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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
そしてイタリアン
そしてイタリアン。

50年前、アメリカから帰国した時、フレンチに関しては東京は砂漠同然と言ったが、当然ながらこれはイタリアンにも当てはまった。
ある時僕はイタリア大使にお気に入りを聞いた。
“それはアントニオ。材木町にある。それしか無い。”
早速僕は材木町に足を運んだ。

オーナーのアントニオ・カンチェーミ氏は、イタリア海軍の最高司令官の料理長だったが、第二次大戦中に日本に滞在中の1944年にイタリアが降伏し、そのまま日本に居残り、日本のイタリア料理の開祖になったと言う。
その後僕は横浜に移り住み、三渓園の傍にお住まいだったカンチェーミ一家とも親しくなる。そして日曜日には山手カトリック教会の御ミサによくご一緒するようになった。

もちろん、その後のイタリアンの普及では、飯倉のキアンティも忘れてはならない。
出来たのは1960年だったろうか。
そう、大げさに言えばキアンティは一つの文化であった。六本木文化の一端を担っていたと言えるだろう。そこで僕はスパゲティ・バジリコを初めて知った。

ピザの普及は其の後である。
1954年、六本木にニコラスが出来たのが始まりだったと思うが、ピザ人気は70年代に入ったからだったと思う。
ニコラスが出来た54年に、アメリカで食べ放題のシェーキーズ・ピザがスタートした。これが日本は行ったのが74年頃だった。最初に赤坂見附に開店し、他にも店舗を展開して今に至るが、赤坂の店はもう無くなった。
ピザについてはまだまだかきたいことがあるが、もうベッドタイムである。別の機会にしよう。

とまれ、いっときのフレンチを凌ぐ今のイタリアン・ブームを思うと、今昔の感に堪えない。
by n_shioya | 2012-12-06 21:44 | 食生活 | Comments(2)
Commented at 2012-12-07 05:30 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by n_shioya at 2012-12-07 07:52
hanaさん。クレージー ホース、ビブロスのディスコ時代です。


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