行ってきました、「ブルーノート東京」のセルジオ・メンデス&ブラジル2005(8月9日)。ぼくがジャズにはまったのは、中学のときに聴いた『ゲッツ=ジルベルト』。これでボサノヴァが好きになって、その後にジャズへと流れていったんですね。その途中で出会ったのがセルジオ・メンデス&ブラジル66の「マシュ・ケ・ナダ」。高校のときでした。随分聴いたなぁ。
それで彼らのレコードが欲しくなり、買ったのが『分岐点』というアルバム。
「マシュ・ケ・ナダ」が入った1枚目を買ったつもりが、間違って2枚目を買ってしまいました。最後まで聴いても「マシュ・ケ・ナダ」は出てこない。当たり前です。でも、このアルバムにもはまりました。
「コンスタント・レイン」がとにかくかっこよかった。ヴォーカルのラニ・ホールも魅力的なお姉さんという感じで憧れました。そんなこんなんでブラジル66が大好きになって、70年の大阪万博で初来日したときは、万博の会場まで観に行った記憶があります。
このときは、フィフス・ディメンションのコンサートにも行って、こっちもよかったし、ぼくも大学に入った年だったんで、いろいろハッピーでした。大阪の街で映画の『M*A*S*H』も観たんじゃなかったっけ? 医学部の1年生になったばかりのぼくには、不思議と眩しい映画でした。あんな医者にはなっちゃいけないのかもしれないけど、なってみたい。これは怖いものみたさに通じる感覚でしょうか?
さて、セルジオさんです。ぼくは6年ほど前に「ブルーノート東京」で彼にインタビューをしました。そのときに一番印象に残った言葉です。
「わたしはブラジルからアメリカに移り、素晴らしい人生を過してきました。ですから両方の国が故郷です。それで自分に何が出来るかを考えたとき、浮かんだのが、ブラジルの音楽にアメリカの音楽を掛け合わせることでした。それが、自分でも思わぬほどの成功を収めました。ですから、その気持ちを忘れずに、いまも両方の音楽をブレンドすることで自分ならではのサウンドをクリエイトしたいと願っているんです」
何とも模範解答ですが、このときのセルジオさんの目は真剣そのものでした。それで、ぼくはますます彼のことが好きになったんです。
「ブルーノート東京」からの帰りは、家までウォーキングです。約50分。iPODに入れた『分岐点』を聴きながら、少し涼しくなった夜風が気持ちよくて、高校や大学時代のことなんかを思い出しながら歩きました。
青春時代にわくわくして聴いたブラジル66。ですが、いまのぼくには洒落たムード・ミュージックのようにも聴こえます。そんな風に彼らの音楽を捉えることができるようになったぼくも、少しは成長したのかしら?