
もう4~5日前のことになりますが、原宿にあるアート関連の書籍を扱う(多分)書店「ナディッフ」で開かれた佐野史郎さんと加藤和彦さんのトーク・イヴェントに行ってきました。
どうして2人がトーク・イヴェントを開いたかといいますと、佐野さんが監督・出演したDVD『つゆのひとしずく~「植田正治」の写真世界を彷徨う~』で、加藤さんが音楽を担当したからです。
「つゆのひとしずく」は小泉八雲の随筆「露のひとしずく」から引用されたものなんでしょう。佐野さんは小泉八雲にも詳しいそうですから。
写真界の巨匠、植田正治の写真を用いた、佐野史郎の新たな映像表現への挑戦。戦前から写真制作の活動を行ない、生涯にわたってアマチュアリズムを突き通した写真家、植田正治。そしてその写真世界を独自の感性で、切り取り、つなぎ合わせるという再作業を行いながら「画ニメ」という新しいメディアによって表現したのが、同じ山陰地方出身の俳優、佐野史郎です。今回使われている植田写真は、もっとも有名な「砂丘モード」だけではなく、戦前戦後の山陰地方のひとや風景、路面電車の走る東京の町など、古き良き日本の文化を観ることができます。作品中の言葉は、山陰という地に魅了され数多くの作品を残した文豪、小泉八雲の作品の中から引用し、さらに音楽は、フォーク・クルセイダーズ、サディスティック・ミカ・バンドと常に日本の音楽シーンを率先してきた加藤和彦が担当。シュルレアリスティックな空気に彩られた映像を味わえると共に、エンターテインメント性を十分に兼ね備えた作品として完成しています。
以上はネットで得た作品紹介ですが、これで内容はわかっていただけるでしょう。
開演時間に間に合わず、前半は聞き逃してしまいました。お店についたときは民族音楽の話でふたりが世界中を彷徨っているところでした。盛り上がっている感じではないんですが、いい雰囲気で話題が広がっていきます。
佐野さんはぼくよりちょっと若いんですが、同じような音楽をリアルタイムで体験してきたかたです。伝説となった「中津川フォーク・ジャンボリー」も、高校生なのに会場にいたというのですから、熱狂的な音楽ファンに違いありません。
ぼくも含めてそういう人間にとって、加藤さんはある種の憧れです。フォーク・クルセイダーズ、サディステッィク・ミカ・バンド、ソロと、1960年代後半から1980年代にかけて、独自の感性で新しい音楽を切り開いてきました。それでいて、実験的なそぶりはまったく見せずに、かっこいい音楽、新しい音楽を追求していたんですから、すごいというほかありません。
最近は、「スーパー歌舞伎」の音楽を担当したり、数年前にはフォークルを復活させたりしていますが、ソロ・アルバムは随分長いこと出していません。そのあたりのことを佐野さんも期待しているらしくて、話の途中でそういう方向に持っていくのですが、加藤さんは軽く受け流していました。
そういえば、音楽の間(ま)のとり方についても面白い話がいろいろと聞けました。加藤さんによれば、最初から最後まで音楽が流れている歌舞伎も、この間をどう生かすかが肝だということです。そういわれてみればそうで、それは佐野さんも仰っていましたが、芝居にも当然通じているわけです。
ジャズなら、この間をうまく使ったひとにマイルス・デイヴィスがいます。音数の少ないフレーズや、音を吹かないスペースに、聴き手はイマジネーションを刺激されるんですね。
加藤さんといえば、その昔、ぼくが高校生だったころに愛読していた『MEN'S CLUB』の読者の頁で、バンド募集の告知をしていました。その告知を見て応募しようと思ったのですが、住所が大阪だったので、東京に住んでいるぼくには無理でした。
どうしてそんなことを覚えているかといえば、バンドの名前がフォーク・クルセイダーズだったからです。ジャズにはまりかけていたところだったので、ジャズ・クルセイダーズというバンドと結びつけて、頭の片隅にフォーク・クルセイダーズの名前が残ったみたいです。
東京にはマイク真木がいたモダン・フォーク・カルテットというグループもありました。これもモダン・ジャズ・カルテットみたいだと思っていたこともあって、フォーク・クルセイダーズの名前も記憶に残ることになりました。そうしたら、そのしばらくあとに「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットです。
それにしてもこのトーク・イヴェント、ぼくにはなかなか啓発的な内容でした。とくに驚いたのが、加藤さんの音楽に対する造詣と洞察力の深さです。非常に論理的に考えたり理解しいていながら、そこにすごくいい形で自分の感性を掛け合わせていることがわかりました。アカデミックな知識もありながら、それを隠し味程度に使うことで、音楽にこくをつけ加えているとでもいえばいいでしょうか。
フォーク・クルセーダーズにしても、ギャグ・バンドみたいに学芸会に毛が生えたようなことをやってみせた反面、「悲しくてやりきれない」とか「青年は荒野をめざす」とかの素晴らしい曲もたくさんありました。

ミカ・バンドの『黒船』は、留学したときにコピーをしてアメリカに持っていったカセット50本くらいのうちの1本でした。ソロの『それから先のことは』なんか全曲が好きですね。
そうそう、啓発的ということを書きたかったのです。ぼくがニューヨークに住みたいと思ったきっかけは、『スイングジャーナル』に掲載された菊地雅章さんとギル・エヴァンスの対談を読んだことが大きいんですね。ふたりが話していることの半分も理解できなかったからです。それで、東京にいては駄目だと強く思いました。
それと似たようなものを、佐野さんと加藤さんの会話からも感じました。話についていけないとは思いませんが、そういう会話ができるようになりたいと思ったんです。ふたりは非常に前向きに音楽のこと考え、捉えていました。
ぼくはといえば、「これからは好きな音楽だけ聴いていこう、気持ちは1960年代に置いてきた」などと思っています。その気持ちに変わりはありませんが、もう少し前向きに音楽と接するのもスリリングでいいかなと、ふたりの話を聞きながら考えていました。そういう点で、このイヴェントはぼくにとって非常に啓発的でした。この刺激や触発された思いを忘れないでいたいと思います。