このブログでも何度か書いてきましたが、単行本の『愛しのジャズメン』(東京キララ社)の発売が遅れています。3月中には何とか出してほしいと思っていますが、まだはっきりとしためどは立っていません。とくにトラブルがあるわけじゃないのですが、出版社の段取りが思惑どおりに進まず、いまにいたっても発売日が決まりません。
昨日もらったメールによれば、今週末には何とか表紙を完成させるそうですし、これまで宙に浮いていた販売の取り扱いも、いままでどおり三一書房で発売してもらうことになったそうです。
なにぶん相手がいることです。こちらの思いどおりに物事が運ばないこともあるでしょう。仕方がありません。それに比べれば、こちらの「愛しのJazz Man」はひとりでやっていることのなので、自分の思いどおりになんでもできます。
そういうわけで、2月もきっちり4回、小僧comに掲載することができました。以下はそれらの冒頭部分です。
#030:Michael Cuscuna マイケル・カスクーナ(producer)
ブルーノートの膨大な未発表テープを調査・整理・発表したのがマイケル・カスクーナだ。彼はもともとロックのプロデューサーで、ボニー・レイットのアルバムなどを制作していた。そのうちジャズとのつき合いも出てきて、シカゴのデルマーク・レーベルなどでブルースとジャズのプロデュースを開始する。またロック史を飾るグループ、ドアーズの司会も務めており、彼らが発表したライヴ・アルバム『アブソルートリー・ライヴ』(エレクトラ)にはその模様が収録されている。
カスクーナの自慢はドアーズの司会をしていたときのエピソードだ。野外の大会場でコンサートがあったときである。バンドの登場をいまかいまかと待ち構えたいた数万の聴衆を前に、彼はいたずら心を発揮して4文字言葉の「F★C★」を絶叫した。すると、会場がこの大合唱でこだましたという。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00030.html
#031:Lorraine Gordon ロレイン・ゴードン(jazz club owner)
創業70年以上が過ぎたニューヨークのジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」を仕切っているのがロレイン・ゴードンである。オーナーで夫のマックス・ゴードンが死去した1989年以降は、彼女が女主人としてこの《世界一のジャズ・クラブ》と呼ばれる人気スポットを現在までしっかり受け継いできた。
ロレインがゴードンと結婚したのは1957年のことだ。それ以前、彼女はブルーノートの創業者でプロデューサーだったアルフレッド・ライオン夫人として知られていた。もともと熱心なジャズ・ファンだった彼女は、それが縁でライオンと結ばれている
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00031.html
#032:某日本人カメラマン(photographer)
つき合っているフォトグラファーは何人もいるが、ライスの愛称で親しまれているこのひとほどジャズ・ミュージシャンの懐に飛び込んでいくカメラマンは珍しい。内外のアーティストやジャズ関係者から「ライス」、「ライス」と親しみを込めて呼ばれ、本人のひと懐っこい性格も重なり、彼はどんなに気難しいアーティストからもいい笑顔を引き出してみせる。
「写真は趣味」といい切るだけあって、多くのミュージシャンが集まってくるフェスティヴァルでは、昼間の空き時間に自分が撮影したいミュージシャンのフォト・セッションに精を出す姿もよく見かける。ライスに撮ってもらいたいと希望するミュージシャンもいるのだからたいしたものだ。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00032.html
#033:Michael Brecker マイケル・ブレッカー(ts)
敬愛するマイケル・ブレッカーが長い闘病生活の果て、1月13日にこの世を去りました。以下の文書はぼくのブログで紹介したものですが、マイケルの冥福を改めて祈りたいことと、彼もぼくにとって大切な「愛しのJazz Man」であることから、ここに一部を転載し、この連載の一章につけ加えたいと思います。
ぼくが1990年代初頭にプロデュースした作品で、テナー・サックス奏者のボブ・ミンツアーをリーダーにしたものがある。彼とは2枚のアルバムを作ったが、2枚目では歴代のテナー・サックス奏者にトリビュートしようということになった。そこで同じテナー・サックス奏者のマイケル・ブレッカーにゲストとして入ってもらい、テナー・バトルをやってみようではないかと提案してみた。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00033.html