1975.1.22, 23, 2.7, 8 Miles Davis Septet 東京厚生年金会館ホール
マイルス・デイヴィス3度目の来日。このときはバイトでお金を貯め、全5回の東京公演を最高の席で観た。
This was Miles Davis' third visit to Japan. This time, I saved up money with a part-time job and saw all five shows in Tokyo with the best seats in the house.
『伝説のライヴ・イン・ジャパン 記憶と記録でひもとくジャズ史』よりhttps://amzn.asia/d/bVUdQzg
『アガルタの凱歌』(2LP)
CBS・ソニー/Columbia SOPJ 92-93[Side One]① アガルタへのプレリュード [パート1](マイルス・デイヴィス)22:21[Side Two]② アガルタへのプレリュード [パート2](マイルス・デイヴィス)6:23③ メイーシャ(マイルス・デイヴィス)12:19[Side Three]④ インタールード(マイルス・デイヴィス)26:20[Side Four]⑤ ジャック・ジョンソンのテーマ(マイルス・デイヴィス)25:24マイルス・デイヴィス(tp, org) ソニー・フォーチュン(ss, as, fl) ピート・コージー(g) レジー・ルーカス(g) マイケル・ヘンダーソン(elb) アル・フォスター(ds) エムトゥーメ(per)1975年2月1日 大阪・中之島「フェスティバルホール」で実況録音(「昼の部」)
『パンゲアの刻印』(2LP)CBS・ソニー/Columbia SOPZ 96-97[Side One]① ジンバブウェ [Part 1](マイルス・デイヴィス)20:26[Side Two]② ジンバブウェ [Part 2](マイルス・デイヴィス)21:24[Side Three]③ ゴンドワナ [Part 1](マイルス・デイヴィス)23:18[Side Four]④ ゴンドワナ [Part 2] (マイルス・デイヴィス)23:58マイルス・デイヴィス(tp, org) ソニー・フォーチュン(ss, as, fl) ピート・コージー(g) レジー・ルーカス(g) マイケル・ヘンダーソン(elb) アル・フォスター(ds) エムトゥーメ(per)1975年2月1日 大阪・中之島「フェスティバルホール」で実況録音(「夜の部」) 1975年1月、マイルス・デイヴィスは2年ぶり3度目の日本公演を行なった。前年に録音された『ダーク・メイガス』(CBS・ソニー)からエイゾー・ローレンス(ts)とドミニク・ゴーモン(g)が抜け、サックス奏者がデイヴ・リーブマンからソニー・フォーチュンに交代しての訪日だ。こう書くとわかりにくいが、73年の来日メンバーからサックス奏者が変わっただけである。したがって、陣容は前回と実質的にほとんど同じだ。 2年前はレコーディングをしなかったが、今回は2月1日に行なわれた昼夜2回のコンサートが実況録音された。昼の部を完全収録したのが『アガルタの凱歌』(現在のタイトルは『アガルタ』)で、夜の部が『パンゲアの刻印』(同『パンゲア』)だ。「メンバーはほとんど同じ」と書いたが、その間の約1年半でマイルスのグループは音楽の完成度を高めていた。最大の要因はレジー・ルーカスの成長だ。単なるリズム・ギターを超えて、このときはみずからのグルーヴをバンドに加える存在になっていた。 エレクトリック・サウンドを導入して以来、マイルスはソロ以上にリズムを重視してきた。チック・コリア(key)とキース・ジャレット(key)にはリズム面での役割が期待されていた。彼らが退団して以降、グループに革新的なビートを持ち込んだのがエレクトリック・ベースのマイケル・ヘンダーソンだ。 キーボード奏者がいなくなった現在、ヘンダーソンとルーカスがその穴を埋めるようになった。前回の来日ではバンドの中で右往左往していた彼が、リズムをリードするまでになったのである。 したがって、今回はグループがメロディよりリズム重視のパフォーマンスを繰り広げていた。変化を遂げるリズムとビートが混交、交錯していく中で、マイルスのトランペットが咆哮する。筆者が接したコンサートでは、前回以上に彼がグループを仕切り、メンバーを自分の手足としていた。中でも、役割を理解していたのがルーカスだ。 マイルスのバンドでは、ピート・コージーがソロをとり、ルーカスがリズム・ギターを弾く。それがおおまかな分担だ。コージーはわが道を行く風情で、マイルスの音楽に関係なく独特のソロを展開していた。一方、マイルスのオルガンに通じるリズム・コンセプトを表現していたのがルーカスだ。 ルーカスのことばかり書いてしまったが、もちろんマイルスのプレイはすごい。しかし、評判の高い日本公演のライヴ盤だが、筆者の意見はちょっと違う。 完成度でいえば、この音楽は69年録音の『ビッチズ・ブリュー』(コロムビア)前後から始まった路線の終着駅といっていい。素晴らしさは認める。それでも、音楽は袋小路に入っていた。この路線でこれ以上の発展は考えられない。創造性は、72年に録音した『オン・ザ・コーナー』(同)でピークに達していた。あとは完成度を高めたにしても、惰性でここまで引っ張ってきた。 これまでなら、ひとつの高みに達したところで、マイルスは次なる目標を見出している。ところが、そのアイディアが今回はない。未発表演奏を集めた『ビッグ・ファン』と『ゲット・アップ・ウィズ・イット』(どちらもコロムビア)を別にすれば、アルバム単位で70年代に吹き込んだスタジオ録音作品は『オン・ザ・コーナー』だけである。 自身も音楽的なアイディアの枯渇に悩んでいた。椎間板ヘルニアや股関節の手術が必要なほど体調も悪かった。さまざまなことが重なり、精神的にまいっていた。それらが理由で、この年(75年)の9月5日にセントラル・パークで行なったコンサートを最後に、バンドは解散する。 年末に手術をして、翌年をリハビリや療養期間にあて、77年にカムバックする――そんな青写真を描いていた。しかし、このあとは本人も予想しないほど長い沈黙生活に入ってしまう(復帰は81年)。 最後になったが、『アガルタの凱歌』のジャケット・デザインは横尾忠則によるものだ(『パンゲアの刻印』はCBS・ソニーデザイン室にいたアート・ディレクターの田島照久が担当)。地球内部に存在したとされる地底王国アガルタに、横尾は数年前から興味を抱いていた。この国の首都、シャンバラをテーマに連作版画を制作したこともある。タイトルを聞いた彼には、すぐにジャケットのイメージが浮かんだという。 もうひとつのタイトルに使われたパンゲアは、ペルム紀(いまから3億年近く前)から三畳紀にかけて存在した超大陸のことだ。どちらのジャケットも凝ったアートワークなので、できればLPで持っていたい。なお、76年に出たアメリカ盤の『アガルタ』はカヴァー・アートがエレナ・パヴロフ、デザインがジョン・バーグの別ヴァージョンになっている。それと、『パンゲア』のアメリカ盤は90年に発売されたCDが初出だ。