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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
今年は東大形成外科創立50周年だそうだ。
記念誌を発行するので、在局当時の思い出をという依頼があり、思い出すままに綴ってみた。 45年前のことでもあり、記憶も不確かだが、書き始めるといろいろなことが思い出されてきた。 少し長くなるがここに引用させていただく。 「昭和30年に東大の医学部を卒業すると、僕は米軍病院でインターンを済ませ、フルブライト留学生としてアメリカに渡った。 オルバニー大学で外科のレジデントを終え、外科の専門医を取得してから形成外科に進んだ。当時の主任教授はマカンバーといって、手術の腕はピカイチだった。 形成外科のレジデントを始めてまもなくの頃、珍しい日本人のお客がマカンバーを訪ねてきた。 マンハッタンと違い、ニューヨークの首都といっても、わざわざオルバニーを訪ねる日本人は、政治家や官僚の極く限られた一部の人にすぎない。 そのお客は警察病院の大森清一部長であった。 学生時代、皮膚科の実習でお目にかかって以来である。ドスのきいた声で、怒鳴り散らすが、ザックバランないいおっさんだと、学生には名物講師として人気があった。あざの治療が得意で、その延長線上で美容皮膚科なるものを説いておられた記憶がある。 “俺はな、マカンバーには用はない。君に話があるのだ。君を「スカウト」に来たんだ。”という。 野球を観たこともやったこともないぼくは「スカウト」という言葉を知らなかった。 つまりこういうことだった。 僕がアメリカに来て数年後、正確には、昭和33年、日本にも形成外科学会が誕生した。前後して東大に形成外科診療斑が形成され、皮膚科、耳鼻科、整形外科の混成旅団で、診療を行っている。早く独立して講座にしたいのだが、医学界の偏見も強く、文部省の協力も得られず、苦戦している。是非、お前のような、アメリカで本格的な修行を積んだものが、参加して欲しいという主旨だった。 ヘェーとだけお答えするしかなかった。 ビザの更新のため、フェロー終了後一字帰国しても、すぐ叉、アメリカに戻るつもりだったのと、言外に、日本に帰っても、俺の息のかからぬところで、勝手なまねをするなよ、という一種の脅しを感じたからである。 しかし、七年近く日本に戻ったことのない今浦島にとっては、大森部長の話しは、なかなか参考になることが多かった。 とりあえず帰国した僕にやるべき事が山積みされていた。 そのころ形成外科の診療を専門に行っていたのは、東大の他は警察病院と慶応そして長崎大学ぐらいで、専従する医師の数も,併せて二十人にも満たなかった。東大病院もスタッフは丹下、福田、添田の三人でその仲間に加えていただいた。 まだ形成外科は外来診療だけで、東大にはベッドはもてず、大森部長の好意で患者はすべて警察病院に入院させ、我々が出向いて手術を行っていた。 患者は日本全国から集まり、手術の予約は三年先までいっぱいであった。 毎日夢中になって手術をしているうちに、とりあえずはアメリカに戻ることはお預けとなってしまった。 まず、形成外科の専門医を育成せにゃならぬ。そのためにはレジデント制度を確立して、外科の修練を終えたもののみ形成を学ばせる。そのアメリカ方式を、がむしゃらに日本に、しかも東大に、移入しようとふんばったのだから、今考えると滑稽でもある。 そのころ沸き上がった青年医師連合、通称青医連の運動も追い風になるかに見えた。 やがては史上まれにみる学園紛争となった大学紛争も、元は青医連の、まともな卒後研修を受けたいという要望が始まりだったからである。 医学部を出ても聴診器一つまともに使えない、何とか卒後ご教育を充実させてほしい、という真摯な願いだった。それに対し教授陣は、あれは跳ねっ返りのただの騒ぎだと相手にせず、運動はエスカレートして、そのうちに三派を巻き込んだ学生運動となり、最後は安田講堂での攻防戦にまで発展する。 青医連の当面のターゲットは、インターン制度廃止であった。アメリカの医学生と違い、臨床経験ゼロで卒業する日本の医学生にとって、全科の臨床を回るインターン制度はアメリカの卒業生以上に必要なはずであった。 だが、彼らは反論する。医局では自分のところに来るか来ないかわからん奴を教える暇はないと、インターンは邪魔者扱いにされ、一年がむだになってしまぅ。それくらいなら、なしにしてほしい。教授連は本音ではインターン制度など廃止したい、だが立場上擁護しなければならない。 学生たちは必要は充々に認めても、現行のままならない方がよい、教授たちは必要は更々認めないが、表向きは守らなければならぬと言う、奇妙にねじれた形で、話し合いはもつれにもつれていった。そして最終的にはインターン制度は、廃止されることになる。 学生運動がピークに達した昭和42年、美容外科の世界である一つの事件が発生した。福島の主婦が都心の某美容外科医のもとで、注射による豊胸術を受け、死亡したのである。 同じ様な事故はその四年前にも起こっていたが、今回は厚生省も重い腰を上げ、緊急対策会議が開かれ、僕たち日本形成外科学会のメンバーが参考人として呼ばれた。 これ以上美容外科を野放しにはしておけない。形成外科を麻酔科と同じに特殊標榜科とし、その中に美容外科を含めて規制したいというのである。 後で述べるように我が国では標榜科といって、医療法で医師の名乗れる専門科名が定められている。これはあくまで広告規制であって、標榜科でなくとも該当する医療行為を行うのは自由であるが、新聞、雑誌又立て看板などにその科名を名乗ることは出来ないし、医学界でも一人前扱いはしてもらえない。そのためには法律改正を伴い、相当数の専従医師の存在と、社会的ニーヅが求められ、形成外科のような新参の科が認められるのは、まだまだ先のこととあきらめていた矢先の話である。 しかも特殊標榜というのは、医師免許さえあれば誰でも名乗れる一般の標榜と違い、厚生大臣の認可が必要で、いわば専門医制度を先取りした形になっている。 その特殊標榜を、厚生省の方から作りたいと行って来たのである。こんなありがたい話はないと、学会の主要なメンバーは喜んで対応しようとしたが、残念なことに挫折してしまった。 一つは学会内部の不統一である。専門医制度は一般会員の既得権を侵害するものとして、反対の声が挙がった。専門医制度はむしろ、専従医師のレベルアップのみならず、将来の権益を確保するものだという正論はかき消されてしまった。 また、青医連も専門医制度には反対する。非民主的だというのが反対の理由だった。当時は非民主的と言えば、何でもぶちこわすことが出来た。おおかたの学生が脳味噌をどこかに置き忘れ、毛沢東語録に踊らされ、紅衛兵を気取っていた時代である。その連中が、今、日本の保険制度では卒業したての新米でも、ベテランでも報酬が同じなのはけしからん、と息巻いているのは滑稽である。 そして昭和43年、僕は形成外科新設のために横浜市大に講師として赴任し、4年間の東大生活は終わる。」 以上
by n_shioya
| 2010-06-15 21:15
| 医療全般
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Comments(6)
どんな分野でもパイオニアたるご苦労は想像を絶するものとはお察ししますが…
素人には今だ、「欲望と金がうごめく」イメージがつきまとう美容整形と、大学病院の挑戦とは乖離して見えます しかも、やはり誰かの命が犠牲になって初めて重い腰を上げるおカミ… 私には今も体質は同じように見えてしまいます 今、先生がどれくらい「苦労が報われた」とお感じになれているのか気になりました 救われた方が増えたことだけは間違いないと実感しておりますが…
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なんだか読みながらご苦労を今一度考えてみたら…
最近多い「やたらと不満を持つ患者」さんや 「客観的尺度があるわけではない主観的満足の追及」に明け暮れる方々には 『一度この苦労やってみてから言えば?』という気分になってしまいました 女の場合、かなり小さな頃から美醜については思うところ、感じるものがありますし、 一方男性なら「見た目にとらわれるなんて!」という世間の目が気になり歪んだ欲望になりそうで… それでも真っ向勝負!とは、やはり先生の道のりは先生ならでは…なのですね ますますのご活躍を!とお祈りしています
>大森清一部長
名誉院長ともなり、「目玉の親父」とも。
HOPE さん:
このことロオやっと改善の兆しが見え始めています。
船長さん:
美容外科に関しては、施術する側よりも施術を受ける側、また心理学者、文化人類がいくの方々のご意見も頂きたいところです。
ruhiginoue さん:
大森誠一先生に関しては、一代記が書かれれば面白いと思います。
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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