|
NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
“まあ、私の手の甲、こんなしみだらけだったの!”
というのが、両側の白内障の手術を終えて病室に戻った配偶者の第一声だった。 このところ配偶者の病変は急速に進行し、駅の掲示板もよう見えなくなったので、急きょ年内に手術を受けることにしたのである。 僕も三年前、同じ清水教授から手術を受けているので、白内障の術后の驚きはよくわかる。 殊に僕の場合は一月おいて片側ずつやったので、その差は歴然としていた。 手術した側は白色の透明な世界。 反対側はセピア色の不透明なぼやけた世界。 僕の場合、眼底のレーザー治療のためには、白内障を治療しておかないと、と言われながらも何となく先延ばししていたが、決め手は清水教授の一言だった。 “先生、まさかこの目で、夜運転していないでしょうね?” オペをして初めて分かったが、僕は何時も薄暮の中でハンドル操作をしていたのだった。 医学も進歩したものだ。中には人類を不幸にした進歩もないわけではないが、こと白内障に限り、其の高齢者のQOLへの貢献度は、ダントツである。 例え駅の掲示板が読めなくても、もし、本が読めなくなったら配偶者は生きている意味を失っただろう。 目が落ち着いたら配偶者がしようと考えていることはもう解っている。 湘南鎌倉病院詣でをして、山下理絵ちゃんに手の甲の忌まわしい斑点を消してもらうことである。
by n_shioya
| 2011-10-31 23:18
| アンチエイジング
|
Comments(4)
|
塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
以前の記事
検索
カテゴリ
全体 アンチエイジング スキンケア 医療崩壊 キズのケア QOL 老年病 介護 手術 全身療法 食生活 サプリメント エクササイズ エステティック ヘアケア 美について コーヒーブレーク 医療全般 原発事故 睡眠 美容外科 再生医療 再生医療 未分類 最新のコメント
フォロー中のブログ
ICELANDia アイ... 九十代万歳! (旧 八... ・・・いいんじゃない? 京都発、ヘッドハンターの日記 美容外科医のモノローグ ArtArtArt 芙蓉のひとりごと 真を求めて 皆様とともに... ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
|
ファン申請 |
||