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震災特別編/「発展途上国の子供を救え!小児科医吉岡秀人の戦い」の吉岡秀人さん登場!

震災特別編/「発展途上国の子供を救え!小児科医吉岡秀人の戦い」の吉岡秀人さん登場!_c0039735_10312582.jpg3月11日。死者・行方不明者を合わせ約2万人にも及ぶ甚大な被害をもたらした東日本大震災から一年がたちました。一日も早い復興を願い、震災直後から日本はもとより、世界各国から多くの支援と祈りが被災地へと寄せられました。
そんな支援のひとつとして、被災地の人々を救おうと現地に入り、医療支援活動を続けていらっしゃる小児科医の吉岡秀人さん。震災後に特集したピックアップブロガーの「震災特別企画『今伝えたい、被災地への思い」にもご協力いただきましが、吉岡秀人さんが主宰するNPO法人「ジャパンハート」では、発展途上国の子どもたちを救おうと国際協力医療活動をする一方で、被災地へも医療スタッフを派遣。被害の大きかった石巻市に子ども・内科診療所を開設し、小児医療活動を行っています。

ミャンマーと日本を往復する多忙な日々を送られている吉岡秀人さん。ご自身のブログ「発展途上国の子供を救え!小児科医吉岡秀人の戦い」では、ミャンマーでの活動、そして、被災地での医療活動の日々をつづっています。つねに全力で子どもたちを救おうとしている姿に心を打たれます。
今回は、震災から1年を迎えたこの機会に、震災特別インタビューとして、吉岡秀人さんにご登場いただき、被災地での活動、そして、発展途上国での活動を中心にお話していただきました。

エキサイトブログ編集部:3・11の東日本大震災から1年を迎えましたが、昨年のピックアップブロガー震災特別企画「今伝えたい、被災地への思い」ではご協力いただきまして、ありがとうございました。あれから一年たち、いま改めて思っていらっしゃることは?
吉岡秀人さん:ひと言でいうと、人間という存在自体の強さと脆さ。
あれから1年たった現在、現地では今も復興作業が行われているし、人々が新しい生活を始めています。まちまちの生活も日常を取り戻しているふうに見える。60数年前の大戦後、日本中が焼け野原から立ち上がっていったように、東北各地ではそのような光景がある。そこには人間という営みの力強さを感じます。

一方、家族を失ったり、心に傷を負ったり、ふるさとを捨てなければならない人々の状況は、手の施しようもなく、日本各地多くの人々も行政も、それにどのようにアプローチして良いのか具体的に示すことが難しく手をこまねいている。そして、その人々が取り残され、やがて人々の記憶から今回の出来事が遠い過去のこととして忘れ去られていくということを多くの人が心の底で感じているように思います。

エキサイトブログ編集部:吉岡秀人先生&ジャパンハートのご活動、ブログについて紹介ください。
吉岡秀人さん:ジャパンハートは1995年からミャンマーで医療活動行ってきた私が、2004年にさらに多くのアジアの子どもたちを救うために創ったNPOです。海外では、現在ではミャンマー・カンボジアで医療活動・学校保健活動、HIV孤児や貧困の子どもたちを保護・養育する施設「ドリーム・トレイン」の運営、視覚障害者の職業訓練施設などの運営を手がけています。
国内活動では僻地や離島に医療スタッフを派遣する支援事業、がんの子どもとその家族に旅行をプレゼントする「スマイルスマイル事業」、そして東日本大震災では現在、石巻市にジャパンハートの「こども・内科クリニック」をオープンし、休日診療を中心に日本中から小児科医を集めて診療をしています。また、気仙沼を中心に子どもの心のケアー事業をしています。
ブログは、主に発展途上国の子どもの治療に関わる著者が日々の思いを中心にして、心の感じるところを、若い世代に向かって話すような気持ちでつづっています。
今では伝えられにくくなった日本の価値ある伝統的教えや、アジアの価値ある考えを織り交ぜながら、欧米の価値観一辺倒の現在に、日本の次世代の人々に残していきたいと思っている思いや経験をつづっています。

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エキサイトブログ編集部:震災後の3月17日から被災地に入られ、復興支援の医療活動を続けていらっしゃいますが、この一年の被災地での医療現場での現状、被災地ではどのような活動をされているのでしょうか?
吉岡秀人さん:主に宮城県で支援活動を行ってきた私たちは、宮城第2の医療圏である石巻医療圏の小児医療の状況が震災前から困窮していた(数年前に7名いた休日小児科医は震災前すでに4名に減っていた)ことを知り、それが震災後は加速し、小児を診察する開業医たちの平均年齢は60歳以上、最高齢は85歳となっているなど、かなり厳しい状況であることがわかりました。
石巻市民病院の再建は2015年以降に持ち越され、ほとんどの医師がいなくなっていた…。そのため石巻日赤の外来がパンク状態になっており、医療者は疲弊。女川から石巻へ続く、医療圏は10キロ以上にわたって、小児科は存在していなかったため、被害を受けた住民たちにとって、震災後の数年は子どもと安心して暮らせる生活を保障してもらえることは大変意義のあることだと思いました。また、現在その地域を離れ、生活をする家族たちにとっても、子どもの医療が安定していることは、再居住のための大切な要因となり、地域復興には小児医療の安定は不可欠だと考えました。
そのため、小児の医療を中心とする「こども・内科クリニック」をオープンさせる運びとなり、昨年の12月から診療活動がスタート。また、昨年震災直後から、小児の心のケアーのために小児科医や臨床心理士を定期的に派遣し、子どもの父兄を含めセミナーやアドバイスを行うなどもしています。
子どもの心のケアー、特に、治療に視点をおいた心のケアーは長期にわたる専門的支援が必要になるため、現在そのための拠点造りの準備も同時に行っています。

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(震災直後、仙台に構えた事務所のまえで全国から集まったスタッフと共に)

エキサイトブログ編集部:被災地で活動をされている中で、大変だったことや直面した問題、まだまだこれから必要なこと、逆に、大きく変わったこと、地元の方たちの喜びの声や周囲の支援など、また、これからの復興に向けて願うこと…はどのようことでしょうか?
吉岡秀人さん:当初は情報がどこでも把握できず、燃料も調達困難で、多くのボランティアを受け入れたが故に、統制が難しく、また、被災地の人々の間にも時間がたつにつれ様々な問題が発生…。そういった、ただ震災直後の危機的な状況をみんなで乗り切ればいいという時期が過ぎれば、今度は複雑化した、しかも個別に慎重に対応をしなければならないような事柄があまりに多く発生してきたこと。

地域の医師会を中心とする開業医との調整は、かなり困難な状況にありました。医師会に入会するためには150万円以上の入会金を必要とし、それに加入しなければ小児の予防接種の補助金が降りないなどの既得権益があります。こういう事実を知っている一般人は少ないと思います。
医師会の要請を飲んで始まった休日のみの診療だけでは採算はとることは難しい。一方、寄付のお金を医師会入会の費用に充てることは私たちの寄付者たちは許さないだろう…。
しかし、地元の診療に訪れる子どもたちやその家族は本当に喜んでくれる人たちが多く、痙攣を起こした子こどもの親は、いろいろなところへ連絡したがどうして良いかわからず、この診療施設に電話し親切に対応をしてくもらえ、「こちらの小児科医が優しく、しっかり診察してくれて助かりました、本当に感謝します」と、言っていました。
もちろん、休日診察している病院が少ない中で、大きな病院では長い時間待たなくては診てもらえない。その点、この診療施設であれば比較的短い時間で、しかも、各地の小児の中心医療施設からきた専門家たちに診てもらえるので安心できます。

行政や地域の開業医たちは、医療過疎の地域にどのようにして都会で働いている医師たちを呼び戻せられるか、具体的なアイデアはほとんどない。まずは、都会の大病院の医師たちに現状を知ってもらい、肌で感じてもらいたい。今すぐにではなくとも数年後、彼らがこの地域の子どもたちのために何らかの力を貸してくれるかもしれないことを望みます。

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(震災直後 気仙沼の避難所で診療所を始めた時の看板)

エキサイトブログ編集部:基本的には発展途上国で医療活動をされていますが、もともと発展途上国の子どもたちを救うことになったきっかけや医療活動を通じて感じる生きがいややりがいは?
吉岡秀人さん:日本ではどんな過疎の地域でも、医療を受けたければ受けられるという前提があります。国民みな保険の制度はとても意義深いシステムだと思います。
一方、世界にはすぐ近くに病院があっても、医療を受けられない人たちがいます。お金や身分、貧困や戦争など、様々な理由から医療そのものにアクセスできない人たちが確かに存在する。私はそのような人たちのために、医師になろうと決意し、ここまできました。そういう人々の現状を知ることはそんなに難しいことではない。そして多くの人たちが、彼らのために何かをしたいと願い、心を痛めるが、実際に長い年月をかけそれを実行に移す人間は少ない。私はこどもの頃のそういう心の声に従ったに過ぎないと思います。

1995年に医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアで多くの子どもたちの治療に携わり、手術件数は、今では年間2000件を超えています。多分数万人の人たちに治療を行ってきたと思います。
そんな私のエネルギーの源は、おそらく自分の病弱だった幼少期の記憶と重なり合って、そのときに自分が得ていた安らぎや抱擁感を我が心にも、想起できるからだと思います。それこそが私のエネルギーの源であり、同時に癒しになっている。長く続けることができるのも、そのあたりに理由があると思います。
だからこそ、私にとってこのような活動は、可哀想な途上国の子どもたちのためにとやっている活動ではなく、私自身を癒すために、自分のためにこそやっている活動だと認識しているゆえんです。

エキサイトブログ編集部:お忙しい日々の中で、大切にしている時間や癒される瞬間などは?
吉岡秀人さん:大切にしている時間は、睡眠時間。単に体力・気力の充足という側面だけではなく、子どもの頃から私は睡眠前に布団で横になっているときに、様々な発想を得たり、日々の反省を通して、出来事や物事の相対化や客体化をおこなってきたから。ジャパンハートの存在や様々な活動のアイデアは、この時間帯に生み出されています。
また、癒しはいたとるところにあります。私にとって恵まれているのは、多くの若い人たちに囲まれていることで、自分より年長者は私の周りにはそれほど多くありません。彼らと共にいることは、時には耐え難いこともあるけれど、大いに希望を感じることもあります。時々しか会えないわが子に会うときも、移動時間の多い私にとって、飛行機の轟音の中でひとり考え込んでいる時も、結構、「自分は幸せな人生だ」と感じることが多いですね。自分の人生を日々どのように生きているかを突き詰めていくことができていれば、どこにいようと何をしていようと、すぐに「心をある状況」に持っていくことで、癒しを持つことができると思います。

エキサイトブログ編集部:数ある記事の中で思い入れのある記事、また、読者の注目度が高かったポストは?
吉岡秀人さん:震災関連ではやはり
●「びっくりするけど、取り壊し」(2011年4月29日)
これは震災の時に、石巻の渡波地域に出していた診療所のプレハブが突然、立ち退きを命ぜられ壊された記事です。震災後、小児科がいない地域に小児の医師たちが来てくれているということで、本当に多くの被災者の人たちが喜んでくれていただけにかなり困りました。そのときの記事です。

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(取り壊された診療施設 震災直後)

それのカウンターで思い入れのあるのが、
●「俺って”しつこい”っていったよね」(2011年9月25日)という記事です。
実はこの診療所のあった土地は、農協が地元の信用金庫に売却予定の土地で、その土地を一時的に選挙用として県会議員が借用し、プレハブを建てたものでした。そのとき、震災になり、そのプレハブも腰のあたりまで砂に埋もれていたのを、学生ボランティアたちが掘り起こし、掃除をして診療施設として開設にこぎ詰めた思い出深い場所でした。そこは大きな道路に面しており、非常に目立ったアクセスの良い場所で、建設制限が多くかかった石巻の土地の中でほとんど唯一といって良いほど診療所建設に適した土地だったのです。
そこを信用金庫が「診療所がきてくれるならと喜んで譲る」いうことで、農協に打診し、私たちが購入した時の記事です。いよいよ準備ができはじめました。
その因縁の場所で、その数ヶ月後、いよいよ診療がスタートしました。ジャパンハートとしていよいよ復興支援の本格的な活動が再開しました。

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(開設された診療施設 2012年1月頃)

途上国関連では、
●「看護師からの手紙」(2010年6月5日)、「看護師からの手紙ーその2」(2010年6月11日)、それに続く、「カンボジアから」(2010年6月16日)の記事。
生まれつき顔面の腫瘍を抱え「ばけもの」と呼ばれて生きてきた13歳の少年が、私たちに医療を求めて訪れました。その少年は徐々に私たちに心を開いてくれました。しかし、最初の手術の時、この腫瘍はすでに悪性化し、ガンとなっていることがわかって…。ミャンマーでは、悪性のがんに対しては手の施しようはなく、死を待つのみとなっています。「私たちには何ができるのか?」私はある日本人看護師に、死ぬまでこの少年に付き添うように指示しました。その少年が亡くなるまでの付き添った、その看護師からの何通かの手紙の内容です。

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(ミャンマーの病院で働く日本人スタッフと患者たち)

読者の注目度が高かったのは、テレビ出演の時に、いつも大変注目度が上がっています。
 
●「子どもたちを未来へ運ぼう」(2011年1月16日)
エイズや虐待、貧困などでたった3万円ほどで売られていく国境付近の子どもたち。売られた女の子たちは年頃になるまでは労働させられ、やがて12・13歳で売春させられるようになります。そして、HIVに感染、やがてAIDSを発症し、その施設から放り出されます。国籍が違う子どもたちは、治療を受けさせてもらうこともできない。やがて、警備隊の保護され、自国に引き渡されるが寂しく施設で最期の時を迎える。このような子どもたちを救うために、保護養育施設「ドリームトレイン」を創設しました。
この施設を使って、今後、のべ3000人の子どもたちの収容を目標に施設を運営しています。

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(ドリームトレインの子どもたち)

エキサイトブログ編集部:ブログを通して得たもの、新しい発見は? ブログのよさは?
吉岡秀人さん:自分の人生の経験を誰かと共有することの価値を見い出したし、それによって大きく人生が影響を受ける人間たちもいるという経験を得ました。
今の時代、マザー・テレサやナイチンゲール、シュバイツアーがそのとき何を考え感じていたかリアルタイムで知ることはできません。今は良い時代で、それがこのような手段で知ることができる時代になった。実際に時代や環境が違っても、同じような生き方を選択している私にような人間がそのことを残してゆくのは大変、意義深いことだと思っています。

エキサイトブログ編集部:夢は?
吉岡秀人さん: 100年後の世界にとって有益な考えや哲学を生み出すこと。

エキサイトブログ編集部:今一番ほしいものは?
吉岡秀人さん:一番ほしいものは、時間。時間こそ、エネルギーのすべてだと考えているから。時間をかけさえすればなされないことは、ほとんどなくなる。若いときから時間の大切さを知っている人間こそ、智恵のある人間だと思います。

エキサイトブログ編集部:最近の気になるニュースは?
吉岡秀人さん:TPPのニュース。TPPとは、簡単にいえば太平洋を取り巻く国々の間で関税を無くして自由に貿易できるようにしよう、というもの。やがてTPPは食べ物や商品だけでなく、人にも起こると考えているから。
日本はこれから先、日本単独で考えれば、経済を含め失速していくと思います。しかし、アジアの中のひとつの国という単位で発想すれば、日本は、これから発展する中国、東南アジア、インドに支えられ何十年も繁栄し続けることができる。そこでどうしても外せないのが、人的TPP。
医師が台湾・韓国・中国と人的TPPになれば、日本から医療過疎はなくなります。そして、医療は日本の一大外貨獲得産業となる。日本にとって、様々な課題を乗り越えながら、医療者のTPPを起こすことは大きなメリットとなると思っているからです。

エキサイトブログ編集部:ブログに訪問してくださる方にひとこと、また、これからの復興に向けて、読者のみなさんにもメッセージをお願いします。
吉岡秀人さん:今回の震災で世界中の国々から助けられた日本は、これからいよいよアジア最先端の先進国として世界にお返しを含め、貢献していかなければならないと思います。
労働でできる人は自分の体を使う、お金でできる人はお金を払う。何でも自分の差し出せるものを差し出す。それは小さな自分にはわからないが、大きな目で見れば世界的な相互扶助を生み出し、いざという時に日本自体を守ることになります。
もう借金しか残せない私たちが、日本の子孫へ残せる安全という名の財産だと思っていいでしょう。これからはいよいよ日本でも寄付文化が定着していくと思ういます。寄付は誰かに無理矢理、勧められて、義務のように”いやいや”する行為ではありません。寄付行為は権利だと理解してほしいということ。医療技術のないあなたが、医療をおこなう団体に寄付をして人の命を助けられる。教育こそ大切だと考えるあなたは、教育をおこなっている組織に寄付をして自分が現地へ赴かなくても、人々に教育を与えることができる。
「どこの誰に」、「何のために貢献したいか」、を自分の自由意志で選ぶことができる権利を持っているということ。もちろん、その必要性を感じなければどこにも寄付などしないという権利も持っています。企業も個人も、みな、その権利を持っている。そのことの意味を、深く考えてほしいと思っています。
そういう延長線で考えれば、医療者というのは何をすべきかは見えてくる。技術あるものは技術で貢献するのがスジだと思う。しかし、技術あるものは、技術もお金も同時に差し出す権利をも持っている恵まれた人だということがわかります。
 
エキサイトブログ編集部:ありがとうございました。




【吉岡秀人さんのお気に入り&好きなブログ】

これが特にないのですみません。とにかく今までミャンマー政府による情報統制のために、ブログtwitterなどのサイトには一切、アクセスできなかったのですね。それで、継続的にどのブログサイトも見ることができなかったためです。

【吉岡秀人さんのライフログ】

十三人の刺客 通常版 [DVD]

東宝


最近、印象に残った映画は役所広司主演の「13人の刺客」。戦のなくなった時代に、武士として最高の死に場所を与えられたことに幸せを感じ、戦いを挑んでいく姿は、現在の日本人たちには大切なメッセージが含まれていると思いました。
衣食住足りてなお、お金や美食や地位を求めている人たちに、あるいはただ惰性のように無為に生きていたり、享楽的な生き方をしている人が多い若い世代の人たちに、生まれてきたからには武士らしく生き、武士らしく逝くということは…、を求めて生きた侍たちの姿を通して、「私らしく生きるとは?」「私らしく死ぬとは?」ということを考えさせるようなメッセージがあったから。
常に「死」から「生」を測っている私にとっては、それで印象に残っているのかもしれません。

やさしさに包まれたなら

荒井由実 / アルファミュージック


音楽は、昔から松任谷由実の「やさしさに包まれたなら」を折りにつけよく聞くんですが、この歌の歌詞の一部、「小さい頃は神様がいていつでも夢を叶えてくれた」という部分が気に入っています。現実を知り、夢など持てなくなって、人生このくらいだろうと勝手に自分の可能性を小さく評価していくことになる同世代の大人たちを見る時に、あるいは困難にぶつかったときに、弱気になる自分を自覚するときに、この歌詞の一説が今でも何となく響いてくるからです。
最近では植村花菜さんのスローテンポの「やさしさに包まれたなら」がしっくりくるので時々、聞いてますよ。

吉岡秀人さんの「発展途上国の子供を救え!小児科医吉岡秀人の戦い」を読んでみましょう。
by blog_editor | 2012-03-11 07:24