週末に尾形イッセイ主演の『太陽』を観てきました。結論からいえば、この映画、よくわかりません。尾形イッセイ演じる昭和天皇の立ち居振る舞いが似ているなぁとは思いましたが、この映画が何を伝えたいのかがぼくには伝ってきません。
「日本人には映像化が不可能なテーマ」という点での評価も聞きますが、いまの日本でこの映画を映像化するのに何がひっかかるんでしょう? 天皇陛下のことを描くのがタブーっていうことなんでしょうが、この映画を観て「よくこんな映画が作れたなぁ」なんてことは思いませんでした。ただし、「よくもまぁこんなテーマを選んだものだ」とは思いましたが。
実際、天皇陛下の素顔なんか知りませんし、ニュース映像で紹介される仕草や言葉以外のことはわかりません。本音が伝ってくることはなかったでしょうから、天皇陛下の心のうちだってわかりません。
だからぼくがイメージしている範疇でいうなら、尾形イッセイはとても上手でしたね。しかし、作品としてはどうなんでしょう? 封切られてからかなり時間が経っているのに、小さいながら映画館はほぼ満員でした。ですから評判はいいんでしょう。
ぼくの感想は、映画とは無関係のことも含めて考えさせられる作品だったことに尽きます。といっても、下世話なことなんですが。たとえば、終演後にパンフレットがよく売れていたことです。群れをなすように売り場に集まって、みなさんパンフレットを買っていました。こんなにパンフレットが売れる映画って珍しいと思います。
映画の意味がわからないとパンフレットが売れるんだ──そんなことをすぐに思ってしまうぼくは不純なんでしょうね。となれば、ちょっとわかりづらい映画を作るのも手だな、なんて、さらに不純なことを考えてしまうぼくでした。
この映画、きっと観る世代によって感じかたが違うんでしょう。ぼくは戦後の生まれですから、天皇陛下に「恐れ多くも」なんていう思いはほとんどありません。物心ついたときには神様じゃなかったんですから。でも、戦前のひとはそうじゃないんでしょうね。それからぐっと若い世代にとっては、天皇陛下とそれを取り巻くひとたちの様子をどう思うんでしょう? ぼくには滑稽に思えたんですが、多分同じようなものじゃないでしょうか?
あと、マッカーサーとの会見や食事のシーンも不思議な光景でした。マッカーサーも一体どんな人柄をしているんでしょう。ちょっと普通じゃありません。天皇陛下よりマッカーサー側から、「こんな風に描いて」って文句がくるんじゃないかと思ったほどです。でも、観たひとの間でそんな疑問は湧いていないと思いますので、これまたぼくの勝手な感じかたなんでしょう。
チラシには『天皇ヒロヒト――彼は悲劇に傷ついた、ひとりの人間。・・・「太陽」は戦争という悪夢の中で引き裂かれる、ひとりの人間の苦悩と孤独、そして彼の愛する家族をめぐる映画である・・・』と書かれています。ぼくはまったくそういう風には思いませんでした。感性が鈍くなっているのは否定しませんが、「本当かよ」という感じです。
そういえば、高校のときに学園祭でぼくのクラスは「天皇制」についての発表をしたんですが(あのころは真面目に物事を考えていたんですね、きっと)、どんな内容だったかはすっかり忘れてしまっています。本当にそんなことをやったかどうかも、いまとなってははっきりしません。ひょっとすると、思い違いかもしれません。何かを調べた記憶はあるんですが。
今日はなんだかへんな話題になってしまいました(今日だけじゃなくて、いつも変だと思われているかもしれませんが)。ではでは。