歳! (旧 八... ・・・いいんじゃない? 京都発、ヘッドハンターの日記 美容外科医のモノローグ ArtArtArt 芙蓉のひとりごと 真を求めて 皆様とともに... ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
|
ファン申請 |
||