
昨日は講談社から発行されている『セオリー』の取材を受けました。ビジネス・パーソン向けの雑誌ということで、ぼくが履いている二足の草鞋に興味を持ってくれたようです。というか、種を明かせば、6月に講談社から出版した『ザ・ブルーノート ジャケ裏の真実』の編集者がこの雑誌の編集者でもあったことから、取材の対象に選ばれのが理由です。
で、本の宣伝をばんばんすればいいのかと思っていたのですが、本の話題は一切出ず、医師としての生活についての質問がメインになりました。めったにインタヴューを受けることはありませんし、そういうときでも中心は音楽についてだったので、いつもと違って新鮮でした。

実は、ぼくの仕事の形態は自分でも面白いと思っています。医師は、大学病院を含めてどこかの病院で勤務をしているか開業しているひとがほとんどです。ところがぼくはどこにも所属していません。かっこよくいえばフリー、実態はパート・タイムです。どこにも所属していません。院長との口約束だけで、曜日ごとに違う病院に行っています。
最近では麻酔科医などがフリーで、仕事を頼まれた病院に行っては麻酔をかけるといった形態も出てきましたが、ぼくが大学の医局を辞めて個人営業みたいなことで仕事を始めた約20年前には、知る限りですが、そういう医師は見たことも聞いたこともありませんでした。
こういうスタイルで仕事をするようになったのは偶然です。ぼくの人生はすべて偶然とラッキーの連続で、このときも結果としてラッキーでした。
二束の草鞋を履きながらの医局員生活は精神的にも時間的にも無理なことはわかっていました。ありがたいことに音楽の仕事もどんどん増えてきて、ニューヨークでプロデューサーをやってみないかというお話もいくつかのレコード会社からほぼ同時にいただきました。そんな時期に、教授から呼ばれ、数年前から希望を出していた退局のお願いが急に認められました。
あんまり急だったことと、教授が心変わりするといやなので、先の予定はまったく白紙だったんですが、その日のうちに医局会で退職の挨拶をしてしまいました。しかし、翌日からやることがありません。プロデューサーの仕事にしたって、ただお話があっただけで、具体的なところまで進んでいません。
そこで、半年くらいニューヨークでブラブラしてくるかなぁ、なんて漠然と考えていました。ところが医局を辞めた直後にひとりの先輩から、「ブラブラしているんならオレのところを手伝え」との電話がありました。

先輩の命令は絶対です。相撲部屋みたいなものですから。それでとりあえあず週に2回働くことにしました。すると数日後に、別の先輩が「あそこで働いているなら、オレのところにも来い」です。「イエス」以外の言葉は禁句ですから、そこでも働くことになりました。
結局、あっという間に毎日どこかの病院で働くことになったんですね。ですから、自分で考えたわけでなく、流されるままやっていたらこんな風になってしまったんです。
これ、実は先輩たちが、「小川をあのまま放っておいたらロクなことにならない」と考えての申し出だったようです。助教授なんかも先輩たちに「小川をなんとかしてやれ」といってくれていたようです。
この助教授もひどくて、ぼくが留学したときに「小川がちゃんと日本に戻ってくるか、そのままニューヨークに居ついちゃうか」で医局員たちと賭けをしたそうです。で、ぼくが日本に戻って医局に帰国の挨拶にいったら、助教授から「なんで帰ってきたんだ」と怒られました。この助教授、その後は教授になって、いまは名誉教授です。こういう話って、ぼく、好きですね。昨日のインタヴューでは話しませんでしたが。
ところで、この『セオリー』ですがいつ発売されるのか聞き忘れました。発売の暁にはまた自慢させてもらいます。