マイルス・デイヴィスがこの世を去ったのは1991年9月28日のことでした。臨終はカリフォルニア時間の午前10時40分ということですから、日本時間なら翌日の午前3時40分ということになります。
ぼくがその死を知ったのは、朝の10時ごろだったと思います。大阪にいたトランペッターの五十嵐一生さんからの電話でした。滅多に電話をかけてこない五十嵐さんがわざわざ電話をくれたのは、よほどショックが大きかったからでしょう。
ぼくは、この日、ピアニストの吉岡秀晃さんのコンサートで司会を頼まれていました。吉岡さんには大切なコンサートです。個人的な理由でそれを台なしにすることはできません。動揺はありましたが、悲しみとショックをこらえながら司会は務めました。関係ないとはいっても、マイルスの死に触れないわけにはいきません。それで簡単にその死をお客さんにも伝えましたが、そのときは自分でもおかしいほどうろたえていました。
あれから15年が過ぎたんですね。ときの経過は早いものです。ぼくはこの間に、自分の人生において大切にしている本を書きました。そのうちの一冊が『マイルス・デイヴィスの真実』です。その最後のほうに【マイルスは永遠なり】と題した章があります。今日はそれを紹介してマイルスの冥福を祈りたいと思います。
曇り空だが、穏やかな風が静かに漂っている。
2002年4月29日。
ぼくはマイルスの墓があるウッドローン墓地にいた。
ニューヨーク市、ブロンクス、ウッドローン。
42丁目のグランド・セントラル駅からハーレム・ラインに乗ると、各駅停車で7番目の駅がウッドローンだ。電車は、最初の駅であるハーレムの125丁目駅近くになって地上に出る。そのまま北上してハーレム・リヴァーを超えると、そこがサウス・ブロンクスだ。以前は殺伐としていた地域だが、いまでは比較的整然としている。グランド・セントラル駅から26分。ウッドローンの街は、典型的なニューヨークの郊外を思わせる、穏やかなたたずまいを見せていた。
ようやくここに来た。ぼくにとっては近くて遠かった場所だ。
マイルスに、彼の本を書きたいと打ち明けてから14年が過ぎていた。自分の区切りとして、マイルスの墓に行くときは、その本が出ると決まったときにしようと勝手に考えていた。そして、ようやく完成の目処が立ったこの日、はやる気持を鎮めながら、ぼくはウッドローン墓地に向った。
マンハッタンの喧騒から離れたウッドローンではゆっくりと時間が流れていく。墓地の路を歩きながら、さまざまな思いが浮かんでは消えた。目指すマイルスの墓はもうすぐだ。ここには、マイルスがニューヨークに出てきたときに入学したジュリアード音楽院の創始者オーガスタス・D・ジュリアード、少年時代に影響を受けたデューク・エリントン、<ホワイト・クリスマス>をはじめマイルスも録音した<ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン>など数多くのスタンダード・チューンを作曲したアーヴィング・バーリン、さらには日本人の野口英世も眠っている。エリントンの墓を訪ねたのは1987年のことだった。奇しくも、今日はエリントンの誕生日だ...。
マイルスの墓は、路を隔てたそのとなりにあった。エリントンとマイルスが並んで眠っている! 言葉ではいい表せない光景だ。
「やっと来ましたよ」
心の中でぼくは呟いた。
マイルスの墓石は周囲を圧倒するように大きい。さすがに帝王だ。墓石には「In Memory Of Sir Miles Davis 1926-1991」と書かれ、その下に<セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン>の楽譜が掘られている。
マイルスの音楽は、ぼくの青春そのものだった。
何もわからないまま、彼のライヴを観たのが中学2年のときだ。高校3年でその音楽にのめり込み、『マイルス・スマイルズ』からリアル・タイムで聴いてきた。もっとも多感な時代に出会ったマイルスから、ぼくはさまざまに触発をされた。どんなときでも前を見つめて歩いている姿に、影響を受けたのだ。
そのマイルスが、ここに眠っている。
「ようやくあなたの本が出せることになりました」
彼が話したひとことひとことが脳裏をよぎる。そういえば、「本ができたら50冊寄越せよ」といわれていた。「日本語ですよ、読めないでしょう」と生意気な口をきいたことが思い出された。そのときのマイルスは苦笑していたっけ。
『マイルス・スマイルズ』
マイルスは決して笑顔を見せないといわれたことから、逆説的につけられたアルバム・タイトルだ。しかし、彼の笑顔は、いつも素晴らしかった。苦笑も含めて、マイルスの笑顔は相手の気持を明るくさせる。繊細で優しくて、気を許せば何でも話してくれた。そんなマイルスの素顔があの笑顔にあった。
「なんていわれるか心配だけれど、次は本が出版されたら来ますね」
そう心で呟いてから、ゆっくりと岐路についた。去り難い気持だが、今度からはいつでも来られる。
「妙なことを書いていたら訴えてやるからな」
ニヤリと笑って、マイルスがそういっている姿が心に浮かんだ。とても満たされた、幸せな昼下がりだった。
マイルスがこの世を去ったときは、しばらくの間、彼の音楽は聴くことができませんでした。自分でもそのときの気持ちはよくわからないのですがが、なぜか拒絶反応を起こしてしまったんですね。しかし、いまは大丈夫。今日はこれから少しの間、マイルスの演奏を聴いていようと思います。