
シンコー・ミュージックから発刊されているロック系の季刊誌『THE DIG』の第47号(2007 WINTER:現在発売中)で、拙著『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』(東京キララ社刊)が「2006年“音楽書籍”私的ベスト10」で、驚くことに第一位に選ばれています。「私的」ということで、杉原志啓さんという音楽ライターのかたが選んでくださいました。
「レコードを蒐集する、“音”へ生涯を賭けるとはどういうことか。進学先から職業、あるいは留学先まですべてこの観点から組み立てられた人生を綴る本、それが小川隆夫『ブルーノート・クレクターズ・ガイド』だ。眼目はテキストの半ばを占める自伝的エッセイ『完全コレクターへの道のり』。これぞ本年、全分野レコード・ファンに大推薦の著述である」

何とも面映いお褒めにあずかり恐縮至極です。それにしても、なんとお馬鹿な人生を送ってきたことか。ぼくの親族一同は、この本を読んで全員がのけぞったそうです。まさかここまでとは思っていなかったんでしょう。
しかし、こういう言葉は有り難いです。ジャズ系のライターにはまったく無視されているぼくおよびぼくの本ですが、ジャズ畑でない方がこうやってきちんと読んで評価してくれたことに、身にあまる光栄とただただ感謝するばかりです。それと、ロック系の雑誌で取り上げてもらえたことも嬉しく思います。

ぼくにも、音楽の雑誌で「今年のベスト」などを選ぶ仕事が毎年いくつかあります。自分がCDをプロデュースしていたこともありましたし、いまは本を出していますので、1票の重みをいつも強く感じています。
また、あちこちの雑誌などでディスク紹介もすれば、本の紹介もしますし、たまにはコンサート・レヴューも書きます。いつも書かれたひとがどう思うか、そのことを念じて失礼のないようにしてきました。
最近では、音楽系の雑誌が大半ですが、ぼくの本について書評を書いてくださる方もいます。ほとんどの方が、ぼくに次なる勇気を与えてくれる内容で、これにも感謝しています。

書く立場と書かれる立場。ぼくはいま両方の立場にいます。ところが周りを見回すと、「評論」と「紹介」を混同していたり、その違いさえ考えずにものを書いているひとが沢山いるように見受けます。これは自分のことも含めて、です。
もっと大きな視点から見れば、個人で開設しているブログやHPなど、いまでは驚くほど多くのひとが、何かを書いて世の中に自分の思いや考えを伝えることができるようになりました。
ぼくは、基本的にどこで何を書いても構わないと考えています。ですから、このブログでも、仕事で頼まれた原稿でも、いつも書きたい放題です。誰にも遠慮することなく、思っていることを書きます。ですが、ひとつだけルールを作ってきました。それは、「特定の個人を不快な気持ちにさせない」ことです。
大半のひとが、暗黙のうちにこのルールにのっとっていろいろなことを書いています。それが証拠に、このブログに書き込まれたこれまでのコメントで、ぼくはひとつもいやな気分を味わったことがありません。スパムみたいなものは別ですが。
今日も話が脱線しています。ですが、もう少し支離滅裂なことを書いておきます。
「批評」という言葉には、どことなくネガティヴな印象を受けます。あるいは、高所からものを見ているような感じを覚えます。実際はそうじゃないこともわかっていますが、とくにジャズについて書かれる文章では、一部ですがそういう思いを強くします。まあ「ジャズ・ファン全員評論家」みたいな傾向がありますから、それはそれでいいんでしょうけれど。
ただし、原稿を書いてお金をもらうプロの場合、「評論家」を名乗るなら、きちんと評論してほしいと思います。ジャズに限らず、音楽に限らず、あらゆるジャンルで「評論家」もしくは「評論」という言葉がとてもイージーに使われているように思います。おそらく、「評論」をすることの意味や怖さを考えず、ただ何となく「評論」という言葉を使っているひとが大半だと思います。
そういう思いから、ぼくは「批評家」あるいは「評論家」とは決して名乗りません。たまたま、誰かが勝手にそう呼ぶ場合は、そこまで目くじらを立てて修正を迫ることはしませんが。とにかく、ひとさまに威張れる「評論」などぼくには書けません。ぼくのは「感想文」です。もしくは「紹介文」ですから。
それともしぼくが「評論家」を名乗るなら、レコード会社からサンプル盤をもらうことはやめます。コンサートのチケットも自分で買います。何らかの供与や便宜を受けることは「評論」をする上で潔しと思わないからです。
そうじゃなければ、ニュートラルな視点での「評論」など書けないでしょう。これとてぼくのまったく勝手な考えですから、「評論家」諸氏には異論・反論があると思います。それもまたよしです。こういうことで正しい考えとか正解なんてあり得ないからです。
てなことを書いていますが、何も考えずに「評論家」を名乗っているひとを糾弾しているわけじゃありません。そこは勘違いしないでください。人物ではなくて、「何も考えずに何かをする」行為に抵抗を覚えている、ということです。しつこくて申し訳ありませんが、前に書いた「名盤」の話や「あるある」のことと、これも土壌や発想が同じように思えます。
ただし、そういうぼくも何も考えずに文章を書いていますから、同じ穴のむじなではあるのですが。まあ、人間は矛盾する生き物ということでしょう。でも、ときどきこんなことでも書いて、自分の姿や行為を見つめ直すことも必要かな? なんて思います。このブログは、そういうことをする上で重宝しています。
ですから、糾弾することも、それを「正しなさい」というつもりも毛頭ありません。だって、ひとそれぞれですから。「放っておいてよ」とでもいわれるのが関の山でしょう。で、ぼくも誰かに何かをいわれたとしても、「放っておいてよ」といいながら、そのあともこのように勝手な文章を書いていくと思います。
またまた、何をいいたかったか、自分でもわからなくなってしまいました。
今日のテーマは、「THE DIG」で第一位に選ばれたことの御礼と、その自慢がしたかっただけで、それ以外に他意はありません。あとは、単なる思いつきで書いてしまいました。