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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
橋には夢がある、人の心を動かすものがある。
それが「太平洋の架け橋」であろうと、「戦場にかける橋」であろうと、また、「東京湾をまたぐ橋」であろうと。 配偶者は「橋」が好きだ。 横浜から湾岸道路で東京に行く時は、まず「ベイブリッジ」、そして「つばさ橋」を渡り、最後にお台場から「レインボウ・ブリッジ」をぐるりと回って芝浦に入る。 実は首都高一号羽横線で直行したほうが短距離だがが、配偶者のために回り道をする習わしになってしまった。 サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ、イスタンブールのガラタ橋、ルツェルンのカぺル橋、プラハのカレル橋等々、世界中どこへ行っても、その街の顔の橋があるものだ。 だが僕が今思い浮かべているのは、デンマークのシェラン島とフェーン島を結ぶ洋上の長―い橋である。高速道路用に最近作られたので、由緒ある名前はついてないようだ。 この橋を僕は何回か往復している。 フェーン島にはアンデルセンゆかりのオデンセ―のが街あり、コペンハーゲンからは車で行くには、この橋を渡らねばならない。 そして大海原を跨ぐこの橋を渡るとき、その先に広がるアンデルセンの世界に心が弾む。 オデンセ―はお伽の街である。 「アンデルセン博物館」に行くと、彼の旅行カバンや、童話のお人形たちや、世界中で訳されている彼の童話集がどっさり展示されている。 そして「アンデルセンの生家」を訪れると、だれしもその粗末さに驚かされる、ここでアンデルセンは家族と共に、14歳まで過ごしたのかと。 本当に狭い一間きりの掘立小屋である。 「私の生涯は波乱に富んだ幸福な一生であった」で始まる自伝で彼は、いかに自分が子供時代から恵まれた生活を送ったか縷々述べているが、それこそ彼の最大のお伽話だったのでは、と考えこんでしまう。 そして彼のおとぎ話のほとんどに潜んでいる小さな刺たちは、必ずしも幸せでなかった様に聞いている彼の生涯を示唆しているのではなかろうか。 アンデルセンがらみで今一つ驚かされるのは、コペンハーゲンの有名な「人魚の像」が、意外に小さく、岸辺の岩にちょこんと置かれていることだ。そしてよく見ると、下半身が魚ではなく足首まで人間の足をしている。 これは作家のエリクソンが、モデルの女性があまり美しいので、魚のしっぽをつけるのをためらったからだと言う。そしてそのモデルはやがて彼の妻となった。 こうして今体調不良の僕は、家にこもって「思い出の街並み」をあれこれ想い出している。
by n_shioya
| 2011-05-18 21:14
| コーヒーブレーク
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Comments(2)
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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