
感動しました。やっぱりサム・ムーアは最高です。ついにアルバムが出たと喜んでいたところに、この来日です。若いひとはご存知ないかもしませんが、サム・ムーアとはサム&デイヴのサムのことです。もっとも、サム&デイヴといっても誰のことだかわからないかもしれませんね。「ホールド・オン」や「ソウル・マン」をうたったひとたちといえば、「ああそうか」と思うひともいるでしょう。
このソウル・デュオ・チームが活躍していたのは1960年代後半のことです。日本では彼らが歌う「ホールド・オン」が流行っていました。高校1年のときですから、1966年、いまからちょうど40年前です。
この年は、ぼくの人生にとってかなり重要な1年になりました。ビートルズとジョン・コルトレーンの来日公演を観ておおいに触発された年ですから。そしてサム&デイヴの歌にも魅了されて、初めてリズム&ブルースという音楽に触れました。
それからは、ロック、ボサノヴァ、ジャズ、フォーク、歌謡曲に加えてリズム&ブルースも興味の対象になったわけです。そのとっかかりがサム&デイヴで、そのあとすぐにオーティス・レディングやアレサ・フランクリンを知りました。

中でも最初に好きになったサム&デイヴに一番思い入れが強く、小遣いをためてデビュー・アルバムの『ホールド・オン』を買いました。シングル盤は出ていましたが、LPの国内盤は出ていなくて、渋谷のヤマハで輸入盤を買った記憶があります。これを来る日も来る日も聴いていました。「ホールド・オン」のほかにも「イーズ・ミー」や「ユー・ドント・ノウ・アイ・ライク・アイ・ノウ」なんていう曲が大好きでしたが、そのほかの曲もすべてメロディがよくて、サム&デイヴの歌にも迫力があって、ひとり悦に入ったものです。
それこそ盤が擦り切れるほど聴いたころに、次の『ダブル・ダイナマイト』が発売されて、こちらのよさにもノックアウトされました。「ユー・ゴット・ミー・ハミン」や「アイム・ユア・パペット」もよかったですし、何より「ぼくのベイビーに何か」の味わい深さは何度聴いても飽きるものでなかったです。ぼくはこれを聴いて、歌の持つ奥深さとか歌の力というものを本当の意味で実感したように思います。

その後に『ソウル・マン』と『アイ・サンキュー』を立て続けに発表して、サム&デイヴの時代は終わります。それからもしばらくは活動を続けていたんですが、LP的にはスタックスから出た最初の2枚とアトランティックから出た次の2枚、つまり聴くべきものはこれら4枚だけでした。その最後のころに彼らは来日をしています。
高校を卒業したその日の夜に、厚生年金ホールに観にいった記憶があります。彼らはその後にもう一度来たはずで、もちろんどちらのコンサートにも行きました。あの時代はもうひとりの大物ソウル・シンガーのウィルソン・ピケットも渋谷公会堂で観ています。それらを通して、初めて本場のソウル・ショウに触れました。単純なぼくは、自分も黒人になった気分を味わったものです。
黒人になった気分といえば、サム&デイヴを聴き始めたころに、ちょっとしたショックを受けました。バックのミュージシャンに白人がいたんですね。いまならどうってことはありませんが、あの時代は公民権運動が盛んで、人種差別は撤廃されたものの、まだあからさまに差別のあった時代です。
ぼくは日本人なんで、差別についてはぴんときません。でもバック・バンドの写真を見て、そこに白人がいることに複雑な思いをしました。逆差別はされないんだろうか? みたいなことです。しかも、そのうちにスティーヴ・クロッパーというギタリストがリズム&ブルース世界では重要な存在で、彼は白人なんですが、オーティス・レディングの曲を書いたりしていたこともわかりました。
ぼくはやがてこのスティーヴ・クロッパーのプレイに魅せられて、同じギターとアンプを買うまで惚れ込みます。でも、最初のころは白人がリズム&ブルースで主要な役割をしていたことに複雑な思いを覚えました。エンジニアもプロデューサーも白人だったことをあとで知って、ちょっと裏切られた思いがしたんですね。
黒人の魂を歌うのがリズム&ブルースではありませんか。その曲を白人が書いて伴奏もしていたなんて。ぼくの心の中は「???」という感じでした。でも、音楽に差別はありません。白人が書いた曲を黒人が歌うのは、考えてみればよくあることです。そのシンガーがいかに自分のソウルを表現するかが重要なことにすぐ気がつきました。ジャズだって同じです。ビジネスとして成立させるには、白人の力が必要不可欠ですから。

さて、昨日のサム・ムーアです。心から感動しました。サム&デイヴ時代より歌がうまくなっていることもびっくりです。あのころはストレートにソウルフルな表現をしていたのが、深みを増して情感豊かな歌をうたうシンガーに変身していました。
サム&デイヴを解散して以降、これだけ歌がうまかったにもかかわらず、今回出た『オーヴァーナイト・センセーショナル』がソロ・デビュー作のはずです。40年近くアルバムを出していなかったことが不思議でなりません。1970年代にも1枚ソロ・アルバムを吹き込んでいますが、数年前にリリースされるまでお蔵入りしていました。これも素晴らしい内容です。
「ブルーノート」では、有難いことにサムのほぼ正面、前から2列目のテーブルに座らせてもらいました。至近距離で聴いたのは、ニューヨークにいたときの「ローンスター・カフェ」以来です。というか、彼のソロ・パフォーマンスをライヴで聴いたのは、あとにも先にもそのときだけです。この話を書くと長くなりますので、これは割愛です。

昨日はエディ・フロイドの「ノック・オン・ウッド」から始まって、「アイ・サンキュー」「雨のジョージア」「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」「ブレイム・イット・オン・ザ・レイン」「ナン・オブ・アス・アー・フリー」「ぼくのベイビーに何か」などを次々に披露し、「ソウル・マン」でおおいに盛り上がり、アンコールに「ユー・ア・ザ・ビューティフル」を歌う構成でした。
他人のヒット曲や新作からの曲もいろいろあって、サム&デイヴ時代の曲はそれほど多くは歌いません。でも、どんな曲を歌ってもサムの歌になってしまいます。それらを聴きながら、サム&デイヴの姿を思い浮かべていたひとはぼくだけでないでしょう。
デイヴことデイヴ・クロフォードは1988年に交通事故死を遂げています。サム&デイヴの解散は1971年で、その後もたまにはコンビを復活させていたようです。でも、これで永遠にサム&デイヴは消滅しました。
いまもデイヴが生きていたら、どんな風になっていたかと思います。でも歌は圧倒的にサムのほうがうまくて、その美声がまったく衰えていないことに改めて感激しました。前のほうにいたので、サムを取り囲むような感じで歌が聴けたのもよかったです。彼が目の前でひとりひとりの顔を見ながら歌ってくれました。まるで辻説法のような感じです。
サム&デイヴ時代に観たときはそれほどひょうきんな印象がなかったんですが、昨日はいい感じに年を取って、優しそうなひとがらがにじみ出ていました。コミカルなところもあって、イメージとしてはルーファス・トーマスとだぶります。ルーファス・トーマスといっても、知らないひとが多いでしょうけど。
先日のジョアン・ジルベルトでも痛感したことですが、サムも古い曲では昔のアレンジをそのまま使っていました。アトランティック系のリズム&ブルースではホーンの響きが大好きです。それもオリジナルどおりに再現されていて、気分は高校~大学時代に戻っていました。
ここ数年、生きててよかったと思うことがしばしばあるんですが、昨日も本当に生きててよかったと思いました。音楽が与えてくれる幸福感。それはそのひとにしか味わえないものですが、昨日の「ブルーノート」にいたお客さんは皆さんが多かれ少なかれそんな気持ちで家に帰られたんじゃないでしょうか。