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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
マリー・アントワネットがフランスにお輿入れの途上、母国で最後の夜を過ごされたのが、「ブラックフォレスト」の旅籠屋パルクホテル・アドラーである。
15世紀から同じ一家で経営されているその由緒あるホテルに、娘と泊まったのは20年以上も前のことだったろうか。 ミシガン大学に留学中の娘が、単身でベルリンの学会に参加中の僕に合流してくれたのだ。 ベルリンの壁が崩壊して間もなくのことで、西ベルリンの賑やかさに比べ、一歩ブランデンブルグ門をくぐれば、まだ荒れ果てた東ドイツが広がり、アメリカから飛んできた娘はいささか落ち込んでしまった。 ポツダムのサン・スー・シ(無憂宮)を訪れても憂いは晴れず、西ドイツに行きたいと言いだした。 で、学会を途中で端折り、娘の希望で急遽「ブラックフォレスト「に飛ぶことにした。 シュツッツガルトで車を借り、「ブラックフォレスト」の南のはずれ、ヒンテルツァルテンに向かう。その町外れの森の中に、目指すパルクホテルアドラーがあった。メインのビルディングの向かいには、15世紀の木造の二階家が建っている。 その二階の一室に我々は投宿した。 “もしかして、マリー・アントワネットはこのお部屋に・・・”と娘ははしゃぐ。 なにより彼女を喜ばしたのは、二つのベッドルームが、リビングで隔てられていることだった。ベルリンのホテルのツインベッドルームで、夜中にトイレに起きた時、トイレでぐにゃっと踏みつけたのが娘だった。僕のいびきがうるさくて避難していたと言う。 翌朝、手作りのジャムとソーセージに舌鼓を打ちながら、 “何故、ブラックフォレストに来たかったの?” “ブラックフォレストってケーキあるでしょ?その生まれ故郷に来てみたかったの。” その日、「黒い森」を周遊しながら、あの、チョコレートのスポンジケーキにチェリーと生クリームを挟んだ「ブラックフォレスト」を堪能したことは言うまでもない。
by n_shioya
| 2012-08-13 17:27
| コーヒーブレーク
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Comments(3)
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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