|
NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
僕の母親は「奈良の女高師」出の誇り高き女性だった。
「お茶の水」もプライドでは負けない存在だが、「奈良」は八世紀の古都としてそこに学んだ者に、新参者の首都には比べものにならぬ根強い誇りを与えたようである。 その勝気な母にとって、競争心の全く欠如した息子は、まことにふがいない存在であったろう。 彼女のしつけは厳しかった。 “一番でなければビリと変わりない” ならビリでもいいじゃないか、と手を抜くと、敵はからめ手から攻めてくる。 “駄目だと思って始めから投げちゃいけない。全力を尽くせ。そうすればたとえ結果が悪くても,やれるだけやったと諦めがつく。 そうでないと、やれば本当は出来たなどと、卑怯な逃げ口上を吐くようになる。” ごもっともだがこれでは逃げ場がない。 そのような厳しい躾の中で、一つだけ素直に受け入れたものがある。 あるとき、ちびた鉛筆を捨てようとした。 “まだ、使えます!”と雷が落ちた。 まだ、日本があの狂気の侵略戦争を始める前で、物資が不足していたわけではなかった。 其の2センチほどの鉛筆の片方に、母は紙を巻いて指で挟めるようにして、自分で字を書いて見せた。 そして僕はその鉛筆を芯のほとんど最後まで使い切った。 物を大事にすることは、自分の心を大事にすることになると悟ったのはそれからしばらく経ってからである。 その、「物を大切にする心」を失ったのは、アメリカでの効率一辺倒の「使い捨ての文化」の影響もあったことは前に記した。そして紙をホッチキスで止めても、紙の痛みを感じなくなった事も。 そして今、時折鉛筆を使うたびに、母の厳しかった教えの数々が新しい衣をまとって、鮮やかによみがえってくる。
by n_shioya
| 2013-12-26 18:40
| コーヒーブレーク
|
Comments(0)
|
塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
以前の記事
検索
カテゴリ
全体 アンチエイジング スキンケア 医療崩壊 キズのケア QOL 老年病 介護 手術 全身療法 食生活 サプリメント エクササイズ エステティック ヘアケア 美について コーヒーブレーク 医療全般 原発事故 睡眠 美容外科 再生医療 再生医療 未分類 最新のコメント
フォロー中のブログ
ICELANDia アイ... 九十代万歳! (旧 八... ・・・いいんじゃない? 京都発、ヘッドハンターの日記 美容外科医のモノローグ ArtArtArt 芙蓉のひとりごと 真を求めて 皆様とともに... ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
|
ファン申請 |
||