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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
“どうしたら父親から話を引き出せるでしょうね?”
とKさんは困惑げである。 この春から94歳の義理の父親を引き取って世話をしているが、始めのうちはよく話もしたのが、最近寡黙になり何を考えているのかわからなくて、という。 多少の認知症が始まってもおかしくない年だが、それだけではないようだ。 そもそも親父と息子の間には会話は成り立ちにくい。たとえ義理の親子であっても。僕と親父も似たようなものだった。 世を去るまで、親父は僕に弱みを見せるようなことはしなかったし、僕も自分の悩みを親父にだけは打ち明けたことはなかった。 親父の信念の強さというか肩ひじを張った強がりを、僕が冷ややかに眺めているのが伝わっていたのかもしれない。 こちらがもっと心を開けば、もっと親父も話したいことがあったろうにと今更ながら悔やまれる。 晩年のある時、旧式の小型のカセット・レコーダーの音楽を僕に聞かせ始めたことがある。好きな懐メロを取り貯めてあったらしい。 “おれはなぁ、一つだけ心残りがある。それは音楽をまともに鑑賞する機会がなかったことだ、忙しすぎたしな。” 僕はそのメロディーにも、親父の言葉にも何かむずがゆさを感じ押し黙っていた。 すると親父は無言でテープレコーダーのスウィッチを切り、その後その話題に触れることは一切なかった。 “お前らに迷惑はかけたくない”と、84歳の時、お袋と熱海の高齢者マンションに引き籠ってからは、こちらから月一回は訪ねて行ったものの、その時のやり取りは何時も “おお、元気か?” “へぇ” で終わってしまった。 没後、10冊以上あったアルバムを整理していると、マンションの行事や、仲間たちとの近辺の旅行の写真が続々と出てきて、親父たちには自分なりの熱海での生活があったことを改めて思い知らされた。 一度でも僕のほうから、熱海の生活をどう楽しんでいるか問うたことがなかったのが、慙愧の念に堪えない。 “孝行をしたいときには親はなし”、とはよく言ったものである。 しかも106歳近くまで生きていてくれたのに。
by n_shioya
| 2013-10-22 20:35
| コーヒーブレーク
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Comments(2)
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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