1974.7.29 Herbie Hancock 東京厚生年金会館大ホール

このときは『ヘッド・ハンターズ』のメンバーを率いての来日。これが日本で初めて本物のファンク・ミュージックが演奏されたときかもしれない。お客さんがヴァンプを踊っているのも初めて観た。
At that time, Herbie Hancock led the members of "Head Hunters" to Japan. This may have been the first time real funk music was played in Japan. I also saw the audience dancing the vamp for the first time.

『ハービー・ハンコック/デディケーション』(LP)
CBS・ソニー/Columbia SOPM 165
[Side One]
① 処女航海(ハービー・ハンコック)7:42
② ドルフィン・ダンス(ハービー・ハンコック)11:14
[Side Two]
③ ノブ(ハービー・ハンコック)7:34
④ カンタロープ・アイランド(ハービー・ハンコック)13:57
ハービー・ハンコック(p on ①②, elp & syn on ③④)
1974年7月28日 東京・新宿「東京厚生年金会館小ホール」で録音
ハービー・ハンコック(1940年4月12日 - )の初来日は1964年、マイルス・デイヴィス・クインテットの一員としてのものだった。それに続くのが、自身のグループでコンサート・ツアーを行なった74年のことだ。
ハービーは、前年に発表した『ヘッド・ハンターズ』(コロムビア)によってファンク・ムーヴメントの頂点に立っていた。帯同したのは、同作に参加した、ベニー・モウピン(reeds)、ポール・ジャクソン(elb)、ビル・サマーズ(per)に、ハーヴェイ・メイソン(ds)がマイク・クラーク(ds)に代わった5人組。つまり、ドラマーが異なるだけで、『ヘッド・ハンターズ』と同じメンバーだった。
〈ウォーターメロン・マン〉〈スライ〉で始まったステージでは、同作の再現や次回作(コロムビアから出た『スラスト(突撃)』)で発表する〈バタフライ〉、途中でハービーがアコースティック・ピアノで〈処女航海〉を演奏するパートが設けられていた。
その彼によるソロ・アルバムを作ろうという話が以前からあったのか、日本に来てから出たのかはわからない。ともあれ、グループのサウンド・チェックを早めに終えて、コンサート前の午後1時から5時まで、会場の地下にある「東京厚生年金会館小ホール」がソロ・レコーディングの場所に当てられた。電気楽器を複数使用することから、それらの移動と機材の調整にはそれなりの時間がかかる。それを考えると、吹き込みに要した時間は短かく、1テイクか2テイクで完成したと思われる。
音楽としての完璧性を求めるより、このときは迸るような創造性を生かすことに主眼が置かれた。勢いを優先させることで音楽本来の自然発生的要素が強調された内容といっていい。この時期のハービーは、なにをやってもすごい演奏にしていた。その一瞬を切り取ったのがこの作品だ。
収録された4曲はどれも聴き応え満点である。A面のアコースティック・ピアノによる2曲は、65年に録音された『処女航海』(ブルーノート)で発表されたハービーの代表曲だ。その後に何度も演奏してきたことにより、オリジナル・ヴァージョンから離れたアプローチを聴かせる。もともと〈処女航海〉の展開はシンプルだった。ところがこちらには、ジャズからクラシックまで、さまざまな要素が万華鏡のように散りばめられている。思いのままプレイした、といった内容だ。
エレクトリック・サイドの2曲も含めて、本作の4曲すべてに共通するキーワードが、この「思いのまま」である。おおよその構成は頭の中にあったのだろう。それでも、ソロ・パフォーマンスということから、そのときの思いつきやエモーションにしたがって、自由にキーボードを弾いたのがこれら4曲だ。
エレクトリック・サイドの2曲は『ヘッド・ハンターズ』に順じたファンク・ミュージックだ。それをひとりでやってしまうチャレンジ精神に、ハービーの前向きな姿勢を思わずにいられない。用いるのはエレクトリック・ピアノと4種類のアープ・シンセサイザー(Arp Odyssey, Arp 3604, Arp 2600, Arp Pe-iv String Ensemble)。ソロはエレクトリック・ピアノ、彩りをつけるのがアープだ。後者がストリングス的な響きを生み出し、カラフルなサウンドに結びつく。
豊かな音楽性もさることながら、複雑に楽器を使いこなすテクニック。それを技術だけで終わらせず、即興で芸術性豊かな演奏にまで昇華させる。ここに才能と創造性の輝きがある。
周到な準備を重ねたレコーディングとは違い、ライヴのようにそのときのアイディアを瞬時に具体化させる――短時間のレコーディングではあったが、ハービーにすべてを委ねたこの作品は、この時代に彼が試みていた音楽のエッセンスを封入したものだ。