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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
聖路加病院が進駐軍に接収されて,東京陸軍病院と呼ばれていた頃の話しである。
昭和三十年僕はそこでインターンをしていた。 進駐軍と名前はごまかしても、英語ではJapan Occupation Forcesであり、立派な占領軍である。病院内はオフリミッツ(日本人立入禁止)で、中ではすべて軍票しか通用しない。 我々12人のインターンは、医療チームの一員のドクターであっても、日本人つまり被占領国の国民なので、軍票はもてない、従って軍票が必要な院内食堂も使えない。そこで昼には近所のチャブ屋で昼飯をかっこみながら、「あの日」のことをそして一年先の米国留学の夢を話し合った。 ![]() 皆、「あの日」を十三歳の少年として、経験したのだった。 「あの日」のことは今でも鮮明に覚えている。 東京大空襲の後、僕は父の田舎の宮城県の白石に家族で疎開していた。 米軍の本土上陸も間近いということで、我々は毎日竹槍の練習にかり出されていた。教官は我々を国道沿いの雑木林に連れ込み、あの国道から敵兵が現れたら、飛び出してって「鬼畜米英」を突き殺してやるんだ。 “いいか、わかったな。” “はい。” という毎日だった。 だが幸い、その前に日本は降伏した。 お粗末なラジオで、雑音がガーガーと入り、天皇の声もうわずってとぎれとぎれで、かろうじてアナウンサーの、「国体は護持されました。しかし我が国は和を乞うたのです」と言う解説で、ああ、日本は負けたんだ、とわかったくらいである。 一寸した虚脱感と言うか、ああ、これで助かったんだという、解放感が体中からわき出てきたのは、それから一寸間をおいてからだった。 「その日」、空は青空で、日の丸を付けた戦闘機が一機、「デマに惑わされるな、最後まで戦うぞ」と言うアジビラをまいていった。やっぱりそんなうまい話はないかと、一瞬、がっくり来た覚えがある。 「鬼畜米英」は、ジープに乗ってさっそうと進駐してきた。後ろにトレーラーをつけて、後から後から仙台方面へと、泥道の国道を疾駆していった。 こうして我々は「鬼畜米英」によって、天皇を頂点とする狂気の集団,「日本軍」から解放されたのだった そして「鬼畜米英」に我々が初めて使った英語は、“give me chocolate”だったのは言うまでもない。 誰もが米国留学にあこがれるのは、その頃の自然の成り行きであった。
by n_shioya
| 2013-07-03 20:02
| コーヒーブレーク
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Comments(2)
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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