先週の土曜日(14日)にようやく観てきました。実話をもとにしたストーリーということですが、脚色されているとはいえ、本当にこんなこと、起こるんですね。
それでぼくは改めて権力を持つことの怖さを認識しました。警察権力による一種のパワー・ハラスメントであり、精神科の医師によるメディカル・ハラスメント。そんなことに憤りを覚えましたが、ぼくも医者のはしくれですから、考えさせられるところ大です。
この映画に出てくる医師やパラ・メディカルは自分たちのやっていることが誰にも恥じない正しいことと思っていたのでしょうか? 医師である以前に人間として恥ずかしいことをやっていると気がついていないのでしょうか?
同じことはこの事件を担当した刑事にもいえますし、上司である署長にもいえます。みんな保身で生きている世界。こういう職場や状況っていまでもあると思います。
ぼくなんかその場にいたら「ノー」といえない小心者ですから、あんな警察や病院で働く人間だったら、やっぱり安易に流されて「いやだなぁ」と思いつつ、ハラスメントを続けるかもしれません。その行為に対して抗議できる勇気もなければ、職場を辞める度胸もありません。つくづくそういう環境や職場にいなくてよかったと思います。
医師として、もちろん患者さんにハラスメントをするつもりは毛頭ありません。それでも言葉って怖いですから、こちらは患者さんのことを最大限に考えて話しても、どう受け止めてもらえるかわかりません。
幸いこれまで抗議されたりクレームをつけられたりしたことはありませんが、だからといって相手を傷つけていないことにはなりません。ぼくにはなんでもざっくばらんに話したい気持ちがありますが、それを好まないひともいるでしょうし。かといって、あんまりこちらが言葉に気をつけていると、却ってギクシャクすることだってあるでしょう。
言葉は本当に難しいし怖いです。いつもこのことは考えているんですが、映画を観ながら改めて強くそう思いました。文章も同じですよね。好き嫌いもあるでしょうし。知らないで買ったCDにぼくが書いたライナーノーツが入っていて「ああ損した」って思う人も結構多いみたいです。でも、そういわれたってこちらも責任の取りようはないですし。
ところでこの映画からぼくはもうひとつ重要なことを学びました。「希望」です。実現するのは絶望的でも、希望を持つことで人間は生きていける。主人公の人生を見て、すぐに諦めてしまうぼくはおおいに啓蒙されました。
それにしてもクリント・イーストウッドはいい映画を連続して作っていますね。いまやぼくがもっとも好きな監督になりました。これまではどちらかといえば父親像を描くことの多かったイーストウッドが、今回は母親像をじっくりと描いています。
アンジェリーナ・ジョリーもそれに応え、いままでで一番いい演技をしたんじゃないでしょうか。とにかく彼女の表情が見事で圧倒されました。って、ぼくが観た範囲の話ですが。彼女はイーストウッドより先に脚本を読んでいて、出演したいと心に決めていたそうです。
脚本を書いたマイケル・ストラジンスキーはあるときロスの古い記録文書が焼却されるという話を聞きつけ、もともと新聞記者だった経験から、面白いものがみつかると思ったのかもしれません。焼却される前に膨大な文書をチェックしたそうです。そして偶然クリスティ・コリンズなるシングル・マザーの聴聞会の記録を見つけ出します。それがすべての始まりでした。こちらのストーリーだって映画になるくらい面白そうな気がします。
あと、この映画は時代考もきちんとされているみたいです。時代によって登場してくる自動車も変わっていきます。これだけのクラシックカーをよくぞ集めたものです。それだけでも好きな人には見ものかもしれません。