現在、来年の2月くらの出版を目指して『愛しのジャズ・マン』を執筆中です。最初はこの連載をもとにいくつかのエピソードを書き足して1冊にしようと考えていたのですが、気が変わり、全部書き下ろすことにしました。
とはいっても、いくつかはどこかで紹介したエピソードが含まれています。それでこの本が売れたら続篇ということで、これまでにブログで発表したエピソードを中心にもう1冊出すということで版元と話を纏めました。
1冊につき50本のエピソードで、ニューヨークから戻ってからこの2週間、ずっとこの本を書いています。あと数本のところまで来ましたが、これはあくまでベーシックなものです。ぼくの場合、フュージョンのレコーディングと同じで、ベーシックなレコーディング、オーヴァーダビング、ミックスダウンみたいな過程を踏みます。
ベーシックな原稿とは大まかに書いたものです。細かいデータや文字数の調整などはしていません。書きたいことをとにかく書いておくだけのものです。次のオーヴァーダビングにあたるのが、そこに細かいデータなど、調べたものを書き加えたり、文字数を調整したりすることです。そしてミックス・ダウンは、その文章をプリントアウトして何度も読み直し、全体のバランスや文章のトーンなどを調整し完成原稿にする作業です。
とはいっても、これはあくまで出版社に渡す前の作業です。この原稿を元に、初校が作られます。この段階では、たいていの場合、原稿が棒組みされているだけです。それに赤を入れた再校は、レイアウトの中にその原稿を組み入れ、写真なども配置されたものになります。それにさらに赤を入れて再々校、それでも満足できなければ4校・・・と続いていきます。
普通は再校か再々校で終わりにしますが、ぼくはしつこいのでさらに2~3回校正を重ねることもあります。最後に青焼きというのがあって、これは確認するためのもので、よほどの間違いがないと直さないことになっています。普通、この青焼きを筆者が読むことはほとんどないらしいのですが、ぼくはこれもチェックします。というわけで、まだまだこれから延々と作業が続くわけです。
前置きが長くなりました。今月の「愛しのJazz Man」の総集編です。
#014:Sonny Rollins ソニー・ロリンズ(ts)
これまでにどのくらいのひとにインタヴューしてきただろう? 相当な数であることは間違いない。1000人まではいかなくても500人は優に超えている。それにしてもいろいろなひとがいた。中でも一番優しく接してくれたひとりがテナー・サックスの巨人と呼ばれるソニー・ロリンズだ。
そもそもミュージシャンと接していていやな気分になったことがほとんどない。無口なひとや愛想のないひともいることはいる。ぼくにも少なからずその傾向があるから、気持ちは理解できるつもりだ。疲れていたり、何度も繰り返される同じ質問にうんざりしていたりするときだってあるだろう。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00014.html
#015:Bill Evans ビル・エヴァンス(p)
ビル・エヴァンスの悲報は、少なくとも日本にいるファンにとっては思いもかけないものだった。1980年9月15日、彼は入院先のマウント・サイナイ病院で肝硬変に肺炎を併発して51歳の人生を閉じたのである。
多くの証言者によれば、エヴァンスは死の数年前から慢性の肝炎を患い、自身その治療を拒み、みずから死を招くような行動を取っていたという。
「自分がひどい病気であることを彼は知っていた。よい病院で治療を受ければ快方に向かうはずだといって入院を勧めたが応じなかった。彼には生きる意志がまったくないように思われた」
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00015.html
#016:David Matthews デヴィッド・マシューズ(arr、p)
ミュージシャンの中で日本語が達者な横綱はデビヴィッド・マシューズとケニー・ギャレットだろうか。マシューズはニューヨークのベルリッツで個人教授について勉強したほどの正統派で、ケニーは日本人のガール・フレンド(?)から習った実践派だ。
そのケニーと、ニューヨークにあったジャズ・クラブ「ファット・チューズデイズ」に出ていたドナルド・ハリソン=テレンス・ブランチャード・クインテットを聴きに行ったときのことである。ふと、マシューズと日本語で対談したら面白いんじゃないかと思いついた。マシューズはミッドタウンのイーストサイドに住んでいる。「ファット・チューズデイズ」もイーストサイドの17丁目にあるから、タクシーを飛ばせば10分くらいで行ける。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00016.html
#017:Kenny Garrett ケニー・ギャレット(as)
前回はデヴィッド・マシューズのことを中心に紹介したので、今回はケニー・ギャレットについて書いていこう。ふたりの日本語対談は、開始早々の1ラウンドでケニーのノックアウト勝ちだったが、彼が日本語をマスターした裏には不断の努力があった。
ケニーはマンハッタンからハドソン河を隔てたニュージャージーの住人である。ニュージャージーにも多くの日本人が住んでいる。そのため、毎朝7時からテレビで日本語放送を観ることができる。ひところのケニーは、それを観てはわからないところを質問してくる妙なやつだった。たとえばこんな質問をされたことがある。
全文は
http://www.kozocom.com/entertainment/music/a00017.html