
このところ封切り初日に映画を観ることが多くて、この作品もおとといの初日に新宿で観てきました。最近は歳のせいで、事前に予約が取れる映画館を優先しています。そういうわけで、この映画館にしました。家から渋谷まで1時間ほど歩き、あとは先日開通した地下鉄で新宿3丁目に出るコース。これは山手線を利用するよりはるかに便利です。ただし、帰りはダイヤが5分遅れていました。まだ、何かトラブルがあるのでしょうか?

映画は面白かったです。クライマーズ・ハイというよりジャーナリスト・ハイですね。未曾有の大事件が起こればアドレナリンの分泌がぐっと増すんでしょう。記者や編集デスクばかりでなく、営業から印刷のひとたちまで巻き込んで、とにかくハイ・テンションのまま時間が過ぎていきます。
事故は悲惨極まりないものでしたが、周辺のひとたちはこの新聞社で代表されるようにてんやわんやの騒ぎだったのでしょう。こういう気持ち、とてもよくわかりますし、感情移入がしやすいですね。
大学病院にいたころ、整形外科は救急が多いですから、医局に残っていると、ときどき夜にとんでもない事故の患者さんが運び込まれてきます。居残っていた医者と一緒に緊急の手術をするときなどは、この映画のスケールとはまったく違いますが、手術室の準備が整うまでにあと何分、その間にできるだけの応急手当をしなくては、みたいな経過の中で、気がつくとみんなハイになっているんすね。これなどメディカル・ハイとでもいえばいいでしょうか。
ぼくは、わりと簡単にハイになってしまいます。原稿を書いているうちにトランス状態になっていることもしばしばです。気がつくと、よだれをたらしながら原稿書いてますから。汚いでしょ。
お酒は飲みませんが、酒飲みと同じテンションで朝までつき合うこともできます。もっとも、最近は体調を考えて早く帰ってしまいますが。話が脱線するのも、考えてみれば話に没頭しているからなんでしょうね。こういうときも、ハイの状態になっているんだと思います。

御巣鷹山の事故では忘れられないことがあります。当時、ぼくは長野県の諏訪にある病院にいました。そして、あの日、夜になって電話がかかってきました。「近くで飛行機の事故があったので待機しているように」という内容です。テレビを捻ると、大惨事のニュースで持ちきりでした。
しばらくすると、「もし墜落場所が長野県だったら、けが人の救助と遺体の収容で要請がかかるから、場所が特定されるまで待機せよ」との連絡がありました。それまでにも、交通事故や電車事故の現場検証など、何度かむごたらしい場面には遭遇していましたが、想像するだけでも、これは大変なことになったと思いました。
朝までまんじりともできませんでしたが、そのうち墜落したのは群馬県側ということで、基本的に長野県からの医師派遣はなしになりました。ただし人手がいるならいつでも馳せ参じますとの申し出はしておきました。要請はきませんでしたが。
いまも毎年8月になると、あの夏のことが思い出されます。運命とは本当にわからないものです。国家試験に受かって医局に入るまでの休みを利用してニューヨークに行ったとき、ロスから夜に飛び立ったジャンボのエンジンが一基爆発しました。離陸直後だったので、急遽飛行場に戻って事なきを得ましたが、あのときは映画のようなパニックが機内で起こりました。
ぼくも、これでおしまいだと覚悟しましたが、遺書を書くなんて思いはこれっぽちも浮かびません。映画でも取り上げられていましたが、奥さんやお子さんに遺書を残したひとのことには涙を誘われました。新聞に掲載されたその遺書を見た記憶がありますが、ミミズがはったような文字で感謝の気持ちを綴っていました。そういう平静さ、ぼくにはありません。
この映画を観て、生きててよかったと思う反面、ひとはいつ死ぬかわからないとの思いを改めて強く思いました。「いつ死ぬかわからない」ということは、ここ何年かずっと考えています。それで思い残すことはまだたくさんあるのですが、とりあえずいつ死んでもいいやとは思えるようになりました。口の悪い友人は、「そう思っているヤツほど長生きするよ」っていいますが、どうでしょう?