チケットの発売もそろそろだということで、ローリング・ストーンズの来日を祝して久々に「愛しのJazz Man」を。
ストーンズが1990年に初来日を飾ったときです。少し前にジャズ・オーケストラを率いたアルバム『ライヴ・アット・フルハム・タウン・ホール』(ソニー)を出していたこともあって、直前に行なわれた全米ツアー中、チャーリー・ワッツはこのツアーではジャズ雑誌のインタビューしか受けないと公言していました。

ならばぼくにもチャンスありと、『スイングジャーナル』からレコード会社にオファーを出してもらいました。レコード会社からの情報によれば、ストーンズは東京で1日だけインタビュー日を設ける、そのうちチャーリー・ワッツは1社のみ、それもジャズのインタビューに限るとの条件がマネージメントから出たとのことでした。
さて、どうなることやら。
初来日ですし、アルバムの発売直後ということもあって、メンバーの中では一番地味なチャーリー・ワッツにも一般紙や雑誌からオファーが殺到しているようでした。となれば、いくらジャズの専門誌と言っても優先順位は低い。なかば諦めかけていたところ、朗報が届きました。
ここからは自慢話になります。何とチャーリー・ワッツから直々にご指名があったのです。
「日本に言ったらタカオ・オガワという人物のインタビューを受けたい」
どうしてチャーリー・ワッツがぼくの名前を知っていたのでしょう?
思い当たるのは、『ライヴ・アット・フルハム・タウン・ホール』の日本語ライナーノーツをぼくが書き、末尾にローマ字で「TAKAO OGAWA」と署名していたことくらいです。しかし、日本盤を彼が来日前に入手していたとは考えられません。
インタビュー当日、会場にあてられたホテル・オークラに行きました。この日にメンバー全員の個別インタビューが行なわれます。控え室として用意された一室で、ぼくはマネージメントが出してきたいくつもの書類にサインさせられました。インタビューの発表にあたってはいろいろな制限があります。そのことの確認です。こんな経験は初めてでした。さすがストーンズ、と妙に感心したことを覚えています。
そして待つことしばし。いよいよお呼びの声がかかり、インタビュー用の部屋に向かいました。部屋に入ると、そこにはロン・ウッドもいました。いままで彼のインタビューが行なわれていたそうです。ふたりがなにやら話しています。ぼくはちょっと離れたところでその光景をどきどきしながら見ていました。
すると、今度はドアの外が騒がしくなりました。驚いたことにミック・ジャガーとキース・リチャードが入ってきたのです。ちょうど休憩時間だったようです。ぼくの目の前にストーンズの4人がいます。全員がぼくに握手をしてくれました。夢のようなひとときです。
ミック・ジャガーはインタビューの合間にお堀の周りをジョギングしてきた、なんて話しています。彼はどこに行ってもジョギングで体調を保っているそうです。だから、いまだに2時間以上フル・パワーでステージが務められるのですね。不断の努力をちょっと覗き見たような気がしました。
約5分。メンバー4人の歓談が終わり、いよいよインタビュー開始です。
「君がミスター・タカオ・オガワかい?」
チャーリー・ワッツが正確にぼくの名前を発音したことにびっくりしました。
「どうしてぼくを指名してくれたのですか?」
「ぼくが知っている唯一の日本人ジャズ・インタビューアーが君なんだよ。いつも『スイングジャーナル』でいろいろインタビューしているじゃないか。それで、日本でインタビューを受けるならタカオ・オガワに、と考えていたんだよ。『スイングジャーナル』にも載りたいしね」
驚いたことに、チャーリー・ワッツは『スイングジャーナル』の年間購読者だったんですね。日本語は読めないけれど、彼はいつも「TAKAO OGAWA」と書名されていたインタビュー記事を眺めていたというのです。
しかしぼくに会いたかった本当の理由は、別のところにありました。
挨拶代わりの話が終わったところで、チャーリー・ワッツはポケットから何枚かのリストを出しました。ブルーノートのCDリストです。『スイングジャーナル』でチェックした、日本でしか売っていないCDを買いたいと考えていたのです。これらのCDはどこに行けば買えるのか、どうやらそれが聞きたかったようです。これはこれで大変名誉なことで、ぼくにとっては宝物のような話です。そんなわけですから、インタビューになりません。
予定の30分はすぐに過ぎてしまいました。マネージャーが部屋に入ってきて「時間だよ」とチャーリー・ワッツに伝えます。しかし彼はそれを遮って、「あと1時間はかかるから」とマネージャーに伝えました。実質的なインタビューは、まだ数分しかしていません。
それからの1時間、チャーリー・ワッツとのジャズ談義は大変楽しいものでした。中でも一番印象に残っているのはこのひとことです。
「わたしは、いまも自分をジャズ・ドラマーだと思っている。ジャズ・ドラマーがたまたま世界一のロック・バンドに入っているってことだよ。家ではジャズ・ドラムスの練習しかしていないんだから」
チャーリー・ワッツとのジャズ談義については、いずれ紹介したいと思います。