えーと。ハラカミ本人です。
ハラカミが「ハラカミです。本人です」と言い切ったところで、そこに証拠はあるのか?うーん。書けば書くほど信用が出来なくなる事は確かですね。
まあ、ハラカミが『ハラカミ』の事を「本人です。」と書こうが、「あーオレオレ。」と書こうが、このブログ上で書く場合は、何よりもまずそこを信じていただかないと、何も成立しない世界なので、そこから先には進みようがないわけです。
対して、
『匿名/仮名』の場合は、年齢、性別はもちろん、本当に個人によるコメントなのか、複数なのかなんて事さえ、実際に確かめようがないわけですね。でも、逃げ場がきちんと用意されている『匿名』だからこそ、初めて言える事だってあるわけですね。もちろんそれはそれで当たり前の事として承知しております。
さて。
以前、ハラカミがここで書いた『寄せ集め的未発表』という言葉が、大変言い訳がましく感じられた人もいらっしゃるようで、そこは謙虚(?)に
「あらまあそうなのかい」と感じてたりします。
えーと、勝手に
性善説的に要約してみると、『言い訳がましい説明を付けなきゃ聴けないようなアルバムなんて出さない方がいい』という意見に捉える事も出来るわけです。そう考えれば、なるほど、確かに『大人』っぽい意見だなと感じました。
でも、そこにはハラカミに対して『明確な答』を求めようとする押し付けがましさを感じずにはおれないわけなんざます。言語を扱うコミュニケートが当たり前だと思い込まされてる
アタマのデカイ動物のサガですな。
でもね。上の方をよーく見れば読めると思うんですけど…
あたしゃ最初っから
「答えなんてにゃーい。」
って言ってるのになあ。
とにかく、この言い訳がましい『寄せ集め』という言葉を少し言い換えてみると、ハラカミが発表してきた4枚のアルバムの
『副読本』的な聴き方が出来れば、なかなか面白いかな?と消極的に考えてるわけですよ。まあ、もちろん『副読本』以上のものになるか否かは、まだ保証できませんが、精進は致します。結局言い訳がましいですな。
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そんなわけでですね。ハラカミは、誠実なふりをして悪意を巻き散らし続けるだけで、この世の中をスイスイ渡っていけるなんて甘い考えは持ってませんよ。
ハラカミもこうやってしつこく『本人です。』と、書いてしまう事で、それなりに社会的なリスクを背負ってしまう事を意識せざるを得ない真剣30代なのですから。
語り口(という情報)がどんなに巧妙でも、作品がダメならやっぱりどうにもならないないわけです。ハラカミが作った『音楽』を聴きたいと思ってくれる人が実際に存在してて、そんで、その人達に対して聴く事が出来る状況を保守しつつ、死ぬまできちんと音楽を作り続けられるかってのは、ハラカミの命題なんですよ。今のところはね。そこは誤解しないで頂ければ幸いです。
『残ってないモノ、忘れられてしまったモノは、存在してない事と同様だ。』という事は、ほんの数十年の歴史でも充分に証明してくれています。
今、頑張ってライブを色んな所でやっている事を、いわゆる『プロモーション』と捉えるのは簡単な事ですが、ハラカミ個人にとっては、実際に聴いてくれている人たちの存在を確かめる作業だったりするんですよ。
特定の個人→ハラカミでした。
ではね。