1975.6.29 Steve Lacy Group Concert 有楽町読売ホール
この初来日では、さまざまな編成でコンサートが開かれた。どれも興味があったものの、観に行ったのは最終日のクインテット。とにかくメンバーが魅力的で、演奏も触発的。フリージャズの真髄が味わえた。
During this first visit to Japan, concerts were held in various configurations. Although I was interested in all of them, I went to see the quintet on the last day. The members of the quintet were fascinating and the performance was inspired. I could taste the essence of free jazz.
『伝説のライヴ・イン・ジャパン 記憶と記録でひもとくジャズ史』よりhttps://amzn.asia/d/bVUdQzg

『スティーヴ・レイシー・セクステット/ワイヤー』(LP)
日本コロムビア/Denon YX 7553 ND
[Side One]
① ザ・トゥエイン(スティーヴ・レイシー)6:31
② エスティーム(スティーヴ・レイシー)8:40
③ ジ・オウル(スティーヴ・レイシー)4:17
[Side Two]
④ ザ・ワイヤー(スティーヴ・レイシー)4;58
⑤ クラウディ(スティーヴ・レイシー)6:12
⑥ デッド・ライン(スティーヴ・レイシー)8:06
スティーヴ・レイシー(ss) 佐藤允彦(p) 翠川敬基(cello) 池田芳夫(b) 吉沢元治(b) 富樫雅彦(per)
1975年6月18日 東京・赤坂「日本コロムビア第1スタジオ」で録音
京都から東京に戻ったスティーヴ・レイシーは、6月11日に銀座「ヤマハホール」で佐藤允彦と富樫雅彦のトリオでコンサートを開く。その1週間後、このトリオに3人のベース奏者(翠川敬基、池田芳夫、吉沢元治)を加えた特異な6人編成によるレコーディングが実施された。ただし、この日の翠川はベースを弾かず、チェロに専念している。
このユニットについてはいくつかの見方ができる。ひとつは、1作目の『ストークス(茎)』[223]の3人が基本になっていること。もうひとつは、同じ日本コロムビアでこの年(1975年)の12月に吹き込まれる佐藤の『C.P.U.(Cosmic Pulsation Unity)』のプロトタイプになったこと(ほかのメンバーは翠川と富樫)。ともあれ、わが国を代表するフリー・ジャズ派が結集してアルバムが作られた意義は大きい。
このメンバーなので、冒頭からフリー・ジャズが洪水のように降り注ぐ。こういうときの富樫は抜群の力量を発揮する。音量的にベース以上に目立つ翠川のチェロも大活躍だ。バランスの問題かもしれないが、佐藤のピアノが少しうしろに下がっている。
日本の5人がひとしきり演奏してからレイシーが登場する〈ザ・トゥエイン〉では、彼もかなり過激に応じる。ソロ・パフォーマンスでの達観したプレイとは異なり、5人のメンバーに負けない熱量で複雑なフレーズを連続させる。
この作品のレイシーは、フリー・ジャズ派としての面目躍如たるソロを最後まで途切れさせない。日本の5人も、そんな彼との共演で得るものが多かったはずだ。なお、このアルバムはヨーロッパに輸出され、日本以上に彼の地で評判を呼ぶ。一説によれば、82年にイギリスで創刊される先鋭的な音楽雑誌『The Wire』の誌名は、このアルバム・タイトルに起源があるという。