昨年の来日は見逃してしまったので、今年はどうしてもザヴィヌル・シンジケートのステージが観たいと思っていました。ジョー・ザヴィヌルは、マイルス・デイヴィスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチェズ・ブリュー』でその音楽の根幹を成すサウンドを作っていたキーボード奏者です。それ以前はあまり注目していなかったんですが、これらの作品で斬新なキーボード・サウンドを聴かせてくれて、ずいぶん思っていたイメージと違うことに驚いたものです。
そのザヴィヌルは、マイルスのセッションで共演したウエイン・ショーターと意気投合して、1971年にウェザー・リポートを旗揚げします。以来、15年ほどでしょうか、ウェザー・リポートにはかなり楽しませてもらいました。
初来日公演は渋谷公会堂で観ています。たしか1972年のお正月でした。フュージョンといっても、ザヴィヌルがエレクトリック・ピアノを弾いたり、グループのサウンドが従来の4ビートではなかったりしたことからそういわれていたようなもので、演奏自体はかなりアブストラクトでした。あの時代はそういうサウンドに夢中だったこともあって、この初来日とデビュー作によってぼくはザヴィヌルとウェザー・リポートのサウンドにすっかり心を奪われてしまったのです。
ザヴィヌルには何度かインタヴューしたことがあります。一度はロスの自宅にもお邪魔しました。成田で仕込んでいったサッポロ・ラーメンを一緒に作ったことがいい思い出です。この家はロスの山火事で焼失し、貴重な未発表テープなども多くが燃えてしまったとのことでした。
その結果、ザヴィヌルはニューヨークに移ってきます。グリニッチ・ヴィレッジのアパートに住むようになったころ、そのアパート近くにあった日本レストランの「ジャポニカ」でお昼ご飯を食べながらインタヴューしたこともありました。
そういえば、「小川隆夫はミュージシャンとご飯を食べたことを自慢するから気に食わない」とどなたかが指摘していました。自慢と思われるのも無理ないですよね。だって、誰かがストーンズと食事したなんて書いたら、ぼくだってやっかみますもの。これって、とても素直な反応じゃないですか。そういうひとも、やっぱり熱烈な音楽ファンなんでしょうね。
と、そろそろ脱線気味になってきました。昨日のザヴィヌル・シンジケートのことを書こうと思っているので軌道修正しましょう。でも、コンサート・レヴューをする気はありません。
ぼくが感じたのは、ザヴィヌルってベース奏者にいつも恵まれているなってことです。昨日聴いたリンレイ・マルトもご機嫌でした。ウェザー・リポートの初代ベーシストだったミロスラフ・ヴィトゥス以来、彼は常に最高のベーシストをグループに迎えています。しかもその時点では無名のひとばかりでした。ジャコ・パストリアス、ヴィクター・ベイリー、リチャード・ボナなど、ザヴィヌルが紹介してくれたベーシストに外れはありません。
ザヴィヌル・シンジケートは6人編成で、メンバーの国籍もまちまちなら、音楽も無国籍風で、このところザヴィヌルが追求してきたサウンドのエッセンスみたいなものが楽しめました。昨日「ブルーノート東京」で聴いたのは初日のファースト・セットということもあって、出だしがちょっとばらばらでした。それでも中盤からはパーカッションを中心に大きく盛り上がっていきます。
メロディも重視していたウェザー・リポートに較べると、いまのグループはリズムが中心です。あまりメロディックな要素はありません。アフリカ、中近東、インド、南米など、エスニック風味豊かな音楽は、さながらリズムの万華鏡といった趣です。
響きはまったく違いますが、雅楽をイメージしたりしながら聴いていた瞬間もありました。それで思ったんですが、民族音楽みたいなものを突き詰めていくと、国籍は関係なくどこかで共通する何かへと収斂していくのではないでしょうか。
ウェザー・リポートやザヴィヌルの音楽に、ぼくは大きく触発されてきました。プロデュースしていたときも、ウェザーの音楽に影響されていろいろな作品を作っています。
たとえばジョン・ハリントンというギタリストの作品を作ったときには、後期のウェザー・サウンドを踏襲したくて、ピーター・アースキンとヴィクター・ベイリーに入ってもらいました。
ウェザーでピーター・アースキン=ジャコ・パストリアスのリズム・セクションを引き継いだのがオマー・ハキム=ヴィクター・ベイリー組です。そのオマーも、ジミ・タンネルのレコーディングに起用しました。
ジミはステップス・アヘッドにいたギタリストで、ザヴィヌルの音楽に強い影響を受け、ウェザー・サウンドを自分のスタイルに置き換えた音楽を創造しようとしているところでした。そこで、ジャコから強い影響を受けたベースのジェフ・アンドリュースとオマーのリズム・セクションを起用してみました。
そのジェフをベーシストに迎えて、サックスのボブ・ミンツァーをリーダーにして作ったのが『アイ・リメンバー・ジャコ』です。ボブはジャコのワード・オブ・マウス・オーケストラでバンマスを務めたサックス奏者です。ジャコの死を追悼する上でこれほどぴったりのひとはいません。
このときは、ジャコの未亡人にもわずかながら金銭的なお礼ができてよかったと思っています。ワード・オブ・マウス・オーケストラのドラマーは、ウェザー時代にジャコと盟友だったピーター・アースキンです。というわけで、『アイ・リメンバー・ジャコ』のドラマーはピーター以外にありえません。
そもそもプロデューサー業を始めるにあたって、最初に考えたのがピーター・アースキンのリーダー作品でした。そちらは『スウィート・ソウル』というタイトルで、ジョン・スコフィールドやジョー・ロヴァーノに入ってもらい、ウェザー的なサウンドではありませんが、ぼく好みの斬新な4ビート・ジャズが演奏されています。
ザヴィヌル・シンジケートの話から、結局はジャコの話になってしまいました。ジャコともいくつか思い出があります。ぼくがニューヨークに住んでいたころ、彼もわりと近いところに住んでいましたから。でもその話を書くと長くなるので、これはいずれ「愛しのJazz Man」のところで書くことにしましょう。
今回も自慢話としか思われないことをだらだらと書いてしまいました。いいたかったのは、ザヴィヌルのお陰で音楽生活が極めて楽しく、かつ充実したものになったということです。昨日のステージからも心地のよい刺激を受けました。
そうそう、喧嘩別れをしていたウエイン・ショーターと仲直りをしたのか、ふたりで選曲したウェザー・リポートのボックス・セットが秋に出るそうです。注目は、ドイツのテレビ局で放送されたライヴ映像が含まれていることでしょう。こちらはジャコとアースキンがいた時代のもので、一部はぼくのiPODにも入っています。これのフル・ヴァージョンが観られるのもいまから楽しみです。