
クレモンティンのライヴを観たのは数年ぶりでしょうか。このひと、聴くたびに歌が下手になっていくんですが、それとは反比例で味わいは深くなっていました。アストラッド・ジルベルトと同じで、雰囲気で聴かせるひとですから。そして、ぼくはこういうヴォーカルが大好きです。

ミニ・アルバムの『ショコラ・エ・スイーツ』が出たばかりで、それに合わせての来日ということなんでしょう。このタイトル・トラックは槙原敬之さんのオリジナルで、いつもの彼の歌と同じようにほのぼのとした感じでした。
クレモンティーヌは、フランスより日本で人気が高いかもしれませんね。そういうこともあって、昨日のステージでも「悪女」とか「オー・シャンゼリゼ」とか、ゴンチチの曲とかも聴かせてくれました。曲名がわからないんですが、このゴンチチの曲がすごくよかったです。フランス語の歌詞がなんの違和感もなくメロディに乗っていて、ボサノヴァのリズムともあっていました。
クレモンティーヌのことで覚えているのは、10年くらい前に、フランス大使の公邸で開かれたパーティに呼ばれたことです。このときは、デビューのきっかっけとなったベン・シドランとふたりでミニ・コンサートを開いたんですね。
どうしてぼくがそんなところに呼ばれたかといえば、ベンが招待リストに名前を載せてくれたからです。ベンのことは知っていますか? 彼は弾き語りのひとで、古くはストーンズの『レット・イット・ブリード』にも参加しています。ミュージシャンですが、音楽ライターでもあり、マイルスのインタヴューなんかもしています。
脱線しますが、シドラン(Sidran)の綴りを逆にすると「Nardis」になります。これ偶然ですが、マイルスが書いた曲の題名です。マイルスとのインタヴューでそのことを話題にしたら「So What」と切り替えされたそうです。さすがマイルス!

で、ベンとは古いつきあいで、20年以上前にジャズ批評社から最初の『ブルーノート・ブック』を出したときに、ライターとして参加してもらいました。彼はGo Jazzというレーベルのオーナーでもあり、ぼくがプロデューサーをしていたころは、ぼくが作ったアルバムもアメリカで出ていたので、そのうちの何枚かを自分のルートでいろいろなメディアに紹介したりもしてくれました。

そんな付き合いだったのでパーティに呼んでくれたんですが、あのころはベンもGo Jazzを始めたばかりで、ぼくもプロデューサーだったので、いつか一緒に仕事がしたいね、なんて話をしたものです。しかし、いまだに実現はしていません。

意味のないことばかり書いていますが、そもそもクレモンティーヌがデビューしたのは、ベンにデモ・テープを聴かせたのがきっかけです。20年くらい前に、彼がバロセロナで、先日亡くなったジョニー・グリフィンとレコーディングをしていました。その話を聞きつけたクレモンティーヌがスタジオに売り込みにいったのです。持参したデモ・テープに入っていたのはグリフィンの「コンティノン・ブルー」だけ。それを聴いてグリフィンが感激し、翌日から2日間で彼女の歌を5曲録音した逸話も残されています。
クレモンティーヌの父親は有名なコレクターで、ジャズ・レーベルのひとつオレンジ・ブルーのオーナーでもありました。そういうわけで、このレーベルから『ベン・シドラン/スプレッド・ユア・ウィングス』、『ジョニー・グリフィン/コンティノン・ブルー』、さらには『ケニー・ドリュー/メ・ニュイ、メ・ジュール』と、立て続けに彼女との共演アルバムがリリースされます。ぼくがクレモンティーヌを知ったのも、これらのアルバムを通してでした。
昨日のステージでクレモンティーヌは何曲かピアノの弾き語りもしましたが、これもあんまり上手とはいえません。しかし彼女はミシェル・サダビーからピアノのレッスンを受けたといいますから、本当はうまいのかもしれませんね。でもあんまりバリバリ弾かれてもイメージにそぐわないし、昨日のようにソロをしないでただコードで簡単なバッキングをしているくらいのほうがいいみたいです。
こういうライヴは、終わったあとでハッピーな気分になれます。ゴリゴリのジャズもいいですが、のんびり、ほんわりがいまのぼくには気分的にぴったりですね。というか、昔からそういう音楽が大好きでした。
近くで食事をして外に出ようとしたら、集中豪雨のような大雨に見舞われました。やっぱり、最近の気候はおかしいですね。地球はどうなっちゃうんでしょう?