マイルス・デイヴィスはハード・バップが一般的になった1950年代中盤、早くも次なる音楽のコンセプトを考えていた。それがクラシックや現代音楽で使われていたモード(音階)を用いてアドリブを行なうモード・ジャズだ。
ジョン・コルトレーンやビル・エヴァンスを擁したマイルスのグループがモード奏法を広めたことで、1960年代になると、多くのミュージシャンがそのスタイルを追随し始める。その結果、1950年代の主流がハード・バップだったの対し、1960年代の主流であるモード・ジャズの発展形を新しい主流派=新主流派と呼ぶようになった。
★キーパーソン:ハービー・ハンコック
マイルスがモード・ジャズのパイオニアなら、彼のグループに1963年から参加したピアニストのハービー・ハンコックは、その発展形である新主流派ジャズの立役者。マイルスのグループでモード奏法を極めた彼は、自身のレコーディングでさらなる進化形のジャズを録音してみせる。
それが1965年に吹き込んだ『処女航海』。ここに至って、ハンコックは音楽性の面で師匠のマイルスを超えた。マイルスとハンコックが傑出していたのは、常に次なる音楽を目指していたことだ。モード・ジャズや新主流派ジャズにとどまらず、彼らは次に登場してくるフュージョン・ミュージックにおいても重要な役割を演じてみせる。
その先駆者ぶりは、マイルスなら1991年にこの世を去るまでトップを走り続けたことで、そしてハンコックならいまだにジャズの最先端に位置していることでわかる。