2日目は8時半にホテルを出発して、カメラマンが運転する車で北上。ハドソン川に沿ってどんどん上がっていくと、やがてキャッツキルになって、その先がウッドストック。ぼくの世代がロック少年だったころに、ここは聖地だったところ。実際にあのフェスティヴァルが行なわれた場所は、ウッドストックでなくてその近くだったんですが。
そうかこの辺だったのか、としばし追憶に浸っていたところで車はキングストンというインターチェンジで一般道へ。このあたりはハドソン川の源流ということで、田舎ののんびりとした街並みが続きます。やがてソニー・ロリンズが住んでいるジャーマンタウンに。
ところが問題がひとつ。どういうわけか、完璧な住所をぼくたちは持っていなかったんですね。通りの名前はわかっていたんですが、ハウス・ナンバーが書かれていない。アメリカのエージェントから届いたe-mailには、コンビニの角を左に曲がり、そこからしばらく行くと信号があるとか、黄色い家のすぐそばに青い納屋のある家があって、それがロリンズ邸だとか、まるでオリエンテーリングをしている感じ。
道がわからず約束の時間(12時)に遅れたなんてことになったら一大事と、とにかくそのあたりを行ったり来たりしながら探しました。まあ、電話番号は貰っていたんで最後は電話をすればいい話なんですが。
それで、20分くらいうろうろして、ようやく目的の家を見つけました。そこで、一服入れようと、迷っている途中で唯一見つけたデリみたいなところで早めの昼食。こんな田舎に日本人が4人も来るなんてことはまずないでしょうから、店のひとも驚いたみたい。
でもマンハッタンとは違うホスピタリティで、こっちが本当のアメリカの姿かな? などと思いつつ、再びロリンズ邸へ。
12時ぴったりに着いて、車を玄関の前に止めると、ぼくたちの気配を察してロリンズがドアを開けてくれました。これまでに何度かインタビューはしているけれど、もちろん彼の家にまで行ったのは初めてのこと。恐縮して挨拶をすると、「ああ、君とは何度もインタビューしているね、ニューヨークでも東京でもやったよね、マイ・オールド・フレンド」と、天にも昇るような言葉で、挨拶を返してくれました。
ロリンズとのインタビューは、いつもそうなんですが、とても気持ちよくできます。それは彼が誠実で、どんな質問にも一生懸命に考えてくれるから。ジャズの世界ではとっくの昔に大巨人になっているのに、驕りや高ぶりが一切ないひとなんですね。
インタビューの内容に興味があるかたは、9月25日発売の「月刊プレイボーイ」をお読みいただくとして、もう少しロリンズのことを。
昨年ですが、彼は長年連れ添った最愛の夫人を亡くしました。現在はこの家にひとりで住んでいます。週に何回かはお手伝いさんが通ってきて、身の回りの世話をしてくれるとのことでしたが、料理は自分でしているとか。
それですっかり気落ちをして、体力も落ちてきたし(現在75歳)、今後は活動も縮小しようかと、ちょっとファンにとっては寂しい話も出てきました。9.11のこともショックだったようですし、いろいろと考えることが多く、インタビューが終わってからも、生まれ変わるなら何になりたい? と質問されたりしました。しかし、最後と言われている10月末の日本ツアーは楽しみにしている様子で、最高の演奏をするからね、と言ってくれたのでひと安心。
ジャーマンタウンでのロリンズは、ひっそりと暮らしている様子でした。奥さんが元気だったころも、あまり外には出かけず(と言っても出かける場所もあのあたりにはなさそうですが)、ツアー以外のときは家で悠々自適な暮らしをしているようです。
青い納屋に見えた建物は、スタジオに改装されて、そこで曲を書いたり練習をしたりする場所になっていました。広い庭は手入れが行き届いていて、そこで天に向かってテナー・サックスを吹く写真も撮らせてもらいました。小さなプールもありましたが、今年は使っていないとのこと。
そんなこんなで予定の2時間を30分ほどオーヴァーして、ぼくたちは10月に東京でまた会いましょうと固い握手をしてから、ロリンズ邸を去りました。帰り道は途中から渋滞につかまり、ホテルに戻ったのが7時半。
心地よい疲労と共に、いいインタビューができてよかったという充足感をみんなで味わいながらEl Faroという、これまたよく行くスパニッシュ・レストランで打ち上げです。ここでは、当然パエリアを頼みますが、そのほかにグリーン・ソース(ロブスターとかシュリンプとか海鮮などの種類がある)もオーダーして、これをパエリアにかけながら食べます。あとはチキン・ヴィラロイというクリーム・ソースが入ったチキン・カツも美味しいんですが、これはコレステロールを控えなくてはいけないぼくには毒なので、泣く泣く諦めました。あとはムール貝とかハーモン(生ハムの一種?)とかをおつまみにとって、これで満腹。
仕事が上手くいったせいか、ついつい長居をして、店のひとが帰るまで居続けてしまいました。明日は帰国なので、今日はジャズ・クラブには行かず、そのままホテルに戻り、これで今回のニューヨーク行きは無事終了と相成った次第です。
「東京JAZZ」、来年は行きますからね。