【8月31日 昼の部】

最終日の昼の部にも行ってきました。最初に登場したのはロベン・フォードのグループ。エレクトリック・ベースとドラムスのトリオで、ブルースを中心に彼のギターとヴォーカルが楽しめました。
ロベン・フォードといえばフュージョン系ギタリストとしてぼくたちの前に登場してきましたが、本来はブルース・オリエンテッドなフュージョン派とでもいえばいいでしょうか。短期間ですがマイルス・デイヴィスのグループに入っていましたし、ジョージ・ハリソンが1974年に行なったUSツアーにもトム・スコットと一緒に加わり、同じ年に録音された『ダーク・ホース』にもふたりして参加していました。
ロベン・フォードで覚えているのは、いまから20年ほど前になりますが、チック・コリアがストレッチ・レコードをスタートさせたときのことです。それを記念して、チックが所有していたロスのマッド・ハッター・スタジオで盛大なパーティが開かれました。たまたまぼくはジョー・ザヴィヌルの自宅取材でロスにいて、そんなことからチックがパーティに呼んでくれました。
ストレッチの記念すべき第1回発売がロベン・フォードとたしかジョン・パティトゥッチの作品だったと思います。それで、そのときにチックから紹介されて、翌日インタヴューをしたのが最初です。そのあとは、ジョージやマイルスのグループにいたギタリストということで、何度か個人的な関心からインタヴューをさせてもらいました。そのときからブルース・バンドを作って活動したいといった話をよくしていたことが思い出されます。
31日のステージでは、B.B. キングにトリビュートした曲やフレディ・キングにトリビュートした曲も聴かせてくれました。それならアルバート・キングのトリビュート曲も作ればいいのに、なんて思ったんですが、ひょっとして作っているかも、ですね。

そしていよいよサム・ムーアのステージになりました。まるで「コマ劇場」で昔聴いた北島三郎ショーのような感じです。前にニューヨークの「ラジオ・シティ・ミュージック・ホール」で観たアレサ・フランクリンのときにも感じたんですが、アトランティック系のソウル・シンガーのライヴはどこか歌謡ショーに通じています。
何度か「ブルーノート東京」でサム・ムーアのライヴは観てきましたが、大きなホールで観るのも格別です。いまだにいい声をしていますし、高音の伸びと張りは全盛期とそれほど変わらないかもしれません。とにかくステージ映えがするひとですね。
その昔、日本に2度来たサム&デイヴのコンサートも観ています。これ、自慢です。留学時代のことでは、ジョン・ベルーシの追悼コンサートがニューヨークの「ローンスター・カフェ」で行なわれ、そのときは舞台のまん前にいたんですが、そうしたらサム・ムーアがぼくの前でしゃがみ、こちらに顔を寄せて「ユー・アー・ソウル・マン」と何度も歌ってくれました。これは大自慢です。
今回のステージでは「ブルーノート東京」ほどサム&デイヴ時代の曲は歌われなかったかな、といった印象です。いつもと同じで、エディ・フロイドの「ノック・オン・ウッド」やオーティスの「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」なんかは歌っていましたが。

ぼくは、サムが「ノック・オン・ウッド」を歌うと、必ずサム&エディを結成してくれればいいのにと思います。エディ・フロイドは、活動を再開した古巣のスタックスで素晴らしい新作を出したばかりですし、その中では、今回もステージで歌われたサム&デイヴの「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ユー・ミーン・トゥ・ミー」も取り上げていました。といっても、この曲はエディとスティーヴ・クロパーが書いたものなのでセルフ・カヴァーですが。

ぼくが憧れに憧れたスティーヴ・クロッパーも、やはりスタックスで、ラスカルズのフェリックス・キャヴァリエと組んだご機嫌なソウル・アルバムを出したばかりです。サム、エディ、そしてスティーヴのコンビでレコーディングなんてことになったら最高ですが、サムはライノと契約があるので無理でしょう。これはぼくの白昼夢です。

この日は、ぼくみたいなソウル・ファンにとっては夢のようなラインアップでした。まさかサム・ムーアとスライ・ストーンが同じコンサートに登場するとは。それにしても、スライとファミリー・ストーンが日本でライヴをするなんて、本当に素晴らしいことです。
1982年にニューヨークで久々にコンサートが開かれて、それを運よく、というかぼくにとっては当然のことですが、しっかりと堪能させてもらいました。これが生スライ初体験です。はい、これも自慢です。
それ以来のスライです。ライヴはそのころが最後で、あとはずっと音沙汰がなかったため、復活は難しいと思っていました。ところが2006年のグラミー授賞式でスライのトリビュート・ショーが行なわれ、そこに本人が登場したんです。これには興奮させれました。そのときの金髪モヒカン姿も衝撃でした。で、昨年はついにヨーロッパ・ツアーが実現し、それを経ての来日です。
始まる前から大きな拍手が起こり、期待の大きさがうかがえました。でも、スライっていつから日本でこんなに人気があったんでしょう? リアルタイムで聴いていたころは「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」や「エヴリデイ・ピープル」のヒットはありましたが、それ以外の曲は一部のマニアの間で受けていただけのように記憶しています。きっと、最近のファンが過去の作品(しかありませんが)を聴いて再評価したんでしょう。ぼくの世代はスライに対し、ヒット曲以外はとても冷たかったですから。
スライは不思議な存在感の持ち主です。フラッとステージに出てきて、またフラッと消えていきました。いるだけでいい、というんでしょうか。前面に出ることもあまりなく、バンドのメンバーに音楽は任せていた感じです。気が向くと歌ったりキーボードを弾いたりしますが、そのあたりはまったく奔放。元気なのか疲れているのか、よくわかりません。アンコールにも彼だけ出てこなかったですし。
でも、それでいいんです。スライはそういうところにカリスマ的な存在感があるからです。彼がいなければスライとファミリー・ストーンは成立しません。あとは新作を出してくれればいうことありません。
そういうわけで、今回もたっぷりと音楽を堪能させてもらった「東京JAZZ」です。これだけ聴けば十分なので、夜の部はパスしました。聴けばいいってものじゃないですから。