年末・年始にニューヨークで観そこなった『グッドナイト&グッドラック』を土曜日に観てきました。好きなジョージ・クルーニーが監督・出演していることと、テーマが興味深かったからです。
いつものクルーニーが出ている映画とはまったく違います。マッカーシーの赤狩りが題材ですから、シリアスな内容なんですね。日本でもお笑いのひとが映画を撮ったり本を書いたりすると、シリアスなものになることが結構ありますよね。クルーニーがお笑いのひととは思いませんが、同じような印象を覚えました。
クルーニーの父親はテレビ・ニュースのアンカーマンで、自身も大学で放送ジャーナリズムを専攻していました。ですから赤狩りは他人事ではなく、一般のひとより身近に感じられるテーマなんでしょうね。「マロー(マッカーシーを批判したCBS-TVの有名アンカーマンでこの映画の主人公)はぼくら父子の英雄だ」とクルーニーはいっているほどですから。
アメリカはときどき妙なことをやります。禁酒法もそうでしたし、赤狩りもそうです。本人でなくても家族が共産党の集会に一度でも出ていただけで解雇されるなど、ほとんど公民権剥奪に近い状態にされてしまいます。20年前に参加していてもそうなんですから、自由を主張する国からは想像できません。まるで戦前の日本で起こっていたことが、民主主義を標榜するアメリカで、それも戦後に起こったのですから、アメリカ人のメンタリティはよくわかりません。
赤狩りはときどき映画のテーマになります。チャップリンが赤狩りを逃れてスイスに移住するなど、ハリウッドの関係者に犠牲者が多かったからでしょうか? ジャズ界でも、ウエスト・コーストのミュージシャンやレコード会社のひとが犠牲になっています。
映画は非常に面白く観れました。モノクロの映像が実写フィルムとリンクして重厚な雰囲気を醸し出します。鋭利な刃物のように切れ味が鋭く、しかも90分少々の長さですから緊張感も途切れません。テーマを絞っているため、話がコンパクトにまとまっていて、いい映画が観たなぁという気分になりました。
ところどころにフィーチャーされる、ダイアン・リーヴスがコンボをバックに歌うシーンもよかったですね。モノクロの映像ということもあって、ジャジーな雰囲気がよく出ていました。ダイアンは貫禄がついて(大分前からですが)、ビリー・ホリデイみたいなムードを醸し出していました。20年くらい前に初めてインタビューしたときは可愛かったのに、いまでは風格十分です。お互いに年を取ったもんだと、スクリーンを観ながら妙に納得してしまいました。
ところで、ジョージ・クルーニーはジャズ・シンガーのローズマリー・クルーニーの甥っ子なんですね。ですから、ジャズ・ファンなんでしょう。そんな思いが、ダイアンをフィーチャーさせたのでしょうか? 彼女が歌うシーンはなくたっていいというか、必然性がないんですが、そこに思い入れがあるのかもしれません。ちなみにクルーニーがプロデュースしたこの映画のサントラ盤で、ダイアンはグラミー賞を獲得しています。
あとは、やたらと登場人物が煙草を吸うシーンが気になりました。主人公のマローはヘヴィー・スモーカーで知られており、呼吸器系の癌で死んでいます。そのキャラクターを描くために強調したのかもしれませんが、それでも観ていて違和感を覚えるほでした。いくら放送業界のひとが煙草を吸うといっても、ちょっと吸いすぎです。そんなシーンを撮るのに、スタッフから苦情が出たんじゃないかと妙な勘繰りをしてしまいました。
アメリカではどの業界でもユニオンが口うるさいですから、ぼくはこうしたシーンを撮るにあたって、制作側とユニオンの間で何らかの問題が生じたのではと勘ぐっています。だってぼくがスタッフだったら、この仕事やりたくないですもん。喫煙や福流煙を忌み嫌うひとは日本よりアメリカのほうが多いですしね。
もうひとつにやりとさせられたシーンがありました。登場人物の中で社内結婚しているカップルがいるんですね。会社では社内結婚は禁止です。それで出社する際に、「奥さんがいることは誰にもいえない」とか何とかいうせりふがあるんです。すると奥さんが、「もうひとり秘密にしているひとがいるわ、エヴァ・ガードナーよ」と応じます。このあたりは、脚本も書いたジョージ・クルーニーのユーモアでしょう。シリアスな映画の中で、唯一にやりとした場面でした。
人気絶頂だったフランク・シナトラは1951年にエヴァ・ガードナーと結婚し、54年に離婚しています。どこの芸能界も同じですが、人気者は結婚を秘密にします。映画は1953年ごろが舞台ですから、時代考証もなされています。こういう芸の細かいところがぼくは好きですね。
さて、「ヴァージン・シネマ」の予約がうまく取れれば、今週末は『ダヴィンチ・コード』を観ようと思っています。