今月も総集編の時期になりました。単行本のほうは再校まで来ましたので、あと一歩です。2月下旬の発売を目指していますが、ぎりぎりセーフというところでしょうか。
2月24日に銀座で行なう「ONGAKUゼミナール」は、この出版に因んで「愛しのジャズ・マン」をテーマにするつもりです。こちらは単行本や小僧comの連載とは違った話をするかもしれません。文章にはならない小さなエピソードでも、話すことができますしね。
ということで、以下は1月分の総集編です。今月は正月明けの回が休みだったため、3回分です。
#027:Benny Golson ベニー・ゴルソン(ts)
マイルス・デイヴィスのグループを1960年4月に退団したジョン・コルトレーンは、しばらくして初のレギュラー・カルテットを結成する。メンバーはピアニストのマッコイ・タイナー、ベーシストのジミー・ギャリソン(当初はスティーヴ・デイヴィス)、ドラマーのエルヴィン・ジョーンズという面々である。カルテットは、マイルスが1964年に旗揚げするニュー・クインテットと並び、のちに1960年代を代表する名コンボと呼ばれるまでになった。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00027.html
#028:McCoy Tyner マッコイ・タイナー(p)
前回に続いて、今回はジョン・コルトレーンのカルテットに晴れて参加したマッコイ・タイナーの話を紹介しよう。
「1964年12月、タイナーとコルトレーンはひとつのピークに達していた」
これは『マッコイ・タイナー・プレイズ・エリントン』(インパルス)の原盤ライナーノーツの書かれている言葉だ。この作品が録音された日づけに注目していただきたい。1964年12月7日と8日、これは何を意味しているのか。
タイナーはこの作品をレコーディングした時点で栄光のジョン・コルトレーン・カルテットのピアニストだった。そしてコルトレーン・カルテットが残した最高傑作の1枚として知られているのが、この作品と同じインパルスに吹き込まれた『至上の愛』である。そのレコーディングが行なわれたのは、1964年12月9日、すなわちこの作品が吹き込まれた翌日のことだった。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00028.html
#029:Bruce Landvall ブルース・ランドヴァル(ブルーノート社長)
今回からしばらくは、ジャズ・マンではなく関係者の話を紹介しようと思う。1985年にブルーノートが活動を再開するにあたり、社長に就任したのがブルース・ランドヴァル(写真中央の人物)だ。彼は1970年代に大手のコロムビアで社長を務め、その後はエレクトラ傘下でジャズ・レーベルのエレクトラ/ミュージシャンを立ち上げ成功に導いている。辣腕経営者として尊敬されていたランドヴァルを迎えたのだから、親会社であるEMIアメリカのブルーノートに対する気合いの入れようも並ではない。
ランドヴァルは、ブルーノートを創立したアルフレッド・ライオン同様、業界人の中では珍しいほど熱心なジャズ・ファンだ。14歳のときに初めて買ったレコードがブルーノートの出したセロニアス・モンクの<クリス・クロス>だったことからもそれはわかる。1954年にブルーノートが実況録音した『アート・ブレイキー/バードランドの夜』の現場にも、未成年者が入れる同店のミルク・バーに陣取ってその模様をつぶさに見ていた。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00029.html