昨日はお気に入りの六本木「TOHOシネマズ」で『パイレーツ・オブ・カリビアン~ワールド・エンド』を観てきました。積極的に観たい映画ではなかったんですが、キース・リチャーズが出ているし、以前に飛行機の中でも1本観ていたので、一応観ておこうかな? といった感じで映画館に行ってきました。
子供向けの『ダイ・ハード』といったところでしょうか。でも話が目まぐるしく展開するので、わかったようなわからなかったような内容でした。最後はちゃんとジャック・スパロウが勝つので、その間の活劇を楽しめばいい映画です。やっぱり映画でしか表現できない世界ですから、そういうものには点数が甘くなります。
今回は世界中の海賊が総動員されているので、律儀に物事を考えたいぼくとしては、かなり頭の中が混乱しました。誰が誰かをきちんと把握しないと楽しめない性質なので、仕方ないんですが。
キースはほとんど地で演じているような感じで、短いシーンながらせりふもいくつかあって面白かったですね。ジャック・スパロウの父親の設定です。皺だらけの顔がメークなのか本物なのか、そんなことが気になってしまうのはストーンズのファンくらいなものでしょう。劇中でギターも爪弾きます。でもサーヴィスだったら、もうちょっとちゃんと弾いてほしかったですね。
地で演技できるミュージシャンでは、なんと言ってもマイルス・デイヴィスでしょう。『ディンゴ』やTVシリーズの『マイアミ・ヴァイス』に出てきた彼は、とても演技していたとは思えません。
デクスター・ゴードンもそうですね。『ラウンド・ミッドナイト』のデイル・ターナーは、ニューヨークの「ヴィレッジ・ヴァンガード」で、隣にすわっているぼくをからかっていたデクスターそのままの感じでした。でも『レナードの朝』では、痴呆の老人役だったので、演技はしていたようです。それでも仕草はいつものまんま。そういうのをスクリーンで観ると嬉しくなってきます。
残念ながらキースとは個人的に面識がないので、地のまんまかどうかはわかりません。でもチャーリー・ワッツのインタヴューで一度だけ超接近遭遇したときの感じととても似ていたので、やっぱり意識的には演技していないかもしれません。なにせ、こういうひとたちは普段から立ち居振る舞いやキャラクターが役者然としていますから。
それでこの映画を観て、また課題ができたことに気がつきました。ぼくはビートルズとストーンズの音と映像に関してはコンプリート・コレクションをライフワークにしています。それも、英(最近はEUも加えました)・米・日でリリースされたものはすべて揃えます。そういうわけで、このDVDも3種類、たぶんスペシャル・エディションも出るでしょうからそれらも含めてそのうち買わねば、と決意して帰ってきました。
馬鹿なことは重々承知です。おとといですが、ある雑誌にインタヴューされたときも、「他人から見たら無駄だ、馬鹿だ、阿呆だと思われるくらいじゃないとコレクションとはいえない」、「道楽というのはどれだけ無駄なお金を使うかで価値が決まる」、「他人には評価できないものの方がコレクションや道楽としては価値が高い」などと自分勝手な屁理屈とも自分への言い訳ともつかないことを話してしまいました。
文化はパトロンが支えてきた歴史があります。ぼくはパトロンになれるほど大金持ちじゃありませんが、無駄を承知でお金を使い、それで少しでも文化に貢献できれば本望です。
レコードやCDを一切買わなければ、かなりの豪邸に住んでいたことでしょう。でも豪邸はなくても、心の中には誰にも負けない豪邸を持っているつもりです。後悔はまったくしていません。これまで本当に楽しい人生が過ごせてきて、これからもきっと楽しく生きていけることを考えれば、豪邸を持つことなんてとても小さな夢に過ぎません。
ひとの価値観はさまざまです。ぼくの場合は、ごくたまに後悔することもありますが、おおむねこういう無駄遣いがいい方向につながってきました。お金は天下の回りものです。死ぬときは死ぬんですし、働けなくなったらレコードを売って食いつないでいけばいいんです。何とかなるでしょう。