昨日は家から歩いて「サントリー・ホール」まで行ってきました。麻布十番から飯倉を抜けて40分ほど。少し物足りない感じでしたが、ここのところ時間があれば部屋にこもって原稿書きに精を出していたので、気分転換と思い、早めにアパートを出て、ホール近くのスターバックスで、プリントアウトした原稿のチェックもしてきました。
ありがたいことに、師走に入ってドドーンと原稿の依頼がきました。なにしろライナーの翻訳が10本、書下ろしが9本、そのほかにレギュラーの原稿もいろいろあります。おまけに全音楽譜出版社から来年出す本の執筆に入ったため、こちらのテンションも落としたくないので、毎日少しずつ書いています。そういうわけで、本業、食事、ウォーキング、睡眠以外はほとんど執筆に時間を当てるようになりました。
全音以外は年内。ということは、なるべくニューヨークに行くまでに書きたいと思っています。そうはいってもあと4~5日しかないので、どうなることやら。とかいいながら、目下の優先事項はこのブログを書くことなので、こちらの更新も中断せずに行こうと思い、こうやって自分で自分の首を絞めているわけです。
気もそぞろでしたが、昨日はカウント・ベイシー・オーケストラを観て、リフレッシュしてきました。9月に「東京JAZZ」で観たデューク・エリントン・オーケストラと同じで、こちらもリーダー亡きあと、その伝統的なサウンドをしっかりと守っている印象が強いオーケストラです。ですから、発展性はありません。それをよしとするか、つまらないとするかは、聴き手が何を求めているかによります。
ぼくは、現在のベイシー・オーケストラに新しいビッグ・バンド・サウンドは求めていませんから、これで十分楽しめました。こういうのはクラシックと同じで、再現性に意義があると考えています。まあ、新しいビッグ・バンド・サウンドが聴きたくて会場に足を運んだひとはまずいないと思いますが。
伝統とはいいものですね。つくづくそう思いました。ジャズは伝統と切り離しては成立しない音楽と思っています。こういうオーケストラやサウンドを多くの人が愛し、楽しんでいる姿に触れると、こちらまで嬉しくなってきます。やっぱりジャズが好きでよかったと思う瞬間のひとつでした。
個々の技量とか、音楽的にどうだとかいうことを言い出したらきりがありません。そんなことをいうのも、この場合は野暮の骨頂だと思います。ベイシー・オーケストラの伝統的なサウンドに触れられた、いいチャンスでしたから。
それで思い出したのが、その昔、まだベイシーが健在だったころに聴いた演奏です。サークル・ラインといって、マンハッタンを一周するクルーズがあります。東京湾の遊覧船みたいなものです。1周で3時間くらい。西47丁目あたりの埠頭から夕方に出発して、まずは南下し、ワールド・トレード・センター・ビルなどの夜景を楽しみます。
このクルーズ、玉に瑕なのが後半です。前半は超高層ビルが次々と登場して最高ですが、後半はビルもなくなり、ハーレム・リヴァーに近づくころにはほとんど森になってしまいますから、真っ暗でなにも見えません。
ところが、それを見越して、ちゃんとエンタテインメントが用意されています。そのときに登場したのがベイシー・オーケストラでした。豪華でしょ。デッキはダンス・フロアに模様替えされて、ベイシー・オーケストラのご機嫌な伴奏でダンス・ホールになりました。こういうのもアメリカ的な伝統でしょう。
その昔、カンザス・シティからニューヨークに出てきたベイシー・オーケストラはハーレムで最高のダンス・ホールだった「サヴォイ・ボール・ルーム」で人気を博します。そんなことがイメージできたクルーズで、ぼくはそのときの光景を一生忘れません。
日本でも、クルーズは無理でも、どこかのホテルでベイシー・オーケストラによるダンス・パーティが企画されるといいですよね。小僧でやってくれないかなぁ。