「Jazz Conversation」を始めてからインタヴューをする機会がぐっと増えましたが、ラジオの放送以外でもインタヴューは相変わらずさせてもらっています。
現在進行中の仕事のひとつに、通販のユーキャンから出るジャズCDの10枚組ボックス・セットがあります。それに付くブックレットを書いているのですが、、新書程度の原稿量があり、これはこれで面白い仕事です。
通販のボックス・セットですから、対象はジャズ初心者。というより、ジャズなど聴いたことのないひとにも買っていただこう、というのが狙いです。そこで、ジャズを聴かないひとでも知っているアーティストのインタヴューを掲載することになり、お願いしたのが、日野皓正さん、阿川泰子さん、寺井尚子さん。
寺井さんはスケジュールが合わず、電話でのインタヴューとなりましたが、日野さんと阿川さんにはお目にかかってお話をうかがうことができました。
日野さんには、丸の内にある「東京国際フォーラム」の楽屋で、若かりしころ、つまり日野少年がジャズと出会ってプロのミュージシャンになっていくまでのお話をうかがいました。
目をキラキラ輝かせての思い出話。日野少年のストーリーは、ニューヨークに出てきたばかりのマイルスが右往左往する姿と重なります。ジャズに寄せる興味と努力。人並みはずれた研究熱心さが世界のヒノテルを生んだのでしょう。
もうひとり、インタヴューをさせていただいた阿川さんは鎌倉に現在お住まいです。当日は大雨の中、渋谷のセルリアン・タワーまでわざわざご足労いただきました。少々早くお着きになった阿川さん。ぼくが行ったときは、ユーキャンや編集者たちと談笑中でした。
阿川さんはひところぼくと同じアパート、それもとなりの部屋に住んでいたのです。まさに a girl next doorです。そんな話で盛り上がっていました。
最初は隣人であることにまったく気がつきませんでした。あるとき、彼女にインタヴューをしたのですが、終了後の雑談でこのことが判明しました。ウイントンといい阿川さんといい、ぼくはそういうところに縁があるみたいです。
そのアパート、最高でした。日本庭園や最初のころはホテルのフロントみたいなサーヴィスをしてくれる受付もありました。郵便ポストも建物内にありますし、駐車場は来客が何人来ても止めていいことになっていたんです。それでいて家賃も駐車場代も格安。古い建物なので頑丈だったから、レコードの大半を部屋に置くこともできました。
こんなに大きな木もあったんです。
一生そこに住むつもりでいました。阿川さんもそのうち戻ってくるつもりだったそうです。ところが立ち退きにあって、ぼくは泣く泣く引越しをしました。いまでは分譲の高級マンションになっています。
そこに住むなら優遇もしてくれる条件で立ち退きしたんですが、それはやめました。あのアパートに比べたら、表面的には高級感があっても、真の意味での住みやすさは味わえないと思ったからです。今回は分譲ですから、価格もかなりのものになりますし。
立ち退きの話が出るずっと前に三田に越していた阿川さん。彼女も、いつか戻ってくるつもりだったそうです。それで、立ち退きの話や、当時住民の間で出回っていたうわさなどについてもよくご存知でした。
こちらの話でまず盛り上がってしまいましたが、肝心のインタヴューも面白かったです。彼女、小学生のころからジュリー・ロンドンに憧れていたおませな少女だったそうです。中学のときに最初で最後となったジュリー・ロンドンのコンサートにも行かれたそうです。髪型も、実は真似をしていたとか。声が低いので、デビューするときにヘレン阿川(ヘレン・メリルからきています)の芸名を提案され、それは勘弁してもらった話など、とにかく楽しいお話での連続で、心地のよい時間がすごせました。