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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
黒田清輝
明治の初め、洋画を日本にもたらしたのは黒田清輝ということは誰でも知っている。
その黒田が師事したのがフランス官学派のラファエル・コランであるが、何故、ラファエル・コランに師事したのか、もし当時台頭していた印象派の画家に弟子入りしていたら、日本の洋画界はどうなっていたか、かねてから気になるところであった。
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改めて年表を繰ってみると、
モネが印象を描いたのが1873年。
そして翌1874年に,アカデミズムのサロンに対抗して開かれた印象派展に出展される。
ところが、ラファエル・コランがサロンに入選し、デビューしたのが、くしくも1873年となっている。
黒田清輝_b0084241_2333121.jpg

黒田清輝が法律を勉強のためパリに渡ったのが1884年。画家に転向することを決意してラファエル・コランに入門したのが1886年である。
そして帰国したのが1893年のこと。その後のことはよく御承知の通り。
黒田清輝_b0084241_234752.jpg

当時の日本の絵画事情と又法学という所期の留学目的を考えると、黒田が官学にとらわれた気持ちもわからないではない。
だが、転向してまで絵画を志した人間が、当時反逆的とはされていても印象派の流れを意識しなかったとは考えにくい。

以前、ラファエル・コランの作品に接し、彼をリーダーとした所謂“外光派”の、アカデミズムと印象派の折衷のような作風に失望して以来、何故、黒田が好き好んで?と引っかかっていたのである。

印象派はこうして世界を征服した」を読了したので、次は日本の洋画史を紐解くことにする。
by n_shioya | 2011-01-31 23:05 | 美について | Comments(2)
Commented by だんぷ at 2011-02-03 08:29 x
なんか芸術って難しい…なんて思ってきましたが「なんかひっかかる」なんていう見方もアリなんですか…
もうちょっと素直になります
Commented by n_shioya at 2011-02-03 21:35
だんぷ さん;
要するに、楽しめなければ芸術ではない、と開き直りましょう。


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