1974.6.24 菊池雅章クインテット 東京厚生年金会館大ホール 7.10 郵便貯金ホール
プーさんがニューヨークに移住したのは73年のこと。ニューヨークの精鋭を引き連れて初の凱旋ツアーを行なったのがこのとき。ニューヨーク移住直前の日野皓正を含むクインテットが最先端のニューヨーク・ジャズを聴かせてくれた。それにしてもアイミュージックのパンフレットは内容が濃い。
Masabumi Kikuchi moved to New York City in 1973. It was then that he made his first triumphal return tour with an elite New York quintet. The quintet, which included Terumasa Hino, who had been going to move to New York, played cutting-edge New York jazz. Even so, Ai Music's brochure is rich in content.
『伝説のライヴ・イン・ジャパン 記憶と記録でひもとくジャズ史』よりhttps://amzn.asia/d/bVUdQzg

『菊地雅章/イースト・ウィンド』(LP)
日本フォノグラム/East Wind EW 7001
[Side One]
① イースト・ウィンド(菊地雅章)20:00
[Side Two]
② グリーン・ダンス(菊地雅章)24:54
菊地雅章(p) 日野皓正(tp) 峰厚介(ts) ジュニ・ブース(b) エリック・グラヴァット(ds)
1974年7月3日 東京・青山「ビクター第1スタジオ」で録音
録音と発売の順が連動しないが、日本フォノグラムがあいミュージックと提携して興したイースト・ウィンドの1作目。あいミュージックを代表するアーティストが菊地雅章であることから、レーベル開始にあたり、本作が最初の作品になった。アルバム・タイトルがレーベル名と同じなのも、なにをかいわんや、である。
スタートにあたり掲げた制作パターンは次の4種類だ。
① 日本ジャズメンによるLP制作
② 日本ジャズメン+海外ジャズメンによるLP制作
③ 来日ジャズメンによるLP制作
④ 海外におけるLP制作
わくわくするではないか。日本のレコード業界はこういう時代に入ったのだ。そして、その通りのことをイースト・ウィンドは実行に移す。活動したのは1974年から77年までで、この間に67枚の作品が送り出された。
第1弾となったこのアルバムは、1年2か月ぶりに帰国した菊地が、全国24か所で行なったコンサート・ツアーの終盤でスタジオ録音したものだ。このツアーで、菊地はニューヨークから、ジュニ・ブース、エリック・グラヴァット、かつてのバンド・メンバーで、菊地同様ニューヨークに移り住んでいた峰厚介(当初の予定はスティーヴ・グロスマンだった)を同道し、日本からは日野皓正を起用している。
レコーディングは74年6月23日に行なわれた。しかし、それに菊地は満足しない。そこで、7月3日に再度の吹き込みが行なわれる。収録された2曲はどちらもコンサートのハイライトを成したオリジナルだ。〈イースト・ウィンド〉は、〈フォーリン・イン・ザ・スカイ〉として、毎回コンサートを締め括った曲である。ツアー当初は最初のテーマ・メロディしかなかったものに、途中でバラード・タイプのセカンド・メロディを書き加え、音楽的な広がりをさらなるものにした。
イントロからホーンを加えたテーマ・パートになり、峰、日野、菊地、グラヴァットが白熱のソロをとる。その後にコーダ部分があり、日野が吹くバラードのセカンド・テーマに移行する。一転、荘厳なムードになり、これで演奏が終わる。このパートがなかったツアー初日を観たが、これがあるとないとではイメージが違う。
前作にして渡米前の最終作『エンド・フォー・ザ・ビギニング』(フィリップス)でも取り上げた〈グリーン・ダンス〉は、ジュニ・ブース主導でフォーク調のムードとリズムが設定される。それを待って、菊地がテーマ・パートからアドリブに入っていく。前作では力強いタッチで個性を発揮したが、ここでは繊細さも加えたことで表現力が増している。アメリカでの活動がこうした変化に結びついたのだろう。
しばらく前まで、菊地はエルヴィン・ジョーンズ(ds)のグループで全米および南米ツアーに出るなど、多忙な日々をすごしていた。一方、時間のあるときは自身のグループでジャズ・クラブに出演し、それまでの日本人ミュージシャンにはなかった実績をあげている。ニューヨークへの移住を決めていた日野も、菊地の心境著しい姿に接し、その思いを強めたに違いない。