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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
駄目となるとなお欲しくなるのが” 人の習い”である。
このところ、ベーコンエッグの大皿を夢にまで見るのはそのためかもしれない。 今までだって朝飯はカフェオレとトーストですまし、ベーコンエッグはホテルにでも泊まらなければ、家でわざわざ食べることはなかった。 だが、最近はメタボリックシンドロームの影に脅かされ、糖分は制限、ローファットそして減塩という禁欲生活が続いているせいか、ご馳走の妄想に悩まされる。 ![]() 僕にとってオレンジジュースにはじまって、目玉焼き二つにベーコンストリップ3,4枚という朝食はアメリカ文化の象徴である。 フルブライト留学も終わりに近いある日、ボスのワン教授とモホーク航空のプロペラ機でニューヨークの北を目指して飛んでいた。 ダナムラというニューヨーク州の刑務所に月一回通って、模範囚に形成外科の手術を行っていたのである。 眼下にはレーク・プラシッドが夕日を受けて金色に輝いている。 “どうする、お前?” “又戻って来たいです、2年たったら。” フルブライト留学生は建前上そのままアメリカには永住できない。いったん故国に帰り最低2年は我慢し、移民として入りなおすことになる。それには又面倒な手続きが必要だ。 ややあってワンはこう言った。 “アメリカの生活は豊かだ。だがベーコンエッグがすべてではないぞ。” 蒋介石の下で軍医少将だったワンが、どうしてアメリカに移住したか、詳しくは聞いたことはなかった。 温厚で口数は少ないが、その短い言葉には何時も重みがある。 “だがな、いったんアメリカに永住を決めたら、かって日本人だったことは綺麗さっぱり忘れるんだぞ。” ワンの口調は何時になく厳しかった。 このような覚悟、今の若い人には分かるまい。 そのころ日本はまだ発展途上国だった。そして地球はまだ今よりずっと広かった。 帰国したのは昭和39年、東京オリンピックの年である。 日本中が活気に溢れていた。 誕生したての東大の形成外科は、ネコの手も借りたい忙しさで、僕のような若造でも存分に腕が振るうことが出来た。その後横浜市大を経て、新設の北里大学へと、忙しさに生きがいを感じているうちに定年となり、それからもう20年近く経ってしまった。もう81歳である。もはやアメリカに帰るには時機を失したといわざるをえない。 だが今でもベーコンエッグを口にすると、あのプロペラ機の中での会話を思い出す。 そして、もし、あの時アメリカに舞い戻っていたらと考えてしまうのは、いまだに“味噌汁の生活”に戻れない男の悲哀かも知れぬ。
by n_shioya
| 2013-07-01 21:10
| 食生活
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Comments(2)
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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