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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
僕の死生観
僕の死生観」。
大げさなタイトルで、我ながら気恥ずかしくなってしまう。
が、ことの起こりはこうだ。
今作業しているアンチエイジングの啓蒙書について、ライターの方と打ち合わせていると、突然こう聞かれた。
“世間ではアンチエイジングの目的は「QOL」だと言われますが、むしろ大切なのはクオリティ オブ デスではないでしょうか。”
確かにそうかも知れない、感覚的には。だが、クオリティ オブ デスとは一体何だろうと考え始めたのである。

本当のところ、僕はあまり「」について考えてこなかったのに気がついた。
なぜだろう、人の運命は一寸先は闇ともいえるが、唯一確実なのは死で終止符が打たれるということなのに。

そう言えば去年、「医師の死生観」という本を読んで、いろいろもっともらしい考えが述べられているのに感心したのを思い出した。
どこかの製薬会社の月刊誌に、毎号医学界の著名人が書き記したのを一冊にまとめたものであった。
「原稿を依頼されて改めて考えると・・・」といったニュアンスの書き出しの方も結構おられたので、大方は深く死について考えることなく日常を過ごされているようだと安心した覚えがある。
と同時に、いずれは自分でも掘り下げて考えねばと思っていた矢先だった。

さて「クオリティ オブ デス」とは何だろう?
まず、死に直面した時の自分の心構え。
死んで行くときの自分の状態。
死後の世界の有無、これは神の存在つまり信仰につながるが。
等々考えられるが、一つに括れば“死と如何に向き合うか?”ということになるかもしれない。

僕の場合は幸か不幸かあまり大病もせず、死と対決したことがなかった為、この問題にあまり深入りしなかっただけで、何か病気を抱えていれば、特に病気によっては、絶えず死の影にまとわりつかれて、考え方も違ってきたかもしれない。
それと子供の時から刷り込まれた“神体験”のおかげで、死は生の終着点ではなく、新たな生の始まりと無邪気に信じ込んできたおかげでもあろう。

今日のところはここまでにしておくが、「」についてアインシュタインはうまいことを言っているので引用させていただく。

死とはモーツァルトが聴けなくなることだ。”

ちなみにこれは物理学者のアインシュタインで、モーツァルト学者のアインシュタインではない。
by n_shioya | 2009-06-25 21:45 | アンチエイジング | Comments(3)
Commented by ruhiginoue at 2009-06-26 09:05
 私の場合は、全身麻酔の経験から、ショーペンハウエルの『意思と表層としての世界』にある「自分の死は存在しない。生きていれば自分の死は無く、死ねば自分が無くなる」という、認識の問題です。
 しかし客観的に医者が、命とは何か、魂は何処にあるのか、と興味を持てば話は別のようです。それでヨゼフ=メンゲレ博士とか731部隊とか九州大学医学部とかが、戦争中のどさくさまぎれに生きた人間を解剖したのでしょう。

 アインシュタインはバイオリンが好きでしたが、メニューインのファンらしかったようですね。
Commented by valkyries at 2009-06-27 09:32 x
先生、私は今年で50才になりますが、死について少々考えるようになりましたよ。
石原慎太郎が「老いてこそ人生」で「どんなドラマでも終幕が一番実があり感動的。人生の終幕を『もう年だから』といってあきらめるのは人生への怠慢だ」と言っています。(文庫版17ページ)
QODは将にQOLと表裏一体ですから、私はQOLの充実に努めたいと思っています。
Commented by n_shioya at 2009-06-27 22:10
ruhiginoueさん:
僕の「死生観」はまだ序の口で、これからああでもない、こうでもないを続けることになりそうです。お付き合いください。
メニューインについては、戦後初の外タレ(あまりいい表現ではありませんが)ということで、いろいろ思いでもありますが、また別の機会に。


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