
新宿に「ピットイン」がオープンして40年が過ぎたんですね。20周年記念のときも30周年記念のときもコンサートに足を運びましたが、なかなかに感慨深いものがありました。
「ピットイン」に初めて行ったのはオープンして間もないころです。当時は、金・土・日の3日間だけライヴをやっていたように記憶しています。そのうちの毎週金曜日が渡辺貞夫カルテットで、けっこう通いつめたものです。入場料は500円くらいだったと思いますが、高校生の身には厳しいものがありました。それでも、若き日の菊地雅章や富樫雅彦の演奏に触れられたことは財産になっています。
その後は新宿の大学に入ったので、週に何度も通った時期があります。あのころは「朝の部」、「昼の部」、「夜の部」の3部制で、「朝の部」と言っても12時ごろから始まり、無名のプレイヤーによる演奏でこれが150円、「昼の部」は3時ごろからで300円、「夜の部」が7時ごろからで500円とか800円だったでしょうか。
当時は「ピットイン友の会」という名称だったと思いますが、年会費を払うと毎回入場料が割引になる会員組織があって、それに入会していました。週に3日と空けずに通っていたのが70年代の初頭から中盤にかけてです。
この時代、渡辺貞夫を頂点に、日本のジャズが空前の盛り上がりを示していました。話題のミュージシャンはほとんどすべて「ピットイン」で聴いたと言ってもいいでしょう。ぼくは68年ごろから入り浸りになり、ここで山下洋輔トリオが初めてフリー・ジャズを演奏したステージも目撃することができました。また、何の前触れもなく来日したサド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラのライヴも聴きましたし、伝説的なエルヴィン・ジョーンズのセッションは66年だったために観ていませんが、その後に行なわれたエルヴィンのライヴはほとんど観ています。
一時、「ピットイン」の別室みたいな形で「ニュージャズ・ルーム」というのが階上にオープンして、そこでフリー・ジャズ系のミュージシャンを随分聴いたことも懐かしいですね。
あと、いまから15年以上前になりますが、友人と組んで毎月最終月曜の夜に「ナウズ・ザ・タイム・ワークショップ」というライヴを2年間続けさせてもらったこともいい思い出です。名物マネージャーだった“怪物さん”には随分とお世話になりました。
この「ナウズ~」から原朋直、大阪昌彦、五十嵐一生、椎名豊、村田陽一といったひとたちが巣立っていきました。それからこのライヴに出たグループを集めてオムニバス盤を2枚ファンハウスで作ったのですが、これがぼくのプロデューサーとしての出発点になっています。「サックス・ワークショップ」を開催したときには、ブランフォード・マルサリスが誰かのサックスを借りて飛び入りで吹いてくれました。
そんなこんなで「ピットイン」にはひと一倍思い入れがあります。形は違うでしょうが、ぼくのように思い入れを持っているひとが沢山いると思います。そんなひとたちで、大雪の21日も路面が凍結した22日も、厚生年金ホールは満員の盛況でした。
出演者も盛りだくさんです。最後にラインアップを貼りつけておきますが、大半のグループがフリー・ジャズに根ざした音楽をやっていることに、相変わらず“カッティング・エッジ”なジャズを聴かせてくれる「ピットイン」の心意気を感じました。
2日間で13時間、13グループの出演です。すべてを観たわけではありませんが、その中で強く心に残ったのは、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェル、吉田達也+近藤等則によるペインキラーと、森山威男=板橋文夫グループでした。どちらのパフォーマンスからもぞくぞくする興奮を覚えました。
そのほかにもハードなロックを思わせる梅津和時KIKI BANDや、たった15分の持ち時間しかなかった佐藤允彦のソロ・ピアノ、渋谷毅ORCHESTRAのソウルフルなサウンド、昨年発表した『ドラゴン』が素晴らしかった日野皓正クインテットの相変わらずのかっこよさ、そしてトリを飾った渡辺貞夫カルテットのハートウォームなプレイなどを聴いて、ぼくなりに「ピットイン」での数々の思い出にふけることができました。10年後の50周年は一体どんな風になるんでしょうね?
21日
■渋さ知らズ
■大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ
■三好“3吉”功郎スペシャル・ユニット
■梅津和時KIKI BAND
■Pain Killer
■室内楽団 八向山
22日
■What is HIP?+ケイコ・リー
■渋谷 毅ORCHESTRA
■佐藤允彦 plays Masahiko Togashi
■日野皓正クインテット
■辛島文雄ユニット
■森山威男=板橋文夫グループ
■渡辺貞夫グループ