
この間まで大量の原稿を書いた結果、ここ数日でドドッとそれらがゲラになって戻ってきました。本日までに手元に来ているのが3種類。明日か明後日にはもうひとつ届きます。
GWにニューヨークでチェックするつもりだったんですが、こうなったらGW前にチェックして返却することになります。これから10日間、レギュラーで書いている雑誌の原稿や、そこそこの本数のライナーノーツの執筆もあるので、これはこれで大変ですが、やることがあるっていうことは嬉しいし、楽しいことでもあります。

本業も含めて、フリーランスで仕事をしているぼくには、仕事がこなくなることが一番恐怖ですね。だから来るもの拒まず、なんでもやります。本業だって、日給の日雇い労務者ですから、病気になったらその日から収入が途絶えます。ニューヨークに行っている間も収入がありませんし、いつクビを宣告されるかもわかりません。
幸い、いまのところそれぞれの病院の院長が理解のある方たちで、なんとかクビは繋がっています。しかし、昨今の厳しい医療状況では先行きどうなるかわかりません。とくに整形外科は厳しいので、お先真っ暗ですね。

ですから、仕事があるのはありがたいことです。内容なんか選べません。といいながら、頼まれる仕事で「いやだなぁ」と思うのはひとつとしてありません。すべて、「おお、これはやってみたい、書いてみたい」と思うものばかりです。こんなに素敵な状況で、申し訳ないほどです。
でも、だからといって内容が素晴らしいものになるとは限りません。そこが一番の問題です。これは能力のなさで、お金を払って読まされたら怒るひともいるでしょうね。実際、ぼくの文章なんて読みたくもないと思っているひとはたくさんいるはずです。しかし前にも書きましたが、すべてのひとに気に入られる文章は書けません。それを突き詰めていくと、「誰のために書いているのか」ということになります。
居直ってしまうなら、「自分のために書いている」ということになるんでしょうね。傲慢かもしれませんが。別にこんなことは普段考えもしませんし、意識もしません。でも、どんなひとが読んでくれるのかわからないんですから、自分が気に入るように書くしかありません。ということは、結局は「書きたいように書く」ということです。一番イージーな方向に落着しちゃいますが。

「こんなにたくさん本を出してどうする」と自分でも思います。しかし、出せるときに出さないと。次の保障ははないんですから。本当はうまいバランスでちょこちょこ出すのがいいんでしょうが、そこはアウト・オブ・コントロールで、自分にはどうしようもできません。これも自然の流れに沿うのが一番です。
ぼくの場合、自分で意図してなにかをするとろくな結果になりません。ですから、こういうことにはとても受動的で、与えられた仕事、与えられたチャンスを黙々とこなしていくだけです。
やれる仕事があるのは嬉しいことです、しかもそれが毎日の楽しみになっているんですから、こんなにありがたいことはないですよね。これも、このブログを読んでくださっている方を含めて、ぼくの周りにいるすべてのひとたちのお陰と感謝しています。
そう思いながら、しばらくはゲラ三昧です。楽しいなぁ。