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川隆夫の JAZZ BLOG
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©Kozocom (photo by Shuichi Kasahara)
職業:JAZZジャーナリスト、整形外科医、DJ

ニューヨーク大学の大学院在学中にアート・ブレーキーやマルサリス兄弟など数多くのミュージシャンと知り合う。帰国後、JAZZを中心に約3000本のライナーノーツを手がけると共にJAZZ関連の著書を多数出版。ブルーノートの完全コレクターとしても有名。その他、マイルス・デイヴィスやブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンの来日時の主治医を勤めるなど、現役の整形外科医としても第一線で活躍中。

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2007-02-10 あれから20年
2007-02-10 あれから20年_e0021965_23593134.jpg
 ブルーノートの創立者アルフレッド・ライオンがこの世を去ってから、早いもので20年が過ぎました。彼は1986年8月に最初で最後の来日を果たしています。それからわずか半年後の87年2月2日午前8時、サンディエゴ市内のポメラード病院で眠るように息を引きとったそうです。
 サンディエゴでのメモリアル・サーヴィスには、親友だったホレス・シルヴァーをはじめ、リード・マイルス、ギル・メレといったゆかりのひとが参列し、11日にはニューヨークのセント・ピータース教会でもメモリアル・サーヴィスが行なわれました。ライオンの遺体は、ルース夫人と少数の知人が立ち会って、翌12日、母親と親友のフランシス・ウルフが眠るニュージャジー州パラマスにあるベス・エル墓地に埋葬されます。

2007-02-10 あれから20年_e0021965_2359504.jpg
 ぼくは縁あってライオンと知己を得ました。そのときのことはあちこちで書きましたので繰り返しません。そして、あるとき、思い立ってライオンの伝記とブルーノートのストーリーをたどる『ブルーノートの真実』を書くことにしました。
 それまでに集めたライオンやルース夫人をはじめ、このレーベルにかかわった多数のミュージシャンや関係者の話をまとめて、大好きなブルーノートというレーベルの紹介とライオンへのオマージュとしたかったからです。そのためには、どうしてもライオンが埋葬されている墓地も訪ねてみたいと思いました。
 マンハッタンからジョージ・ワシントン・ブリッジをわたってニュージャージーに入ります。ルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオでお馴染みのハッケンサックやイングルウッド・クリフスを通り抜けて少し行くと、パラマスという小さな街に入ります。亡くなる半年前に10日間近く行を共にしたライオンがここで眠っている。寂しいような懐かしいような、言葉ではいい表せない思いで胸がいっぱいになりました。

 事務所でお墓のある場所を調べてもらいました。それである程度の見当はつきましたが、正確な場所がわかりません。その一画までいって、あとはひとつひとつの墓石を調べなければなりません。しかし幸いなことに、比較的前方にライオンのお墓はありました。
2007-02-10 あれから20年_e0021965_054731.jpg
 ウルフのお墓も同じ区画にあるとのことでした。ライオンより15年ほど前に亡くなっていることから、もっと後方を探したところ、ありました! 同じように質素な墓石で、雑草に下半分が埋まっていました。親友同士は10メートルほどの距離で安らかに眠っていたのです。その後はライオンのお母さんのお墓も探したのですが、再婚していたため苗字が違うのでしょう。名前がわからないため、見つけることは諦めました。
2007-02-10 あれから20年_e0021965_002477.jpg


 現地に行ってみると、わかることっていろいろあります。ハッケンサック、イングルウッド・クリフス、パラマスあたりはジューイッシュの街のようです。裕福な感じではありません。パラマスはとりわけ貧しい街の印象でした。
 どうしてライオンがプリマスの墓地に埋葬されていたのでしょうか? 彼はブルーノート時代の後半、そして引退してからの数年間、この街に住んでいたからです。ここが第二の故郷だったのでしょう。そしてこの街にある貧しいジューイッシュ専用の墓地に埋葬されていたことで、ぼくはさまざまな思いにとらわれました。
 ブルーノートのオーナーでプロデューサー。聞こえはいいです。しかし、ライオンはすべての財産をレーベルの運営に注いでいました。豊かな生活なんか望んでいなかったのです。
「好きな音楽とミュージシャンに囲まれているのが何よりの財産」
 日本で語っていた言葉を思い出しました。
 ヴァン・ゲルダー・スタジオが近くにあったことも、この街に住んでいた理由です。ライオンとヴァン・ゲルダーの友情も、ここまで来て初めて実感することができました。ライオンは私生活のすべてをジャズに捧げていたのです。

 ルース夫人から、「ライオンが危ない」という話はしばらく前に知らされていました。そして、日本の関係者もその日が来ることを覚悟していました。ぼくは、重い心臓病を患っていたラインが、無理をしてまで日本に来てくれたことに感謝すると同時に、医師として取り返しのつかないことに加担したのではないかと自責の念にかられました。
 しかし、しばらくしてルース夫人から暖かい手紙をいただきました。

2007-02-10 あれから20年_e0021965_003715.jpg
 アルフレッドは、この世を去る直前まで、「マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル」で自分が撮った写真や、放送局から贈られたフェスティバルのヴィデオ・テープを繰り返し観ていました。
 アルフレッドが日本に行くといい出したとき、わたしは絶対に承服できませんでした。彼の体調は、サンディエゴから日本への長旅には耐えられないと思ったからです。何度も何度も反対しました。一度は主催者のかたに正式なお断りもしたほどです。それでも、アルフレッドはどうしても行くといって聞かなかったのです。
 これまで、わたしはアルフレッドの体調を思うあまり、彼がやりたいことに随分反対してきました。いつもならわたしの意見を受け入れてくれましたが、このときは最後まで行きたいの一点張りでした。そこまでいうのならと、わたしも折れたのです。
 日本に着いた当初、わたしは心配で心配で夜もほとんど眠れませんでした。しかし、関係者のみなさんが献身的にアルフレッドの体調を気にかけて下さいました。そのことに心を動かされたことも再三です。
 そして何よりも嬉しかったのは、アルフレッドが心から幸せそうにしていたことです。あんなに嬉しそうな夫の顔を、わたしはこの20年間見たことがありません。それだけで、日本に行ったことが間違いでなかったと確信しました。
 最後の日々、アルフレッドは日本の思い出ばかりを口にしていました。日本行きが彼の死期を早めたかもしれませんが、いまとなっては、アルフレッドが幸福な最後を過ごせたことに感謝しています。
 日本のみなさんがブルーノートを愛して下さっている──。そのことを肌で感じることができて、アルフレッドはどんなに幸せだったことでしょう。彼の人生は間違っていなかった。アルフレッドがわたしの前からいなくなったことは言葉でいい尽くせないほど寂しいことですが、彼は最後にとても大きな喜びをわたしに残してくれました。
 日本のみなさんが、これからもブルーノートのレコードを愛してくれることを、アルフレッドとわたしは願っています。

 この手紙はぼくの宝物です。ライオンの冥福を祈るとともに、失意のどん底にいたにもかかわらずこんな素敵な手紙を送ってくれたルースに心から感謝します。
by jazz_ogawa | 2007-02-10 00:16 | 平凡な日々 | Trackback | Comments(14)
Commented by こばやし at 2007-02-10 07:43
少し前に新生ブルーノートのブルース・ランドバル氏について記してましたけど、発足して間もなくライオン氏が亡くなった事もあって後を託された様な形になってしまいましたね。ライオン氏が最晩年に表舞台に出たり、小川さん達に話をしたのも何かを伝えたかったのかもしれませんね。
お墓の事ですが、ライオン氏は既にウルフ氏のが建てられていたからわかりますけど、ウルフ氏の場合はどのような経緯でそこに建てる事に下のでしょうか?やはり愛着のある土地にと言う事だったのでしょうか?ライオン氏の話が出てくるとライオン氏に比べて報われる事が少なかったウルフ氏の事もついつい気になってしまいます。
Commented by jazz_ogawa at 2007-02-10 12:10
こばやしさん、ウルフとライオンはこの街にある同じアパートに住んでいました。というわけで、地元の公共墓地に埋葬されるのが一番自然だったんじゃないかと推測されます。
Commented by だいすけ at 2007-02-10 14:09
86年というと私はまだ小学生でした・・・・。
クラシックファンの父がアナログでマイルスやブレイキーを数枚所有していました。そのジャケットにマジックで落書きをして引っ叩かれた記憶があります。おそらく、そのアルバムはブルーノートのマイルス1,2で、当時の子供には上の余白がまさに落書き用にしか思えませんでした。タイムマシンがあれば、自分自身でしばいてやりたい気分です。
20代半ばになって自分もJazzファンになったのでまだまだ新参者です。
一枚目の画像はライオン氏とフレディー・ハバードですか?
Commented by jazz_ogawa at 2007-02-10 22:10
だいすけさんもこのまま聴いていれば、人生は長いので、そのうちヴェテランのファンと呼ばれるようになりますね。ぼくの何倍もこれから音楽が聴けるんですから羨ましい限りです。
写真はおっしゃるとおり、若き日のフレディ・ハバードです。
Commented by こばやし at 2007-02-11 08:54
小川さんに質問があります。SJ誌1990年5月増刊「黄金のモダンジャズ時代」のハービー・ハンコックが紹介されているところの引用になるのですが、ハービー・ハンコックがデビュー作の契約をブルーノートから受けた時、印税無しの原盤買取で吹き込み料は100ドル、しかも彼が作曲した曲はすべてブルーノート出版に著作権の管理をゆだねるというものだったということなのです。
ドナルド・バードのアドバイスで後者は撤回させたという事なのですが、かなり会社側に有利な契約内容と思われます。ブルーノートが個人経営だからやむを得なかったのかかなり厳しい内容なのか他のレーベルと比較していないのでわからないのですが、小川さんはどう思われましたか?
Commented by jazz_ogawa at 2007-02-11 10:33
こばやしさん、上記の条件が正確な内容かどうかは知りませんが、もしそうだとしても、この契約、当時のことを考えれば、妥当なものだと思います。ブルーノートはわずかな例外を除いて専属契約を結んだひとはいません。年に50回くらいレコーディングしていたわけですから、余計なお金はありませんでした。ブルーノート的にはこれでも悪くないのでは? これはぼくの個人的な感想ですが。
Commented by 浦島 at 2007-02-11 16:45
小川さん
 初めまして。偶然、小川さんのブログを1ヶ月前ぐらいに発見してからのファンです。毎回読まさせてもらっています。そして、昨日、出張で行った札幌で『となりのウイントン』を買いました。実は昨年4月に左目が黄斑変成症という病気になってしまい、それ以来、仕事以外の本は1冊も読んだことがありません。と言うよりは、読まないようにしていました。でも、この本はそんなことをさせてはくれませんでした。列車の中で少しだけ読もうと考えていたのですが、止まらなくなり、結局、半分ほど読んでしまいました。小川さん、はっきり言って、何か夢のような人生ですね。このまま映画にでもなりそうな。小川さんは、私よりも2歳だけ年上ですが、同じ時代を生きた小川さんのような方がいるということを知り、とても勇気が出てきました。私は中学生のときにアート・ブレイキーとエルビン・ジョーンズの「ドラム合戦」を見たのが切っ掛けでジャズが好きになりました。これからも小川さんのブログを楽しませてもらいます。仕事をやりすぎて黄斑変成症にならないでくださいね。
Commented by こばやし at 2007-02-11 18:51
ハービー・ハンコックにしてもショーターにしても当時の新主流派と言われる人達の殆どがブルーノートで吹き込みをしてますけど、これは彼らがブルーノートの専属だったのではなく他のレーベルからお声がかからなかったという事なんですね。ブルーノートが世界一のジャズレーベルというからこの契約内容で?と思うのは今だから言えるんですね。だとするとプレスティッジやサボイ、それからベイシーがただ同然の契約をさせられたというデッカはよほどたちの悪いところだったんですね。
Commented by jazz_ogawa at 2007-02-11 18:52
浦島さん、過分なお言葉ありがとうございます。実際、自分でも驚くほどラッキーな出会いや素晴らしいひとたちとの交流に恵まれてきました。もう運は尽きたと思いますので、最近は体に気をつけて、なるべく無理しないように、そして楽しいことをするように心がけています。黄斑変成症は、専門外ですが、やっかいな病気であることは知っています。浦島さんもどうぞお体にお気をつけください。
Commented by jazz_ogawa at 2007-02-11 18:56
こばやしさん、たちが悪いかどうかは、そのときの状況にもよるのでわかりません。しかし、少なからず、当時、ジャズがビジネスになると考えていたマイナー・レーベルのオーナーはライオンも含めていなかったのでは? と思います。契約もワン・ショットが中心です。ただし、ブルーノートもそうですが、プレスティッジもアーティストによってはアドヴァンスを払っていました。そういうわけで、マイルスはコロムビア、モンクはリバーサイドへ移籍するのがスムーズに行きませんでした。
Commented by forcek at 2007-02-11 19:45
小川さん、ご無沙汰ですー無事にネットも繋がりました(笑)
「好きな音楽とミュージシャンに囲まれているのが何よりの財産」
ライオンのこの言葉がどこまでも胸に突き刺さりますね。
Commented by こばやし at 2007-02-11 20:03
すみません、以前雑誌等でジャッキー・まくり−ん我プレスティッジで、ジミー・スコットがサボイ在籍時にえらい目にあったという記事を見たものですから。当時と比べるとミュージシャンの待遇は良くなった反面、切られてしまう時にはあっさりしているんでしょうね。
Commented by jazz_ogawa at 2007-02-11 23:14
forcekさん、ネット繋がりましたか。
最近、forcekさんのBlogも更新されていなくて寂しかったです。コメントも楽しみにしていますのでよろしく。
Commented by jazz_ogawa at 2007-02-11 23:25
こばやしさん、たしかにプレスティッジに対して不満を持っていたひとはいろいろ知っています。というより、当時の黒人ミュージシャンにはプレスティッジに限らず白人のプロデューサーに搾取されている被害者意識もあったようです。その中で、ライオンはどんなときでもミュージシャン・サイドに立っていたため、金銭のことは別にして、信頼・尊敬されていたようです。ライオンについては多くのミュージシャンと接して感じたことです。ただし、それ以外のレーベルについてはどうだったのか、ブルーノートほど多くのひとに詳しく聞いていないので、あくまでぼくの印象です。そこのところ、誤解なきよう、お願いします。

PS:ただし、ブルーノートよりサヴォイのほうがギャラがよかったケースもあります。レーベルの待遇に対してミュージシャンがどう思うかには、個人で差があると思います。というわけで、ブルーノートよりプレスティッジやサヴォイのほうがよかったというひとだっているんじゃないでしょうか?
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