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川隆夫の JAZZ BLOG
Profile

©Kozocom (photo by Shuichi Kasahara)
職業:JAZZジャーナリスト、整形外科医、DJ

ニューヨーク大学の大学院在学中にアート・ブレーキーやマルサリス兄弟など数多くのミュージシャンと知り合う。帰国後、JAZZを中心に約3000本のライナーノーツを手がけると共にJAZZ関連の著書を多数出版。ブルーノートの完全コレクターとしても有名。その他、マイルス・デイヴィスやブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンの来日時の主治医を勤めるなど、現役の整形外科医としても第一線で活躍中。

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「ジャズメン、ジャズを聴く」

「証言で綴る日本のジャズ」

「ジャケ裏の真実
ジャズ・ジャイアンツ編」
TALK EVENT■
小川隆夫ONGAKUゼミナール
@銀座le sept
3.19:ジャズメン、ジャズを聴く!


■TALK EVENT■
民音音楽博物館
「3月文化講演会」@神戸
3.26: 関西国際文化センター
コスモホール
TEL: 078-265-6595

詳細やその他ライナーノーツなどは 「Works & Information」へ>>
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 ジム・ホールは大学時代に散々コピーしたギタリストです。彼のナチュラルなサウンドの魅了されたと言えばいいでしょうか? ほかにもバーニ・ケッセル、ケニー・バレル、タル・ファーロウ、ウエス・モンゴメリー、グラント・グリーンなんかが好きなギタリストでした。その中で一番コピーしたのがホールで、次がファーロウかもしれません。
 そのホールがジェフ・キーザーとブルーノートに出演している初日のステージを、昨日は平野啓一郎さんと観てきました。ここしばらく彼のライヴは聴いていなかったんで、高齢ということもあり、内心は「どうなんだろう?」とちょっと心配でした。
 しかしステージに登場したホールは、ルックス的にもこの10年ほど変わっていない感じで、それほど老け込んだようには思えませんでした。75歳になる彼ですが、いつものようにボタンダウンのシャツにネクタイ、それにベストを羽織り、椅子にすわることなく立ったまま1時間以上にわたってじっくりと演奏を聴かせてくれました。

e0021965_071583.jpg 今回は、いまや中堅の仲間入りを果したピアニストのジェフ・キーザーとデュエットです。ピアニストとのデュエットと言えば、ビル・エヴァンスと組んだ『アンダーカレント』が有名です。40年以上も前に吹き込まれた傑作ですが、そのときのホールと昨日の彼と、ギターを弾く上でのアプローチがまったく変わっていないことに驚きました。
 昔からホールは音色をとても大切にしてきたギタリストです。以前、彼にインタビューしたとき、「自分はアンプリファイアード・アコースティック・ギタリストだ」と語ってくれたことを思い出します。アンプにつないでいても、最低限の音量しかホールは出しません。ギターのナチュラルな音色を損ないたくない、というのが理由です。
 そう言えば10年ほど前に『アンダーカレント』が再発売された際、ライナーノーツを書いたのがぼくでした。そこでも同じようなことに触れたと思います。いま売られているCDにぼくのライナーが使われているかどうかは知りませんが、ホールのプレイを聴いていつも見習いたくなるのがその音に対するこだわりです。

 ジェフ・キーザーも俊英と騒がれた時代から、いい音でピアノを弾くプレイヤーでした。だからホールは彼を選んだのでしょう。キーザーはこの日、ほんの少しだけ日本語でMCをしてみせました。彼は日本人の女性を結婚して、いまは知りませんが、横浜の先のほうに住んでいました。そのお宅に以前お邪魔したことがあります。あそこにまだ住んでいるんでしょうか?
 そんなキーザーですから、日本語もそこそこ話せるようです。それで、これは彼のリクエストだと思いますが、坂本龍一の「美貌の青空」も途中で演奏されました。そう言えば、ジェフ・キーザーのごくごく初期のライヴをぼくは聴いているんですね。1989年のことです。
 このときは、ニューヨークの「バードランド」にロイ・ハーグローヴを聴きに行きました。そのバンドでピアノを弾いていたのがキーザーでした。そのときのことを彼の『ヒア&ナウ』のライナーンノーツに書いたことがあります。ちょっと引用してみましょう。

e0021965_031762.jpg ハーグローヴとは面識があったので、バーに腰掛けて何となく近況を聞いていた。そこにやってきたのがキーザーである。聞けばふたりはバークリー音楽大学でルームメイトの関係にあるという。しかも彼らにとって、このときが初めて自分たち名義でやるニューヨークのライヴということだった。
 この夜のライヴは、ロイ・ハーグローヴ=ジェフ・キーザー・クインテットによるもので、他のメンバーはラルフ・ムーア、ウォルター・ブッカー、ジミー・コブというもの。キーザーはこの時点で18歳の大学1年生である。あどけなさを残したふたりが、初めてのニューヨーク・ライヴでどのような演奏を聴かせるのか、少々の不安と共に大きな興味を覚えた出会いだった。
 しかしステージが始まるや、そんな不安が顔を覗かせる余裕も与えないほど演奏には見事なものがあった。中堅、あるいはヴェテラン・ミュージシャンに囲まれ、ふたりが自由かつ奔放なプレイを披露したのである。

 長くなるのでこのくらいでやめますが、あれから17年近くが経っていたんですね。ライヴを観ながらいろいろと思い出していました。

 ところで大失敗をひとつ。昨日は、「ブルーノート」で食事もしたのですが、繊細な音にこだわっているふたりが演奏していたため、音を立てないように食べるのが大変でした。とくにサラダは駄目ですね。レタスやクルトンを噛むと、しゃきしゃきと音がしますから。スモークト・サーモンやパスタは大丈夫でしたが、サラダで隣のカップルに迷惑をかけたかもしれません。どなたか存じ上げませんが、くれぐれもご容赦のほどを。

 最後に宣伝です。今週の土曜日に駒場東大前の「ORCHARDバー」で「ONGAKUゼミナール」を開催します。今回はローリング・ストーンズです。詳細は今月の「Works & Information」をご覧下さい。
# by jazz_ogawa | 2006-02-14 23:59 | ライヴは天国 | Trackback | Comments(7)
 昨日は1枚も原稿を書かずに過ごしました。何をしていたかと言えば、昼からサッカーの日本VSアメリカ戦、その後は遅ればせながら「THE 有頂天ホテル」を六本木で観て、夜はオリンピック観戦の一日でした。

 サッカーは大人と子供の試合でしたね。まるで歯が立ちません。とくに前半はほとんど攻められっぱなし。こういう展開は、いつもだと日本が得意にしているんですどね。でも、日本はいつも攻めに攻めてもほとんど点が取れません。しかし、アメリカは攻めただけちゃんと点を取ります。これが実力差でしょう。
 それといつも思うことですが、サッカーの解説者って、どうして楽天家ばっかりなんでしょうね? 前半に2点取られても「まだ時間はたっぷりあります」と期待し、2点差で残り時間10分になっても「引き分けの可能性はありますから」と言います。
 たしかにそうでしょうが、ぼくは2点取られた時点で、「こりゃ大変だ」と思いましたし、3点目が入るとっくの前から、というより、試合が始まってすぐに「もう勝てん」と思いました。
 解説者だからネガティヴなことは言えないのでしょうが、「まだ大丈夫だから」と言って国際Aマッチで逆転勝ちした試合を観た記憶がほとんどありません。ぼくなんかネガティヴ・シンキングですから、1点取られたら、「これから2点取れるだろうか?」とか、「2点取れても、向こうがあと1点取ったら、3点入れるのは絶対に無理だ」などと考えてしまいます。
 サッカー解説者の「まだ大丈夫」から始まって最後は「残念でしたね」という経過を耳にして、いつも思い浮かべるのが高田渡の「値上げ」という歌です。これは総理大臣の答弁を皮肉ったもので、最初は「値上げは全然考えぬ」と断言するのですが、徐々に「年内、値上げは考えぬ」、「当分、値上げはありえない」、「極力、値上げはおさえたい」と来て、「すぐに値上げを認めない」、「値上げはさけられないかもしれないが、まだまだ時期がはやすぎる」、「近く値上げもやむおえぬ」、そして最後は「値上げにふみきろう」と、考えが変わっていく様を歌ったものです。なんだか、解説者の言葉がこれに似ていて、いつも苦笑してしまいます。
 でも、サッカーは面白いですね。中学のときにサッカー部に入っていて、そのときに足首を骨折してクラブ活動を断念しました。整形外科を選んだのも、そのときの入院・手術の体験が影響しています。

e0021965_11383240.jpg 「THE 有頂天ホテル」は面白かったです。こういう面白い映画に細かいことを言っても無意味でしょう。細かいギャグの集積でひとつのストーリーが出来上がっているような映画で、よくこれだけグシャグシャな話がうまく纏まったと思います。三谷幸喜の真髄見たりですね。オールスター・キャストの配役も見事で、どれひとりをとっても十分主役になれるキャラクターを持っています。ただ、こういうホテルに泊まったら疲れるだけでしょうがね。

e0021965_11401148.jpg 帰りに六本木駅の上にある「あおい書店」を覗きました。このブログでお馴染みのヘヴィメタ嬢が編集を担当した『ジャズのたしなみ方』と『マンハッタン・ジャズ・カタログ』がポップつきで平積みになっているというので、ついでに立ち寄った次第です。このヘヴィメタ嬢、優れた編集者にして、影の営業部長(ぼくがそう呼んでいるだけですが)でもあります。
 非常に熱心に書店を廻っては、ぼくの本を営業してくれているんですね。いまでは営業部のひとから営業についてを聞かれるほどですから、影の営業部長と呼んでもいいでしょう。左の写真のポップも彼女の手作りです。有難いことです。

 オリンピックの開会式にヨーコさんが出てきたのにはびっくりしました。ビートルズ時代のヨーコさんの姿には、理由もなくちょっと恥ずかしい思いをしていました。多分、多くの日本人がそう感じていたことでしょう。
 しかし、ジョンと結婚して、それから長い時間が過ぎて、いつの間にかヨーコさんの行動や言動に、同じ日本人として誇りを感じるようになりました。そして昨日は、全世界のひとびとが観ている前で堂々と平和を訴える彼女の力強い言葉に感動したんですね。
 そのあとのピーター・ゲイブリエルが歌う「イマジン」もよかったですが、そこにもしポールが立って、ジョンの「イマジン」を歌ったらなどんなに素晴らしかったでしょう? 歌で世界が変わるかどうかはわかりません。しかし、確実にひとの心は動かせます。それもポールが「イマジン」を歌えばなおさらです。
 ふたりの間、そしてヨーコさんも含めた3人の間に横たわる微妙で修復し難い思いも、それで払拭されるのではないでしょうか? これこそ平和を象徴するシーンになると思いました。
 そう言えば、「THE 有頂天ホテル」の中で香取慎吾が歌う自作の曲によって、佐藤浩市扮する国会議員が自殺することを思いとどまります。これはフィクションの世界ですが、それに近いことって現実にあると思います。

 今日はまったく脈絡のない話ですいませんでした。
# by jazz_ogawa | 2006-02-12 11:46 | 映画&DVD | Trackback(2) | Comments(11)
 ぼくが接したミュージシャンの中で、本当におひとよしだったのがギル・エヴァンスです。
 「こんなにいいひとが、どうしてこれまで無事にニューヨークで暮らしてこれたんだろうね」
 友人と大分以前にこんな話をしたことがあります。熾烈な競争社会に身を置きながら、ギルは飄々とした生き方をしていました。そんな彼が、ある日、こんなことを言っていました。
 「もしわたしがきちんとギャラとか印税とかを貰っていたら、裕福な生活ができたと思うよ。でも、お金にうるさいことを言っていい生活ができても、いまの幸せは得られていないだろうね」
 50年代から60年代にかけてのことですが、ギルのおひとよしにつけ込んで、ギャラを踏み倒すプロモーターやプロデューサーもいたそうです。たまにレコーディングをしても、レコード会社が倒産したりして、ギャラがもらえなかったなんていう話もしていました。

 こんな話をしてくれたころのギルは(82年)、日本で言えば生活保護みたいなものを受けていました。なにしろ、ほとんど仕事をしていなかったのですから。
 おひとよしではありますが、ギルには完璧主義者のところがあって、自分が納得できない仕事は引き受けません。それでいろいろとコンサートのオファーが来ても、滅多に腰を上げようとしなかったんですね。そんなこんなで、ぼくがニューヨークに住んでいたときに開かれたコンサートは、「パブリック・シアター」での1回だけです。
 その後、ぼくが帰国する3ヵ月前の83年4月から「スウィート・ベイジル」でのマンデイ・ナイト・ライヴが始まって、晩年のギルはようやく才能に見合う収入を得るようになりました。

e0021965_2315511.jpg その準備に忙しいギルを陣中見舞いに行ったときです。支援者のひとりが提供してくれたワン・ルームのアパートで、床一杯に広げた譜面と彼は格闘していました。ギルの趣味は譜面を書くことと、書き直すことなんですね。このときも、あと1週間で「スウィート・ベイジル」の1回目が始まるのに、まだほどんど準備はできていませんでした。
 それで、いよいよ当日。「スウィート・ベイジル」でのリハーサルに顔を出すと、譜面が用意されておらず、オーケストラの面々を前に、ギルはまだ手直しをしているところでした。
 仕方がないので、オーケストラのバンマス的存在だったルー・ソロフが、ギルの横からいくつかの譜面を取り出して、それでサウンドチェックだけは始めました。これじゃあリハーサルになりません。
 しかも、その音を聴いていたギルが、今度は各メンバーの譜面台を覗きながら、鉛筆でなにやら音符を書き加えていきます。ギルの面目躍如たる姿を目の当たりにした光景でした。
 結局、初日のステージ開始までに、ギルは納得の行く譜面を完成させることができませんでした。休憩時間にも一所懸命になって手直しをしています。そのお陰で、最初のセットと2回目のセットではほぼ同じ曲が演奏されました。
 しろうとのぼくには、どこがどう違うのか、その差がよくわかりません。終わったあとにトランペットで参加していたマーヴィン・ピーターソンに聞いたところ、アンサンブルがかなり違うものになっていたとのことでした。
 このマンデイ・ナイト・ライヴには、飛び入りのミュージシャンが多かったことでもぼくは注目していました。よく登場したのはデヴィッド・サンボーンで、途中から彼はほぼレギュラー・メンバーとなって、最初から席が与えられるようになりました。サンボーンがレギュラー・メンバーとしてギルのオーケストラでもらえるギャラは50ドルです。
 「ほかで仕事をすればひと晩で何百ドルかになる。でもギルのバンドは勉強になるし、彼と一緒にいると気持ちがおおらかになれるんで、お金は関係ない」
 サンボーンはこう言いながら、いつも嬉しそうに演奏していました。

 心優しいギルですが、金銭的には生涯を通して大変だったと思います。割り切って仕事をすれば裕福な生活も可能だったでしょう。しかし、彼は清貧を貫いたのです。ギルは多くのミュージシャンから尊敬されていました。金銭では買えない尊いもの──。ぼくにそれを身を持って示してくれたのがギルです。
 こんなエピソードも話してくれました。あるとき、ギルは生活のためにピアノを手放してしまったのです。するとそれを耳にしたマイルス・デイヴィスが、黙ってピアノをプレゼントしてくれたそうです。それもスタインウェイのグランド・ピアノで、添えられたカードにはこうか書かれていました。
 「これを売ったら承知しないぞ」
# by jazz_ogawa | 2006-02-09 23:22 | 愛しのJazz Man | Trackback | Comments(11)
 4日の土曜日は三軒茶屋のライヴ・ハウス「Grapefruit Moon」に行ってきました。敬愛する編集者で、このブログにも何度かコメントを寄せてくれたヘビメタ嬢のライヴがあったからです。
e0021965_23171992.jpg その東京へたるドールズは4人組の女性バンドで、はじめて聞いたんですが、なかなかのヘビメタぶりで感服しました。わがヘビメタ嬢はギタリストで、かなり達者なソロを聴かせてくれました。ラストの曲では、誰が間違えたのか最後のコーラスを飛ばしてしまい、残念ながらギター・ソロもカットされてしまったのですが、それもまたご愛嬌です。

 大人になっても、こうやって仲間と音楽をやっている姿を観るのは気持ちがいいものです。自分もバンドをやっていたことがあったんで、ことさら羨ましく思いました。
 昼間はきちんと仕事をして、アフターアワーズは夢を追いかける。そういう人生を過ごしたいと考えているひとは多いでしょう。でも、なかなか思うようにいかないのが現実です。

 ぼくもずっと夢を追いかけてきました。夢というより、好きなことを、ですね。医学部を卒業して医者になりましたが、ミュージシャンになりたい夢は、もう絶対にかなわないと思いますが、いまも心のどこかに少しは残っています。同級生の大半は、開業するか、どこかの病院でそこそこのポジションにいます。引退して現在は世界中を旅行している友人もいる世代になりました。
 ひるがってぼくはと言えば、20年近く前に大学の医局を去って以来、その日暮らしのアルバイト医者です。どこかに所属するのが苦手で、フリーの医者を気取っていますが、現実は日雇いの労働者で、病気になったら収入がなくなってしまいます。
 しかも根っからの出たとこ勝負派ですから、貯金はほとんどないですし、あればあるだけ使ってしまう日々を過ごしてきました。
 医局を辞めたころは、同級生から「お前、そんなことで大丈夫なのか?」と心配されました。その後も、クラス会や何かで顔を合わせると、「まだ、そんなことやってるのか。少しは年を考えろ」が挨拶代わりになりました。しかし最近では、「お前の生き方がうらやましいよ」とよく言われます。

 ぼくにはどちらの人生がいいのかわかりません。医者としてまっとうな生き方をするのはとても崇高なことですし、大変なことです。友人たちの行き方は尊敬に値します。楽な道を選んだぼくには後ろめたさがあります。でも、たとえ日雇いでも、医者としての誇りは忘れていません。それが唯一、二足の草鞋を履いてこれた原動力になっています。

e0021965_2342020.jpg 好きな歌にブレッド&バターの「あの頃のまま」があります。作詞・作曲は 呉田軽穂、つまり松任谷由実です。学生時代の友人と街で偶然再会したときの情景を歌った曲です。友人はスーツを着てすっかりサラリーマンになってしまったけれど、自分はいまだに街を彷徨い、夢を追いかけている──。
 ぼくも心情的には後者でありたいと思っています。現実は、毎日朝から夕方まで働いて給料をもらっていますから、サラリーマンと同じです。でも、いまだに街を彷徨い、レコード屋があれば入り、ライヴに顔を出し、同じような人生を送っている友人と見果てぬ夢を語り合っています。
 でも、この歌で一番いいところは、どちらの生き方も肯定しているところでしょう。こんな歌詞が心に染みます。

 ネクタイ少しゆるめ 寂しげなきみが
 馴染みの店に 腰すえる夜は
 陽焼けした両足を 投げだしてぼくも
 "SIMON & GARFUNKEL" 久しぶりにきく

 人生のひとふしまだ 卒業したくないぼくと
 たあいない夢なんか とっくに切り捨てたきみ

 For Myself For Myself
 幸せの形に こだわらずに
 人は自分を生きてゆくのだから

 ぼくは、そろそろ初老と言っていい年なのに、いまだに他愛のない夢を見ているんですね。大人になれないというか、学生気分が抜けないというか、幼いというか。そうやって、大学を卒業してから30年が過ぎてしまいました。
 先のことも心配になっているんですが、これからもこれまでどおり、自分の行き方を貫いていくと思います。なぜなら、これまでの人生を少しも後悔していませんし、これからも後悔をしたくないからです。
 そんなことを東京へたるドールズのライヴを観ながら感じていました。

e0021965_2344063.jpg なお、ブレッド&バターの「あの頃のまま」は、オリジナル録音が『LATE LATE SUMMER』、最新録音が『SHONAN BOYS』で聴けます。またユーミンのヴァージョンはセルフ・カヴァー集の『FACES』に収録されています。ぼくはブレッド&バターのオリジナル・ヴァージョンが好きです。また、この歌の歌詞はhttp://www6.airnet.ne.jp/satoumc/yuming/で見ることができます。
# by jazz_ogawa | 2006-02-06 23:17 | 平凡な日々 | Trackback(2) | Comments(17)
 今日は本業が午後からなので、午前中は4月に河出書房新社から出す本に使う写真を整理していました。でも、こういう作業ってなかなか進みません。1枚、1枚に見入ってしまうからです。オーヴァーに言えば、ひとつひとつの写真に思い出があるんですね。あのときはああだったとか、このときはこんなだったとか。
 それで、面白いことに気がつきました。悪い思い出がひとつもないんです。みんないい思い出ばかりです。その時点ではいやなこともあったんでしょう。でもそういうのって、無意識のうちに消し去っているのかもしれません。いやな思い出を引きずってもしょうがないですしね。

 写真を見ながら考えていました。これまでにどのくらいのひとにインタビューしてきたんだろうって。相当な数であることは間違いありません。1000人まではいかなくても500人は超えています。それにしても、いろいろなひとがいたなぁ。中でも一番優しく接してくれたのがソニー・ロリンズです。
 そもそもミュージシャンと接していて、いやな気分になったことはほとんどありません。無口なひとや愛想のないひともいます。ぼくにも少なからずその傾向がありますから、気持ちはわかるんです。疲れていたり、何度も同じ質問をされたりして、うんざりのときだってあるでしょう。
 それでも、ミュージシャンは概してインタビューアーには親切なものです。中でもロリンズは最高に優しいひとでした。東京、ニューヨーク、彼の自宅など、これまでにあちこちでさまざまなテーマのインタビューをしてきました。そのたびに、いつも誠実に答えてくれます。だから彼とインタビューしたあとは、ほのぼのとした気分で帰路に着くことができました。
 体験的なことから言わせてもらうなら、ジャズ・ミュージシャンの場合、大物になればなるほど「いいひと度」が上がっていきます。苦労してきたからでしょうか。あのマイルス・デイヴィスだって、実際に接してみると、驚くほど優しいひとでした。

e0021965_23214242.jpg ロリンズとはこんなことがありました。1997年にニューヨークでインタビューしたときです。彼から指定されて、ミッドタウンにあるSIRスタジオに行ったんです。ここは、有名なリハーサル・スタジオで、レコーディングもすることができます。
 どうしてそんな場所を指定してきたのか疑問だったんですが、着いてみて理由がわかりました。ロリンズはフォト・セッションがあると思っていたんです。インタビューだけならもっと簡単な場所で済ませますが、彼はわざわざスタジオを借りて、お洒落をして、その上サックスまでぴかぴかに光らせてぼくを待っていてくれました。撮影するならと、ロリンズなりの配慮だったんですね。
 どうしてこういう行き違いが起こったかと言えば、インタビューのセッティングをしてくれたレコード会社の担当者が勘違いしたんです。ぼくはこの日、2時間かけてロリンズからありとあらゆることを聞くつもりでした。この2時間というのが、勘違いをさせたようです。普通、インタビューと言えば30分、長くても1時間です。それが2時間と言われれば、写真撮影の時間も含まれていると考えても不思議はありません。
 ところがこちらはぼくひとりで、持っているのはインスタント・カメラだけなんですから、焦りました。事情を説明して、平身低頭、ひたすら謝るぼくに、ロリンズはこう言ってくれたんです。
 「今日のカメラマンは君なんだから、そのカメラで撮ろうじゃないか」
 恐縮しきりとはこのことです。
 「2時間じっくりインタビューをしよう。何でも答えるから、遠慮はいらない」
 こんな言葉をかけてくれるミュージシャンに会ったのは初めてです。ロリンズの優しいひと柄に接して、ぼくはとても嬉しく思いました。同時に、こんなに素晴らしい人物にインタビューできることを光栄に思いました。
 これ以前にも何度かロリンズにはインタビューをしていたんですが、このアクシデントをきっかけに、彼にはそれまで以上にいろいろなことが率直に聞けるようになりました。これはインタビューアー冥利に尽きます。こんなひとたちと会えるから、この仕事はやめられません。
# by jazz_ogawa | 2006-02-03 23:32 | 愛しのJazz Man | Trackback(1) | Comments(6)
e0021965_23382726.jpg 今月は、発刊がのびのびになっていた『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』(東京キララ社刊)がようやく出ます。前半はぼくがブルーノートのコンプリート・コレクションを達成するまでのストーリーで、後半は全ジャケット写真入りのアルバム・リスト(チェック項目つき)になっています。これだけでも200頁くらいあります。全部で400頁くらいになります。そのほか、ブルーノート・ブームの仕掛け人と言える東芝EMIの行方均さんとの対談もありますし、カラーの口絵頁では珍しいブルーノート・コレクションも紹介しました。まあ、ブルーノートに憑りつかれた男がどれだけお金と労力を使ってきたかという、呆れるばかりの話なんですが。でも、それを通してジャズの魅力やブルーノートの素晴らしさが少しでも伝わればと思って書きました。


【Broadcast】
毎週水曜日 『赤坂泰彦One On One』(Inter FM 76.1 7:20頃、出演)

【Activities】
02.18. 『小川隆夫ONGAKUゼミナール』(第7回:祝ローリング・ストーンズ来日)
駒場東大前Orchard Bar 21:00~23:00 チャージ1500 円(w/1 drink) 問い合わせ:03-5453-1777


【Books】
02.15. 『さわりで覚えるジャズ・ヴォーカルの名曲25選』(樂書舘)
    25人分のエピソードを執筆

02.25. 『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』(東京キララ社)


【Articles】
02.18. 『エンジョイ・スピーキング』(3月号) 
    「エッセイ:Reading JAZZ Bar #24(最終回)」

02.20. 『スイングジャーナル』(3月号) 
    「ディスク・レビュー」
    「名盤研究『オーネット・コールマン/ジャズ来るべきもの』」
    「ブルーノート新定盤座談会」

02.20. 『CDジャーナル』(3月号)
    「カラー・レビュー」
    「試聴記」
    「輸入盤紹介」

02.21. 東芝EMI会報『ブルーノート・クラブ』
    『マンハッタン・ジャズ・カタログ』と『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』の紹介

02.25. BOSE会報誌『BISTA』
    先日取材されたインタビュー掲載

02.28. 監修『マイルス・デイヴィス・アナログ・コレクション』
    第1回分(10枚)の発送


【Linernotes】
02.22. 『ジェフ・ベック/ワイアード』(ソニー)
02.22. 『ドナルド・バード/ステッピン・イントゥ・トモロウ』(東芝EMI)
02.22. 『KANKAWA(寒川敏彦)/ソウル・フィンガー』(&フォレスト)
02.28. 『マイルス・デイヴィス・アナログ・コレクション 第1回分』(ソニー)
# by jazz_ogawa | 2006-01-31 23:39 | Works & Information | Trackback | Comments(8)
e0021965_1813039.jpg 11月に発売した『マンハッタン・ジャズ・カタログ』に連動させる形で、昨日は新宿の朝日カルチャー・センターで講座を開きました。内容は、代表的なライヴ・レコーディングを聴きながら、マンハッタンにある(あった)新旧のジャズ・クラブや穴場レコード店の紹介、それとライヴ情報の入手方法などについてです。持ち時間が1時間半なので、ダイジェスト的なお話しかできませんでしたが、少しはいらっしゃった皆さんのお役に立てたでしょうか?
 ひと前で話すのは苦手ですが、昨日はジャズ・クラブの写真などをスクリーンに写しながら喋っていたので、それほど苦にはなりませんでした。場内もほとんどの時間が薄暗かったし、スクリーンに顔を向けている時間が多かったので、何とかなったという感じです。

 改めて思うのは、マンハッタンには本当にジャズが息づいているってことでした。世田谷区くらいの広さの中に、一体いくつくらいのジャズ・クラブがあるのでしょう?
 ぼくが『マンハッタン・ジャズ・カタログ』の中で紹介したジャズ・スポットは173ヵ所です。その中にはたまにしかライヴをやらないレストランや、ジャズに限らず他のジャンルの音楽もブッキングしている店もありますので、実質的な意味ではもう少し数は少なくなります。それでも、相当な軒数であることは間違いありません。
 ニューオリンズで20世紀初頭に誕生したジャズですが、マンハッタンでは1910年代から演奏されるようになり、20年代以降は、現在に至るまでジャズの中心地として栄えてきました。その間に、どれだけのジャズ・クラブが誕生しては消えていったのでしょう? そうした歴史の中で、優れたミュージシャンが腕を競い、歴史に残る演奏が繰り広げられてきたんですね。

e0021965_18134169.jpg 「ジャズは生きている」
 これはぼくが常々感じてきたことですが、そのことを実感させてくれるのがマンハッタンのジャズ・シーンを辿ることでした。『マンハッタン・ジャズ・カタログ』を執筆しながら、そして昨日の講座で話をしながら思っていたのがこのことです。
 ニューヨークに行ったことがあるひとでもないひとでも、ジャズ・ファンなら、そしてジャズに興味があるひとなら、マンハッタンでジャズ三昧をしてみたい。そんな夢の実現に、少しでもお手伝いができればと思って書いたのがこの本であり、昨日の講座でした。

 ところで、朝日カルチャー・センターでの講座ですが、現在のところ、次はアーティスト単位でやってほしいとのオファーを受けています。というわけで、次回はマイルス・デイヴィスを何回かにわたってやりたいと考えています。ただし、4月に教室のフロアが変わることもあり、どうやら7月から始まる期でやることになりそうです。
 そういうわけで半年ほど朝日カルチャー・センターはお休みします。内心ほっとしている反面、頑張って続けてきたので、中断というのはちょっと気がそがれますね。でも、ほっとしている気持ちのほうが大きいかな?

 2月18日には2ヵ月に一度の「ONGAKU」ゼミナールを駒場東大前の「オーチャード・バー」で開きます。テーマは「祝ローリング・ストーンズ来日」です。内容は未定ですが、これまでに体験したストーンズ・ライヴのことや、このブログでも書きましたがチャーリー・ワッツの話で盛り上がりたいと思います。お時間がある方は是非いらしてください。

 そうそう、2月下旬にはようやく『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』も出版されます。その出版記念イヴェントも版元が計画中です。これも決まり次第お知らせします。
# by jazz_ogawa | 2006-01-29 18:17 | Works | Trackback | Comments(7)
e0021965_9574837.jpg 現在発売中の月刊プレイボーイですが、ジョン・コルトレーンの大特集を組んでいます。表紙はブルーノートから出た『ブルー・トレイン』に使われた写真ですから、見ればすぐにわかると思います。監修は中山康樹さんです。
 そして、この号にはぼくが監修した40ページの別冊付録「小川隆夫のジャズで歩くニューヨーク完全ガイド」がついています。先に発売した「マンハッタン・ジャズ・カタログ」のダイジェスト版です。内容はここを参照してください。
http://m-playboy.shueisha.co.jp/supplement/index.html
 雑誌が雑誌ですから、書店で立ち読みは憚れるかもしれません。でも勇気があれば、ぱらぱらとめくってみてください。本誌の特集は最初のほうに掲載されていますし、別冊付録は中ほどに挟まれています。別冊付録は注意して抜き出してください。思いっきり真ん中あたりを開くと、ちょっと恥ずかしい思いをするでしょうから。

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 月刊プレイボーイは編集部に音楽好きのひとがいて、お陰でこれまでにジョン・レノン、ブルーノート、ビル・エヴァンスなどの特集や、ソニー・ロリンズの自宅インタビューをさせてもらいました。それで初めて知ったことですが、ジャズ特集やジョンの特集の表紙は、アメリカのプレイボーイ本社からクレームがついたようです。プレイボーイの規則によれば、表紙を飾るのは女性に限られているそうです。
e0021965_1045579.jpg ブルーノート特集のときは『クール・ストラッティン』のジャケットに使われた写真を用いたため、難を逃れました(女性の足が写っていたから)。ジョン・レノンの特集では、ジョンの顔写真の目玉をバニーにすることで切り抜けました。しかし、今回はコルトレーンがサックスを抱えた写真です。
 これで日本版の編集長は始末書を出すことになるかもしれません。しかし、こういうルール破り、ぼくは大好きです。ジャズは反体制の音楽なんですから、少しくらい遊びの精神がある悪さをしたっていいじゃないですか。女性の写真じゃないと売り上げが落ちる。こういう考えは、いまの時代にも通じるんでしょうか? そうだとするなら、ぼくはなんだか情けなく思います。

 ところで、明日はその「マンハッタン・ジャズ・カタログ」と連動した形の講座を新宿の「朝日カルチャー・センター」で行ないます。当日の飛び込みも大歓迎です。昼の1時から1時間半、どっぷりとマンハッタンのジャズに浸ってみたい方はぜひご参加下さい。申し込み先などはカテゴリーの「Works & Information」に書いてあります。
# by jazz_ogawa | 2006-01-27 10:00 | Works | Trackback(4) | Comments(14)
 昨日は久しぶりにマイク・スターンのライヴを「ブルーノート東京」で観ました。このひと、いい意味でも悪い意味でも以前とまったく変わっていません。メンバーはボブ・フランセスチーニのテナー・サックス、アンソニー・ジャクソンのベース、そしてデニス・チェンバースのドラムス。この面子なら、ファンならずともサウンドの予測がつきますよね。

 自分でもギターを弾いていたことがあるので、ギタリストにはことのほか興味があります。マイク・スターンのプレイは、マイルスのグループで聴いたのが最初ですから、それから25年が過ぎたことになります。そのときのロック的な響きが強く印象に残ったことを、「ブルーノート」のステージを観ながら思い出しました。
e0021965_2321847.jpg 前半は割とおとなしめでした。バンドが一体となってがんがん行きそうにはなるのですが、次の瞬間、ブレーキがかかってしまいます。乗っていないわけではないんですが、構成上そうしているんでしょうね。一緒に観ていた平野啓一郎さんは、終わってから「ウインダムヒルのレコードを聴いているみたい」なんて言っていました。
 ところが後半はひとが変わったように凄い内容になりました。デニス・チェンバースが大暴れをして、バンド全体を引っ張り始めたんです。こうなるとマイク・スターンも負けていません。「どうして出し惜しみしていたのよ」と言いたくなるほど面白いフレーズが次から次へと飛び出してきました。
 ふたりに煽られて、サックスのボブ・フランセスチーニも大ブローです。それでもひとりすまし顔で淡々とベースを弾くアンソニー・ジャクソンの姿が微笑みを誘います。このひと、いつも機嫌がいいのか悪いのかわからないような感じで、表情を顔に表しません。しかし、ぐいぐいグルーヴするベース・プレイを聴けば、乗っていることは一目瞭然です。
 マイク・スターンもアンソニー・ジャクソンもデニス・チェンバースも、相変わらずぼくにとっては最高のプレイヤーです。10年以上前にデニスの初リーダー作品をプロデュースしたんですが、あのときとルックスもプレイもまったく変わってないことに気がついて、ほっとした気分になれたのはどうしてなんでしょうね?

 デニスのリーダー作をつくることは、ぼくの夢のひとつでした。でも、恐れ多くてリーダー作を作りたいなんて切り出せなかったんです。その時点で、彼はフュージョン・シーンにおける最高のドラマーのひとりになっていました。ひっぱりだこの人気者で、マイルス・デイヴィスの誘いも断ったほどですから。
e0021965_2323326.jpg GRPやアトランティックからオファーが来ている話も聞いていましたし、無名の新人プロデューサーであるぼくなんかおこがましくて、という感じでした。ところがあるレコーディングに参加してもらったのをきっかけに、ぼくたちはすっかり意気投合したんです。
 そんなこんなでいろいろと話をしているうちに、リーダー作を作ろうということで盛り上がりました。ぼくにしてみれば棚からぼた餅です。それからふたりでメンバー選びと選曲に取り掛かりました。デニスは曲が書けません。しかし、彼にはいろいろなひとから「演奏してほしい」とオリジナル曲が寄せられていたんですね。それらを聴きながら、アレンジャーにジム・ベアードを起用してのアルバム作りが始まりました。

 いい話があります。アンソニー・ジャクソンから、一面識もないぼくのところに電話がかかってきたんです。
 「デニスのレコーディングに参加したい」
 びっくりしました。予算の関係で、頼みたいけれど頼めないと諦めていたのがアンソニー・ジャクソンなんですから。その本人からの電話を受けて、ぼくはどきどきしながら、「予算的にちょっと・・・」と切り出しました。
 「ギャラはいくらでもいいよ」
 日ごろから世話になっている親友のためならお金は二の次でいい。普段はこわもてのアンソニー・ジャクソンですが、実は心の優しいひとでした。それも、デニスとの友情があればこそです。

 デニスもひと柄のよさでは最高です。こんなにいいひとは滅多にいません。アルバムにはボブ・バーグやジョン・スコフィールドなんかも参加してくれました。有難いことに、みな格安のギャラです。いつもデニスには世話になっているからと、彼らが恩返しをしてくれたんですね。
 デニスはアルバム・タイトルをこう決めていました。
 『ゲッティング・イーヴン』
 「これで貸し借りなしだ」。あるいは「貸しは返してもらった」とでも言いたかったのでしょうか?

 「ブルーノート東京」で大暴れをしているデニスのプレイを聴きながら、思いは10数年前のニューヨークのスタジオにトリップしていました。あのときのプレイが昨日の演奏に重なっています。デニスは変わっていません。でもこの普遍さがとても心地よく感じられました。
# by jazz_ogawa | 2006-01-25 23:08 | ライヴは天国 | Trackback | Comments(13)
e0021965_22551763.jpg 新宿に「ピットイン」がオープンして40年が過ぎたんですね。20周年記念のときも30周年記念のときもコンサートに足を運びましたが、なかなかに感慨深いものがありました。

 「ピットイン」に初めて行ったのはオープンして間もないころです。当時は、金・土・日の3日間だけライヴをやっていたように記憶しています。そのうちの毎週金曜日が渡辺貞夫カルテットで、けっこう通いつめたものです。入場料は500円くらいだったと思いますが、高校生の身には厳しいものがありました。それでも、若き日の菊地雅章や富樫雅彦の演奏に触れられたことは財産になっています。
 その後は新宿の大学に入ったので、週に何度も通った時期があります。あのころは「朝の部」、「昼の部」、「夜の部」の3部制で、「朝の部」と言っても12時ごろから始まり、無名のプレイヤーによる演奏でこれが150円、「昼の部」は3時ごろからで300円、「夜の部」が7時ごろからで500円とか800円だったでしょうか。
 当時は「ピットイン友の会」という名称だったと思いますが、年会費を払うと毎回入場料が割引になる会員組織があって、それに入会していました。週に3日と空けずに通っていたのが70年代の初頭から中盤にかけてです。
 この時代、渡辺貞夫を頂点に、日本のジャズが空前の盛り上がりを示していました。話題のミュージシャンはほとんどすべて「ピットイン」で聴いたと言ってもいいでしょう。ぼくは68年ごろから入り浸りになり、ここで山下洋輔トリオが初めてフリー・ジャズを演奏したステージも目撃することができました。また、何の前触れもなく来日したサド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラのライヴも聴きましたし、伝説的なエルヴィン・ジョーンズのセッションは66年だったために観ていませんが、その後に行なわれたエルヴィンのライヴはほとんど観ています。
 一時、「ピットイン」の別室みたいな形で「ニュージャズ・ルーム」というのが階上にオープンして、そこでフリー・ジャズ系のミュージシャンを随分聴いたことも懐かしいですね。
 あと、いまから15年以上前になりますが、友人と組んで毎月最終月曜の夜に「ナウズ・ザ・タイム・ワークショップ」というライヴを2年間続けさせてもらったこともいい思い出です。名物マネージャーだった“怪物さん”には随分とお世話になりました。
 この「ナウズ~」から原朋直、大阪昌彦、五十嵐一生、椎名豊、村田陽一といったひとたちが巣立っていきました。それからこのライヴに出たグループを集めてオムニバス盤を2枚ファンハウスで作ったのですが、これがぼくのプロデューサーとしての出発点になっています。「サックス・ワークショップ」を開催したときには、ブランフォード・マルサリスが誰かのサックスを借りて飛び入りで吹いてくれました。

 そんなこんなで「ピットイン」にはひと一倍思い入れがあります。形は違うでしょうが、ぼくのように思い入れを持っているひとが沢山いると思います。そんなひとたちで、大雪の21日も路面が凍結した22日も、厚生年金ホールは満員の盛況でした。
 出演者も盛りだくさんです。最後にラインアップを貼りつけておきますが、大半のグループがフリー・ジャズに根ざした音楽をやっていることに、相変わらず“カッティング・エッジ”なジャズを聴かせてくれる「ピットイン」の心意気を感じました。
 2日間で13時間、13グループの出演です。すべてを観たわけではありませんが、その中で強く心に残ったのは、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェル、吉田達也+近藤等則によるペインキラーと、森山威男=板橋文夫グループでした。どちらのパフォーマンスからもぞくぞくする興奮を覚えました。
 そのほかにもハードなロックを思わせる梅津和時KIKI BANDや、たった15分の持ち時間しかなかった佐藤允彦のソロ・ピアノ、渋谷毅ORCHESTRAのソウルフルなサウンド、昨年発表した『ドラゴン』が素晴らしかった日野皓正クインテットの相変わらずのかっこよさ、そしてトリを飾った渡辺貞夫カルテットのハートウォームなプレイなどを聴いて、ぼくなりに「ピットイン」での数々の思い出にふけることができました。10年後の50周年は一体どんな風になるんでしょうね?

21日
■渋さ知らズ
■大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ
■三好“3吉”功郎スペシャル・ユニット
■梅津和時KIKI BAND
■Pain Killer
■室内楽団 八向山

22日
■What is HIP?+ケイコ・リー
■渋谷 毅ORCHESTRA
■佐藤允彦 plays Masahiko Togashi
■日野皓正クインテット
■辛島文雄ユニット
■森山威男=板橋文夫グループ
■渡辺貞夫グループ
# by jazz_ogawa | 2006-01-23 22:59 | ライヴは天国 | Trackback(4) | Comments(8)
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