ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが主演したこの映画を六本木の「TOHOシネマズ」で観てきました。最後はほろりとするいい映画でした。映画はファンタジーですから非現実的な内容ではありますが、それでもロブ・ライナーが監督した作品らしく、心温まる物語になっていました。
余命いくばくもないふたりが、残された人生でやりたいことをやってみる。その間に、肌の色を超えた本物の友情が芽生えていきます。
死ぬまでにやってみたいこと。
ぼくには何があるのかな? と考えてみたんですが、どうでしょう。映画のように、まだ元気で普通のことができるという条件のもとでなら、以前から口にしている「アメリカン・ルーツ・ミュージックの旅」と、あとはもう一度ニューヨーク大学に戻って、途中で中断してしまった勉強を続けてみたい、といったことぐらいしか思い浮かびません。でもこういうことって、いまだってやる気になればできるわけですから、「これは!」というものではないかもしれません。
4年前に倒れたとき、「心残りはあるけれど、まあ悪くない人生だった」と思いました。その思いはいまも変わっていません。その後の4年でさらに楽しいことやいいことがいろいろあったので、いま死んでも悔いはないという心境です。
本当に恵まれていましたし、ラッキーでした。そういうこともあって、これからどうしてもやってみたいことが思い浮かばないんでしょう。買いたいものや食べたいものはありますが。
誰だってやがて死ぬことはわかっています。しかし。期限を決められているひとと、いつか死ぬと思っているひととでは、考えも違うでしょうし、1日の重みも違うでしょう。そろそろ幕引きも近くなってきたな、とは思っていますが、それでもはっきりしていないだけに、まだいい加減に生きているぼくです。
日々、細かいことでくよくよしたり、落ち込んだりはします。しかし「大局的に見れば、そんなことどうだっていいや」と思い直します。気持ち的には強くなりましたね。投げやりかもしれませんが。ほんと、ほとんどのことがどうでもいいんです。どうせ、最後は死んじゃうんだから。
4年前から、そういう風に考えるようになりました。まあ、無責任になったということです。どのみち、ぼくに期待しているひとなんていないんですから。この考えが重要です。自分を過大評価すると、いろいろと気になることが増えるっていうことに気がついたんです。このところ「テキトーに生きる」宣言をしていますが、根幹にある思いがこれです。
それで、いま思いついたのですが、死ぬまでにやりたいことは、この映画に出てくるような本当の親友を作ることでしょうか。
最後にもうひとつ、この映画でジャック・ニコルソンは「遺灰をチョコ・フル・オー・ナッツのコーヒー缶に入れてくれ」といいます。このジョーク、いまの若いアメリカ人には通じないかもしれませんが、ぼくは思わずにやりとしてしまいました。ぼくの世代のアメリカン人なら、この缶の有名な使い方を思い浮かべたんじゃないでしょうか? ぼくが好きなロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズにも、ずいぶん前の話の中で、この缶の使い方が出てきます。