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川隆夫の JAZZ BLOG
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©Kozocom (photo by Shuichi Kasahara)
職業:JAZZジャーナリスト、整形外科医、DJ

ニューヨーク大学の大学院在学中にアート・ブレーキーやマルサリス兄弟など数多くのミュージシャンと知り合う。帰国後、JAZZを中心に約3000本のライナーノーツを手がけると共にJAZZ関連の著書を多数出版。ブルーノートの完全コレクターとしても有名。その他、マイルス・デイヴィスやブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンの来日時の主治医を勤めるなど、現役の整形外科医としても第一線で活躍中。

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2009-01-10 フレディは憎めないひとでした
2009-01-10 フレディは憎めないひとでした_e0021965_841466.jpg
 今日は『愛しのジャズマン 2』に書いたエピソードを紹介することで、先月の29日にこの世を去ったフレディ・ハバードを偲びたいと思います。

 ジャズの世界で遅刻の常習者といえばフレディ・ハバードである。ところが時間に遅れてステージがキャンセルになった話は、知る限りで一度も聞いたことがない。だから彼のことをよく知っているひとは、少しぐらい到着が遅れても鷹揚に構えている。
 たとえば1985年にニューヨークで開催された「ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート」コンサート。このときは2日前からミッドタウンのスタジオでリハーサルが行なわれていた。フレディはハービー・ハンコックのクインテットとオールスター・メッセンジャーズに入って演奏する予定で、両日ともスタジオに来るはずだった。
 ところが初日は無断欠席である。プロデューサーのマイケル・カスクーナによれば、ホテルにもチェックインしていないとのことだった。
「いつものことだし、フレディならリハーサルをやらなくても大丈夫」
 あまり気にしていない様子だ。ほかのメンバーも「フレディだからね」みたいな顔をして、誰も文句をいわない。
 それで2日目になった。カスクーナは「まだチェックインしていないが、たぶん来ると思うよ」と落ち着いている。ぼくはひとごとながら、「そんなことで大丈夫なの?」と心配していた。そしてオールスター・メッセンジャーズのリハーサルが始まった。それを見計らうかのように、旅行用のトランクを引きずりながらフレディがスタジオに入ってきた。
「雪で飛行機が飛ばなくてね」
 誰も信じていないが、お構いなしでフレディはリハーサルに加わった。その途中である。ロビーがざわめき始めた。覗いてみると、小柄な老人がミュージシャンに取り囲まれている。それがブルーノートを創立したアルフレッド・ライオンであることを教えてくれたのはカスクーナだ。

2009-01-10 フレディは憎めないひとでした_e0021965_8411830.jpg
 青春時代のすべてを懸けて集めてきたブルーノートのレコード。その名盤の数々をプロデュースした人物がそこにいる。リハーサルを観るのはやめにして、ぼくもその一群に加わろうとロビーに出た。するとぼくより素早くライオンのそばに駆け寄った人物がいた。
 こういうときのフレディは動きが早い。大きな体でライオンに抱きつき、涙を流さんばかりに再会を喜んでいる。実際、フレディの目には涙が浮かんでいるように見えた。それもそうだ。彼にとって、ライオンはジャズ界で最大の恩人である。
 フレディは、故郷のインディアナポリスでかなりの悪童として名を轟かせていた。そのままいけば、誤った道に進んだかもしれない。そんな彼に対し、ライオンは最初からリーダー作を作りたいと申し出たのである。ほとんど実績もない彼に向かってそう提案したのだから、よほど才能を買っていたのだろう。
「リーダー作を吹き込むにあたり、アルフレッドはわたしにひとつだけ条件を出してきた。それはクリーンな生活をすることだった」
 フレディは、ライオンの心情に触れて一念発起する。誘惑を断ち切り、演奏に精を出し、恵まれた才能を伸ばしていった。それが彼にとってのブルーノート時代だ。久々にライオンと再会して、フレディの胸にはどんな思いがよぎったのだろう?

2009-01-10 フレディは憎めないひとでした_e0021965_8413794.jpg
 遅刻の常習犯であることに話を戻そう。ドラマーのエルヴィン・ジョーンズがジョン・コルトレーンにトリビュートするコンサートを開いたときだ。前日に宿泊先のホテルで関係者を招き、ジョーンズ夫人のケイコさんが記者会見+パーティを主催した。
 壇上にはフレディの姿だけない。記者会見はそのまま進行し、その後は何曲か演奏されることになっていた。その演奏直前に、トランペットを小脇に抱えてステージに駆けあがったのがフレディである。
 あとでケイコさんに大目玉をくらったというが、そんなことでめげる男ではない。翌日の本番はヴィデオ収録のため、サウンド・チェックのほかにカメラ・テストもあった。それで集合時間も早かったが、フレディはやはり姿を現さない。結局本番10分くらい前に、タクシーに乗ってやってきた。
 こういう場面には何度も遭遇したが、時間にルーズとは違うように思われる。
「演奏さえよければ文句はないだろう」
 フレディの行動からはこんな主張が聞こえてくるようだ。性格もその演奏を生み出す要素になっている。だから、周りのひとにとっては迷惑かもしれないが、彼にはこのままでいてほしい。関係者もミュージシャン仲間もそう思っているからこそ、ゆったりと構えているのではないだろうか。

 遅れてくるのがフレディの流儀なら、この世を去るのも遅刻してほしかった。これがぼくの偽らざる心境です。やんちゃ坊主がそのまま大人になったようなフレディ。我もひと一倍強かったけれど、気持ちもひと一倍温かいひとでした。あのキャラクターに接することがもうできないとは、なんと寂しく、悲しいことでしょう。いまごろは、天国の門の前で「オープン・セサミ」と怒鳴っているかもしれませんね。
by jazz_ogawa | 2009-01-10 08:45 | 愛しのJazz Man | Trackback | Comments(14)
Commented by Tony at 2009-01-10 12:10 x
小川さん、遅ればせながら、お帰りなさい。
フレディー・ハバードのエピソード、いいですねー。まじめに自分の音楽に没頭しているアーティストももちろん尊敬に値しますが、フレディーのようなユーモアに富んだアーティストって理由無しに好きになってしまいます。
一昨年の4月にイリジウムで聴いたのが最期になりましたが、演奏の後、ピアノの椅子に座りながら随分と長い時間、日本での演奏の話などをしてくれたやさしい表情のフレディーを思い出します。
Commented by jazz_ogawa at 2009-01-10 13:18
Tonyさん、無事戻ってきました。
「Iridium」でお聴きになったんですか。いい思い出になりましたね。
Commented by funkytop at 2009-01-10 17:18 x
はじめまして、いつも楽しみに見させていただいております。
私が初めてフレディの生演奏を聞いたのは70年代の郵便貯金ホールでしたが、その時も開演がとんでもなく遅れました。一時間以上だったような記憶あります。司会はイソノさんだったか岩浪さんだったかよく覚えていないのですが、飛行機が遅れて、、、何度も壇上であやまっていたことを突然思い出しました。当時はレッド・クレイのヒット直後だった記憶がありますが。
Commented by Tony at 2009-01-10 17:52 x
小川さん、フレディーを「Iridium」で聴いたときのピアニストはロニー・マシューズでした。彼もまた昨年他界し淋しいですね。
ところでもう10年近く前に見逃してしまった映画に、ジュリアン・ベネディクトという監督の"A Story Of Modern Jazz BLUE NOTE"という映画があるのですが、どのような映画でしょうか?
Commented by jazz_ogawa at 2009-01-10 18:26
funkytopさん、コメントありがとうございます。
何度目かの「マウント・フジ」でも、到着予定日から遅れ、成田からタクシーで山中湖まで来たことがありました(笑)。
郵便貯金ホールのライヴ、ぼくも記憶があります。そのときのピアニストはジョージ・ケイブルスでした。
Commented by jazz_ogawa at 2009-01-10 18:37
Tonyさん、「A Story Of Modern Jazz BLUE NOTE」ではなく、「A Hitory Of Modern Jazz BLUE NOTE」という題名だと思います。これ、日本では東芝からDVDで出たことがあります。バド・パウエル、デクスター・ゴードン、モンク、ブレイキー、ロリンズなどの演奏シーンを盛り込みつつ、さまざまなインタヴューでブルーノートとジャズの歴史をたどったものです。
Commented by Tony at 2009-01-11 09:18 x
小川さん、おはようございます。
Blue Noteの映画の件、ありがとうございます。一度観てみたいと思います。
フレディー・ハバードもインディアナポリス出身なんですね。インディアナポリスにはウェス・モンゴメリーの名前が付いた公園もありましたが、フレディーの名前のもできるといいなと思います。(笑)
Commented by jazz_ogawa at 2009-01-11 11:26
Tonyさん、フレディはインディアナポリス時代にウエスと一緒に、地元のブルースマンのバンドに参加していたそうです。その時代にオクターヴ奏法を開発したという話を彼から聞かされ、歴史の一端に触れた思いで、ゾクゾクした記憶があります。
Commented by デボン at 2009-01-11 14:54 x
小川さん、遅いですけど、あけましておめでとうございます~!

この話は面白かった。ありがとう。フレディRest in Peace.

Commented by jazz_ogawa at 2009-01-11 17:52
デボンさん、こちらこそ明けましておめでとうございます。今年もよろしく。
Commented by Masa at 2009-01-12 04:47 x
小川さん、今仕事でミッドタウンに来ています。
今回は一人なので、どこかこの辺のダイナーでも行こうかと想い、小川さんのサイトを見にきました。いつも楽しい"NY Map"ありがとうございます。
それはそうと、行きのJAL便のオーディオ番組でBlue Noteの特集をやっていました。もしかして小川さんの監修ですか?そういう匂いがしました。
Commented by jazz_ogawa at 2009-01-12 08:54
Masaさん、ニューヨークは相変わらず寒いですか?
ミッドタウンにもたくさんおいしいところがありますから、楽しんでください。JALの選曲はぼくじゃありませんが、今年はブルーノート創立70年なんで、いろいろなことがありそうです。
Commented by heidiworld at 2009-01-12 12:31
フレディと、ブルーノート創立者アルフレッド・ライオンの熱い魂を感じました。人生は、出会いで大きく変わりますね。また、フレディや彼の音楽との出会いで人生に影響をうけた人、これから受ける人も多いのでしょうね。
素晴らしいお話ありがとうございます。
Commented by jazz_ogawa at 2009-01-12 13:59
heidiworldさん、仰るとおり、人生とは出会いの積み重ねですよね。昔はそんなことまったく考えなかったんですが、いまでは強くそう思っています。
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