先月の「総集編」のところでお知らせしましたが、『愛しのJazz Man』の原稿を先日書き上げました。現在は出版社に回っていて、初校が上がってくるのを待っているところです。あとは年内に何度か見直して、写真などの手配を済ませ、来年2月に出版ができればと思っています。まだ第一段階をクリアしたところですから、これからもう少し気合を入れて完成度の高いものを目指します。
内容はこの連載とまったく違っています。すべて新たに書き下ろしました。これを『第1集』にして、好評ならなるべく短いインターバルで『第2集』を出版しようと目論んでいます。そちらにはこの連載で紹介したエピソードも盛り込むつもりです。
それでは今月の「愛しのJazz Man」総集編です。
#018:Kenny Garrett ケニー・ギャレット(as)
最近は日本語をほとんど喋らなくなってしまったが、ケニー・ギャレットの日本語熱にはひところすさまじいものあがった。自腹を切っては日本に来て、日本語学校に通っていたことも一度や二度ではない。そんな日本語熱と共に、彼は日本の曲にも精通するようになっていた。
いまから15年くらい前、ぼくはニューヨークでプロデューサー稼業をしていた。それで、マイルス・デイヴィスのグループでキーボード奏者だったアダム・ホルツマンのレコーディングをしたことがある。ケニーもマイルス・バンドのメンバーだったことから、そのレコーディングに加わってもらうことにした。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00018.html
#019:Marcus Roberts マーカス・ロバーツ(p)
盲目のピアニスト、マーカス・ロバーツの存在がクローズ・アップされたのは、ウイントン・マルサリスがそれまでのクインテットからカルテットに編成を変えた1985年6月のことである。旧クインテットにはウイントンの兄でサックス奏者のブランフォード・マルサリスと、ピアノのケニー・カークランドが参加していた。このふたりが折りから結成されたスティングのバンドに入ったための抜擢である。
新加入のロバーツ以外は、ベースのチャーネット・モフェットとドラムスのジェフ・ワッツが残り、9月に入ってチャーネットが抜けて、ボブ・ハーストが参加してウイントンのカルテットはこのメンバーでしばらく活動を続けていく。中でも、ロバーツの参加はリーダーにそれまで以上の刺激を与えたようで、この時期のウイントンはライヴ活動も精力的にこなすようになっていた。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00019.html
#020:Horace Silver ホレス・シルヴァ(p)
留学中は買いたいレコードも随分と我慢しました。のどから手が出るほどほしかったレコードもいろいろあります。《ファンキー・ピアノの元祖》と呼ばれるホレス・シルヴァーが自費出版したアルバムもそんな1枚でした。『Guides To Growing Up』(Silverto)というのですが、これが簡単には入手できません。
シルヴァーはロスに済んでいましたので、そちらでは売られていたのでしょうが、ニューヨークのレコード店では扱っていません。そんなあるとき、彼がアパート近くの「ファット・チューズデイズ」に出演することになりました。そして、そのレコードを休憩時間にみずからの手で売っていたんです。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00020.html
#021:Terumasa Hino 日野皓正(tp)
ニューヨークには多くの日本人ジャズ・ミュージシャンが住んでいます。ピークは1970年代半ばから80年代前半にかけてでしょうか。ぼくがいたころは、大御所の秋吉敏子さんを筆頭に、有名どころでは、中村照夫、菊地雅章、日野皓正、増尾好秋、鈴木良雄、大野俊三、大森明さんたちが住んでいました。そのほかに、無名のミュージシャン、それからミュージシャン志望のひとたちまでを加えれば、かなりの数の日本人ミュージシャンがいたことになります。
ただし仕事があるかといえば、これは別の話になります。アメリカで確固たる地位を確立した秋吉さんと中村さんを例外にすれば、日本でトップ・クラスの人気を誇っていた菊地さんにしても日野さんにしても、ニューヨークで得られるまともな仕事は年に数回あればいいほうでした。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00021.html
#021:John Coltrane ジョン・コルトレーン(ts)
ジョン・コルトレーンは麻薬の常習が理由でマイルス・デイヴィスのグループを一度くびになっています。1956年の末に楽屋でそのことから喧嘩になり、マイルスがコルトレーンをなぐってくびにしたということですが、ぼくは目撃していないので(当然ですが)、真相はよくわかりません。
その場に居合わせたセロニアス・モンクがふたりの間をとりなしてくれたため、大事には至らなかったそうです。モンクはその場でコルトレーンを自分のグループに誘います。
それで仕事は繋がったのですが、マイルスのバンドとモンクのバンドとではギャラにかなりの開きがありました。もちろんマイルスのところで働いていたほうが収入はあります。そのため、コルトレーンは麻薬代に事欠くようになりました。困った彼は、親友のカーティス・フラーに相談します。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/index.html