まずはご報告から。新刊の『愛しのジャズメン』ですが、配本日が9日と決まりました。したがって書店に並ぶのは早いところで10日になります。ただし、音楽書ですから大きな書店以外は置かれないでしょう。置かれる場合も、即日という店はほとんどないと思います。でもこれでやれやれ、ですね。
さて、本日の本題に入りましょう。昨日はマデリン・ペルーのライヴを観てきました。場所も去年と同じで渋谷「QUATRO」。会場に入って最初に気がついたのは、喫煙エリアが後方に設定されていたことです。分煙でないから意味はありませんが、これもはじめの一歩で、店側がそういうことにも配慮するようになったということでしょう。
前回は前のほうには混んでいて行けなかったのですが、おかげで今回は至近距離で観ることができました。去年のライヴもブログに書きました。そのときも注目させられたのがギターの腕前です。ソロはほとんど弾きませんが、今回は指の動きまで観えたのでそちらにも目を奪われました。彼女、ジャズのコード・プログレッションがわかっているようで、かなり難しいコード・ワークも軽々とこなしていきます。
とはいうものの、魅力はやはり個性的なヴォーカルにあります。ノラ・ジョーンズもお気に入りですが、ぼくはマデリンにもっと好ましいものを感じています。しかし、やはりグラミー賞で8部門受賞にはかないません。実力ではマデリンが上だと思うのですが、それでもいまだに彼女は「QUATRO」のステージで甘んじていなければなりません。
もっともノラのようなスターになってしまったら、こうしたインティメートな雰囲気ではなかなか味わうことができなくなるでしょう。だからこのままでいいと思う反面、この素晴らしい存在をもっと多くのひとに聴いてもらいたいという思いもあります。
マデリンの歌は、ジャジーではあるけれど生粋のジャズ・ヴォーカルではありません。ルート・ミュージック的な志向が強いといえばいいでしょうか。フォーク・ミュージックのような素朴さが強い個性に結びついています。しかも、白人なのにビリー・ホリデイの声や節回しを思い起こさせます。ただし、ビリーのように情念的ではありません。さらりと歌い流すところがマデリンの味です。
初期のマリア・マルダー、あるいはジョニ・ミッチェルとかジュディ・コリンズに通じるヴォーカル。ステージを観ながらそんなことを思っていました。オールド・タイミーなジャズ・ソングとでもいうんでしょうか。
古い歌をうたっているわけじゃないんですが、どこかにレトロを感じます。ただし、ノスタルジアとはちょっと意味合いが違うんですね。ぼくの中での「レトロ」にはモダンな感覚が含まれています。「ノスタルジア」は昔の思い出ということで、現在とは無関係のものと勝手に決めています。
古くて新しい。それがマデリンの歌です。こういう感覚は、ノラ・ジョーンズのヴォーカルを聴いても生まれてきません。ちなみにこういうことって、まったく思いつきで書いています。この文書を書く前は、マデリンとノラの比較なんて考えてもいませんでした。さらにいま気がついたのですが、この「レトロ」感覚はマリア・マルダー、ジョニ・ミッチェル、ジュディ・コリンズの歌にも認められます。さらにいうなら、昨日マデリンが歌ったトム・ウェイツやニルソンの歌もそうです。
いつものことですが、文章を書いていると考えがまとまってきます。即興演奏をしながら、最後にうまくまとめるのと同じです。この文章がうまくまとまったかどうかはわかりません。でもぼくがマデリンの歌に感じる魅力は、とどのつまり「レトロ」なヴォーカルや彼女が醸し出す雰囲気にあったんですね。そのことが、この文章を書いているうちにわかってきました。
決して都会的な洗練された感じはありません。土の香りがする田舎のお嬢さん、というか気さくなお姉ちゃんのイメージです。たとえば、地方都市のドライヴインとかダイナーで働いているウェイトレスとか。
何らかのイメージを抱かせてくれる存在は評価に繋がります。マデリンの歌や立ち居振る舞いやMCは、ぼくにとってさまざまなイメージやストーリーを感じさせてくれるんですね。こういうひと、最近は少なくなってきました。
去年出た『ハーフ・ザ・パーフェクト~幸せになる12 の方法』もよかったですし、その前の『ケアレス・ラヴ』もご機嫌な内容でした。1996年にデビュー作の『ドリームランド』を出していますから新人ではありませんが、この間に出たアルバムが3枚ではもの足りません。これからはコンスタントに新作が登場してくると思います。そんなことを考えながら、昨日はハッピーな気分で家に帰りました。