4月10日
ガッチャマン、ヤッターマンという俺らの世代にとっては懐かしいアニメがどちらも実写化されるらしい。おー。かつて実写化されたエイトマンやキャシャーンよりは断然観たい。後は、かつて雑誌SPAで提案されていた『美味しんぼ』山岡士郎役に彦麻呂ってやつもはやいとこ観たい。誰か。今がチャンスだ。きっと。
4月8日@さいたま。SCOOBIE DOワンマンライヴの次くらいに気になっていたPRIDEのリングに桜庭が現れたらしい。おー。なにかあるとは聞いていたがそういうことだったのか。しかし、どちらかというと今気になるのはアフリカ出身の選手ソクジュだったりする。スゲー野性的な試合をするらしい。動いてるとこみたい。
格闘技といえば、先日フリーペーパー『Ramblin'』の取材を受けた時、担当編集者氏に「小山さん、これ読みました?」といって目の前に出されたのが『1976年のアントニオ猪木』という本。「あーっ!なんかで見て、読みたいと思ってたが全然忘れてたわーっ!!」「じゃ、僕呼読んだんで貸しますよ」「おお!ありがとう!」てな感じで借りた。で、読んだ。
大筋としては、それまで、あくまでエンターテイメントとして成り立ってきた日本のプロレスに、新しい世界観を与えてしまった、アントニオ猪木の1976年に行った4つの戦いを紐解きながら、それ以後のプロレス界・格闘技界の光と影を描いた、ってなところか。
読んで思ったのは、なるほど、結局、プロレスが文化として成熟しないのは、その1976年以降、カリスマであり続けるアントニオ猪木がいまだにプロレスを私物化しているからなんだなぁと思った次第。自分が関わったの以外はプロレスと認めないんだからね。無理矢理に例えるなら、野球でいえば巨人の長嶋さんが「いやぁーどーでしょー。松坂、イチロー、松井、あんなのは野球じゃないですねぇ」とか言いつづけて足を引っ張ってるようなもんだ。いや、むしろ今ならイチローや松坂が「日本の野球は野球じゃない」と言ってしまうこととかに近いのかも知れない。
なんて、思いながら、本を読んでの結論が「やっぱしそこまで徹底的に業が深い猪木って最高」となってしまうのは俺が思考停止の猪木信者だからという気もする。
いやぁでもね、やっぱそれぐらいじゃねいとつまんねえんだろうな。私物化、結構じゃねいか!目の前の人生、やっぱ自分のもんだ。なんかやるなら、世界を飲み込む気概がないと遺憾よねぇ。
青年よ少女よ、男よ女よ、なんでも私物化だ!と2007年の俺は思うのだ。
んなこたぁ抜きにしても、その猪木が変な価値観を植え付けてしまった日本のプロレスはその奇妙なねじれのせいで、やる方も見る方も達成感を得る為のハードルがやたらと高くなり、いまやアリヂゴク的に過酷な職業になっているということはよく分かる本である。くーっ。泣ける。
左はGRACE JONES『NIGHT CLUBBING』。「なんとなく今の気分」という意外の共通点はない。
明日は約5年振りの茨城。前回は水戸だったので、古河に行くのは初めてだ。
君は準備万端かい?俺達は準備万端絶好調である。
明日も間違いなく「今」の気分でやりあおう。
Funk-a-lismo!
コヤマシュウ
お詫び:4月8日付けのブログに、内容とは直接関係の無いトラックバックがついていたので、削除しようとしたところ、ドアホウな俺があやまってその日の全てを削除してしまい、同時に3名ほど付いていたコメントも消してしまった。俺が書いた部分は思い出せる範囲で書き直したんだがねぇ…。ソウルのこもったコメントをせっかく書いてもらったのにまったく申し訳ない。ホントにゴメンよ。