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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
親父が他界して3年。
在横浜の子供たちが集って、冥福を祈った。 子供たちの目から見ると、親父は神様と自分の区別のつかぬ変わり者だった。いや自分の方が格が上と思っていた節がある。 晩年は自分の考案した健康法、要するに腹式呼吸だが、その普及に全力全霊をかけていた。 死ぬと言うこともあまり考えていなかったようである。時が来たらキリストのように皆にバイバイして天に上がっていくつもりのようだった。 それが90歳ごろからか、多少体力の陰りを感じ、俺の天命は150歳ぐらいかなと言い始め、100歳になると天命を120歳に値下げしたが、106歳の一週間前に、天寿を全うすることなく、肺炎で世を去った。 親父は常々言っていた。 〝俺が死んでも葬式などせんでいいぞ。墓参りも無用だ。あんなところに俺は蟄居してないで、自由に飛び回っているからな。” 子供たちはその親父の意思を尊重して、おおげさな葬式も挙げず、墓参もほどほどにしてきたが、ここにきてちょっと集まれるものだけで供養をしようということになって、港みらいのホテルで会食をしたのである。 やはりそこは兄弟で、色々な思い出話に花が咲き、其の中には僕が初めて聞く話もいくつかあった。 その間、親父はくしゃみをしながらみなとみらいの空を飛びまわっていたことだろう。
by n_shioya
| 2012-03-19 22:49
| アンチエイジング
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Comments(2)
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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